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[note7]「場」つくりの難しさ

勤務校では中学2、3年生合同でゼミナール授業という名称の探究活動を行っています。私も「教育と探求社」提供のQuest EducationのプログラムであるSocial Change(社会課題探究)を扱っています。最初に悩むのがチームをどのように構成するか…『グループ』ではなく『チーム』と表現したのは、単なる集まりではなく、共通の目標を持って相互に高め合うことを目指して欲しいからで、生徒にも最初にこうした話をしています。

生徒に配布する資料でも以下のように説明しています。
・グループ
仲間、集団、共通の性質で分類した人や物の一段
・チーム
ある目的のために協力して行動する人々の集まり
→学年も普段の友達グループも越えて目的、目標のために協力することは簡単ではないかも知れませんが、一人ひとりの努力でチームを作っていきましょう。

こうして男女混合、学年混合の6チームを作り、ゼミを行ってきましたが、今年も残り1回。果たして、チームになれたのか?毎年のことながら、この評価が難しい。厳密にいえば、まだチームになり切れていない状態で終えてしまったかも知れないということ。生徒からすれば、好きなもので集まって探究した方が楽しいのかも知れませんが、敢えてミックスすることで、価値観の違うゼミ生が集まることで居心地の悪さを自分達の努力で変化させて欲しいという願いを込めています。
何よりも、「このゼミという【場】が相互を尊重し、高め合う性質を持っているますか?」と問われた時に、まだまだ自信を持ってチームになってきましたと言えない自分がいるわけです。

ミックスしている以上は色々なことが起こるし、フリーライダーになってしまう傾向もみられます。それでも何とか自分達のプロジェクトを仕上げるために努力していますが、教員として何ができるか、もう少し深めて、次年度を迎えたいと感じました。快適な【場】を教員が提供するものではなく、生徒達もそれを期待するものではない。いかに快適で充実した【場】を共に創ることができるか…まだまだ試行錯誤は続きそうです。
(追記)
チームに規律は必要ですが、教員が思い通りに生徒を動かしたいという動機の下に生徒を叱るのは違う気がしています。やはり【場】や【ルール】を作る主体は生徒であって欲しいというのが理想です。

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