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猪木舌出し失神KOはテリーへのリベンジだったのか?

今回より私が一番好きだった頃のプロレスについて、今の自分なりの解釈(以降関数)を用いて謎解きや当時の事を記録として残してゆきたい。
決して私のライフワーク的なテーマではないのですがしばらく『IWGP』というキーワードを軸に展開してゆきますのでよろしくお願いします。
まず初回はある意味では『IWGP』構想を自己崩壊させたアントニオ猪木さんの舌出し失神KO事件についての最新の私の見解を述べたく思います。

YouTubeのジミー鈴木chにて猪木さんの元側近の方があの橋本vs小川戦について『猪木さんが大仁田選手の存在感を警戒(≒過大評価)していたのがあの事件の発端』と語っている。実際あの日あの現場に居た者としてあの事件が起きなければ今でも思い出せるのは。。。煙草を咥えてふてぶてしくドームの花道を歩く大仁田厚の姿だけだったと思う。

もちろんあの時代にメジャー新日本に飲み込まれない存在感を持っていたのは大仁田厚しかいなかったのだが、猪木さんの大仁田嫌いの深層心理としてはテリー嫌いこそがその発端ではなかったかと思う。もちろんそれは人間的なものではなくレスラーであり表現者であるアントニオ猪木がある時期を境にジェラシーの矛先がジャイアント馬場からテリー・ファンクに移り変わったのでは無いかと今だから強く感じる。

起源を辿れば伝説のオープンタッグ決勝(ファンクスvsブッチャー&シーク)まで遡るのかもしれないが、憎悪にも似たジェラシーがピークに達した瞬間はおそらくスタン・ハンセンがブロディ&スヌーカ組のセコンドとして全日本に初登場した1981世界最強タッグ決定リーグ戦での乱入劇だったのではないかと思う。この試合終盤で場外に落ちたテリーはハンセンによるレフェリーの死角をついたラリアートで壮絶な場外KO!著作権を考慮しなければ結局日本におけるハンセンのハイライトシーンはこの日の入場と場外ラリアートの衝撃に尽きる。

そしてこの壮絶KO劇は前年1980(実際には1月なので2年近く前になる)の猪木がハンセンにロープ際のラリアットを受けリングアウト負けによるNWF王座陥落(プロレススーパースター列伝参照)のインパクトやそのリマッチでの猪木逆ラリアートを完全に上書きしてしまった。

IWGP(敢えて第1回とはつけたくはない)決勝での猪木舌出し失神KO負けについての詳細はできれば検索願いたい。ここではそこで起きていた事実や事の真意について語る意図はない。ただナンシー関スタイルであくまで画面等の表要素から見た時、あのホーガンのうろたえた姿が全てである!
そしてこの数時間後に『人間不信』の言葉を残した坂口が本来動かして良いのかもわからない重体の猪木を反則度返しで無理にリングに上げてる姿こそが今なら検索ですぐわかるこの舌出し失神KOの真意ともいえる。

そして結果的に世間も巻き込んだ(当時北陸地方の中学生だった私は全くニュース報道の類を覚えていない)猪木の惨敗は冒頭での橋本vs小川戦に通じる因果を感じざるを得ない。あの日猪木が勝ってIWGPをただ単に制覇しただけならばそれはプロレス村の歴史の一部に過ぎなかったかもしれないし、おそらく我々はその半年後WWF(当時)で世界的スーパースターになったホーガンを日本のファンはどこかで格下扱いしていたかもしれない。

負ける事を選んだ猪木にとって後はどれだけインパクトを残すか?が勝負だったとした時に猪木は思ったのでは無いだろうか?以下妄想である。。。
この最高の舞台こそ3か月後に華々しく引退試合を迎えるテリー・ファンクへのリベンジを決行する絶好の機会だと。結果それはほぼ成功した。
あの最強タッグでのハンセンは全日本乱入という更なるインパクトもあった為に完全上書きとはならなかったが、今なおこうして謎解き要素も含めて、そしてホーガンが半年後にWWF(当時)世界王者になった事でこの日はある時代のプロレスファンにとっては創世紀とも言える瞬間となったのだ。

そもそもこれを書きたくなったきっかけは亡きテリー・ファンクさんの存在だった。不謹慎で誤解を恐れずに言えば猪木さんが馬場さんより長生きし、その猪木さんより1年長くテリーさんが生きた事に勝敗とかではなくあのゴールデンタイム的価値観の時代を潜り抜けたレスラーの業を感じた。凄みと言った方が正しいのかもしれない。ただただ感謝しかない。。。









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