[note19]校則に関する新たな動きから考えたこと
理不尽校則、もうやめる「時代は変わった」生徒らと議論し決定 都立校、新年度から5項目全廃
今日のニュースではありませんが、少し前に取り上げられたニュースを考えてみたいと思います。以下は3月15日付けの朝日新聞からの抜粋です。
「髪の一律黒染め」や「下着の色指定」など東京都立高校を中心に、理不尽な校則や指導内容を意味する「ブラック校則」として問題視されてきた5項目が新年度から全廃されることになった。都教育委員会によると生徒の人権を守り、主体的なルール作りに参画させる狙いで、各校で教員と生徒、保護者らが話し合った結果、廃止に至ったという。廃止されるのはほかに、髪を極端に刈り上げる「ツーブロック」の禁止▽問題を起こした生徒の自宅謹慎▽「高校生らしい」といった曖昧で誤解を招く表現を用いた指導の5項目。都教委は昨年3~4月、都立学校に、5項目のほか、生まれつきの髪の色や癖毛を届け出る「地毛証明」の任意提出を加えた6項目について、校則や指導の点検を求めた。都立高校や都立中高一貫校計196校の240課程のうち、216課程でこうした決まりが採用されていた。いずれも各校で、教員と生徒、保護者で話し合いの場を設けるなどして検討したところ、「地毛証明」を除く5項目については、どの課程でも廃止が決まったという。
■「判断は当然だ」
都教委の担当者は今回の校則廃止について、「時代が変わって、指導の仕方を切り替える時期なのかも知れない。時間はかかるかも知れないが、今後も子どもと話し合ってルールを決めてほしい」と話している。(以下略)
校則や学校のルールについて考えたこと
校則については、これまでの経緯や歴史も踏まえ、本当に必要であること、歴史的な役割を終えたもの、基準があいまいなもの…色々な観点があるため特に各学校の生徒指導部を初め、先生方は苦慮している部分だと思います。
自分自身は教員になって以来、こんなことを思っていました。
以下のことは自分の経験も含みますが、一般的な校則やルールについての自分なりの意見です。
ケース①何だか抽象的・・・
記事の中にもありますが校則やルールには抽象的なものがかなりあります。
「学生らしい」、「子どもらしい」、「学生に相応しい」これらは当たり前のように使われていますが、「~しい」とは一体何だろうと思うことも多々あります。もしかしたら、ルールを設定している側も理解し切れていないのかも知れない。「昔から決まっている」と片付けてしまっているかも。自分自身を振り返っても、そう感じるケースがあります。この抽象性が、理由や意義をきちんと説明できない背景にあるのではないかと思います。
ケース②おとな(教師)と子ども(生徒)は違う
これも結構多いと思いますが、ルールを設定する側ができていることが前提になる気がします。特に社会的マナーについては、生徒よりも教師側がより厳しい視線を受けていることを自覚する必要があるのではないでしょうか。自分はきちんとできているのかなあ?
例えば、生徒に対して、「歩きスマホはしないこと」と注意する時、それはブーメランのように返ってくる気がします。耳の痛い話です…。
ケース③子ども(生徒)は我慢することを学ぶべき
これは一理ある気がしますが、本当に我慢すべきことは何か吟味することは必要であると思っています。何でも「我慢」という言葉で片付けると、それはやはり抽象度を上げてしまうのではないでしょうか。学生として我慢するべきことは、今の時代と照らして何か、それとも変わらず我慢すべきことがあるのか、物事を単純化する「我慢」という言葉から考えるべきことは多いと思います。
ケース④社会に出たらもっと理不尽なことがある
実はこれが一番厄介なことではないかと思っています。
でも学校では「社会はもっと厳しい」「社会ではもっと我慢が求められる」という説明をすることがありますよね。でも、理不尽な社会、厳しい社会、我慢しなければいけない社会って変えていかなければならない部分でもある訳です。ハラスメントなどは典型的な変えるべき社会の課題です。
そう考えると、「変えなければならない社会の部分」を根拠にしてルールを設定したり、守らせることは実は危険を秘めているのでは?と感じます。
ルールや校則はどうあるべき?
ここまで勝手な意見を書いたと思いますし、実際に校則の設定や検討に直面している全ての人にとっては容易い問題ではないことは理解しています。
ただ、ルールのあるべき姿とは集約すると以下のようになるのではないかと自分では思っています。
①他者の人格を傷つける行為はしない
②自由には責任を伴うことを理解する
③社会の中で互いに敬意を持つ
④犯罪など反社会的なことは絶対にしない
いずれにしても、校則やルールに関して、再考することは必要です。
その中で維持するべきものも当然あるでしょうし、即刻、変えていく必要があるものもあるでしょう。設定する教師側だけでなく、生徒の納得性が必要とされるケースも多いと思います。現在のルールや校則が全て否定されるものではないと思いますが、ちょっと立ち止まって「当たり前」を見直し、議論を重ねることは学校を誰もが過ごしやすい空間にするために欠かせないことだと感じています。
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