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オカダ・カヅチカとは何だったのか?

虫の知らせだったのだろうか?本当は最近読み始めた藤波辰爾さんの自伝とそれにまつわる話を書くつもりで昨日記事を書き出したのも関わらず。。。何故か7年前の中邑真輔、AJスタイルズ達『NJPW4』の新日本離脱について昨日記事を書いた。ちょっと落ち着いてから夕方に東スポWebを見てビックリというかなんとも間抜けなタイミングだったと苦笑した。
オカダ・カヅチカの新日本退団については既にいろいろ噂も流れていたので私は半々で残留(棚橋新社長効果)とは見ていたが、その事よりも単なる偶然とはいえ前述の記事を投稿した直後だった事で本当に驚かされた。

もの凄く大雑把に分類するとまずは闘龍門入門からウルティモ・ドラゴンさんのメキシコイベント『ドラゴマニア』でメインの8人タッグ戦に出場した辺りまでが最初の時代となり、その縁でライガーさんを橋渡しにして新日本に入団したヤングライオン『岡田かづちか』の平仮名時代までが次の括りになる。そして今回大袈裟な題名にしたカタカナの『オカダ・カヅチカ』時代。。。2012年の凱旋帰国~新日本退団迄の12年間、つまりは丁度干支が1周するまでの日本での全盛期についてあくまで個人的な総括をしたい。

現時点で移籍先はWWEなのか?AEWなのか?或いは古巣TNA(は流石に無いか)なのか?未確定ながら。。。代名詞『レインメイカー』をアメリカで商標登録したというニュースから見るとそれをしなくてはならない環境=WWEが最有力なのだろう。『レインメイカー』とは政治信条的に嫌悪する方もいるかと思いますが敢えて。。。『アベノミクス』とほぼ同じ時期に存在した希望のおまじないだったと思う。新日本プロレスは2009~2011年までの3年間を新日本プロレステイストの強い元三冠王者(武藤、高山、鈴木みのる)を外敵に迎えて1・4ドームのメインでIWGP王座戦を棚橋、中邑が交互に行った。この時点でも充分に所謂『V字回復』をしていたのだがオカダ凱旋帰国後の1・4ドームは外国人を含む所属選手同士による外敵を必要としないメイン戦を12年も続けて来たのだから、全てオカダがメインでは無かったとは言え文字通り『金の雨』を降らせた黄金期だったと思う。

さてその2012年だが私は果たしてどこまで『計画的』だったのか?については疑問がある。。。もっと踏み込んで言えば偶然の産物と言うか私個人の裏を取ってない妄想ではあるが当時からこれはかなり切羽詰まった『企業防衛』だったのではないか?と思っている。ズバリ!既に12年前の時点でまだ青田買い状態だったオカダにWWEはオファーしていたと推測する。
コロナ禍以降開催が途切れてしまったWWE日本公演だがなんとこの2012年は 8/9,10 に両国国技館2連戦が開催されている。その日付に『えっ?』と思わず声が出た方もいるかと思う。。。この年の新日本プロレス真夏の恒例イベント『G1クライマックス』優勝決定戦はその2日後の 8/12 に開催だった事を考えるとこれを単なる日程のニアミスでは済まない『侵略』的な何かを未だに感じざるを得ない。2019年にNYでのレッスルマニア35直前にROH・新日本連合軍で開催したMSG大会が最もそれに近い感覚かもしれない。ブランドはSmackDownで当時ランディ・オートンのライバル的なものが空き家だった事もあり、当時まだWWE所属のヨシタツに続いて新日本の若手ホープを引き抜いた上で『G1』にぶつける狙いを当時激しく感じた。

ただオカダ個人や新日本的にはここで数年WWEでの『海外武者修行』をして30歳直前に箔をつけて凱旋帰国というプランも悪くはなかったのかもしれない。。。と決して思えない今考えてもゾッとするマルチバースがもしこの時にオカダがWWEに早期移籍をしていたら実現したかもしれないのだ。
これもあくまで裏を取ってない個人的な妄想だがもしオカダが2012年早々に凱旋帰国せずにWWEに移籍していたら。。。おそらく与えられたキャラクターは『ROAD TENSAI』だったと思う!WWEでは1990年代にはまだ典型的なニセ日本人キャラとして『ヨコヅナ』(正体はグレート・コキーナ)が存在したがこれは所謂トンデモニッポンの笑える範疇だったが。。。新日本からWWE移籍した先駆者鈴木健三に当初与えられる予定だったキャラは決して冗談では済まされないもので実現しなくて本当に良かったと思う。しかしWWEは残念ながら元ジャイアント・バーナード(Aトレイン)のカムバックに際して前年2011年日本に起きた悲劇をリングネームにしグレート・ムタばりの頭巾を被せて日本からの使者とした。。。私はこれこそがオカダにWWWEが2012年に準備していたキャラと未だに思っている。つまりは当時のWWEはG1期の日本公演(しかもかつてG1の象徴だった両国連戦という挑発)といい新日本の『V字回復』になんらかの脅威を感じ未来のエースを潰そうとした意図まで感じざるを得ない。ちなみに私はこの年はG1決勝生観戦を選択した。オカダの初出場・初優勝を観てなんとも言えない安堵感のようなものを感じたのを覚えている。

私は7年前の中邑真輔等『NJPW4』の離脱を機に新日本プロレスについては生観戦や試合映像を見ていない。理由は木谷オーナーの『マニアがジャンルを駄目にする』に激しく共感したからで基本的に東スポWebで結果だけを追っている。。。が『建前』とすると『本音』はオカダへの期待がもう私の世代のソレとして違うと感じたからでもある。それは平仮名時代からもうずっとオカダ・カヅチカへの期待とはもう絶対現れないと思った『スーパーヘビー級エース』だった。ところが前述のジャイアント・バーナード辺りを最後に日本のプロレスは『恐竜時代』を既に終えていたのである。また同時に新日本プロレスからは『外敵へのリベンジ』という概念も古臭い過去のモノとして排除された。藤田和之、力皇、ボブ・サップ、ブロック・レスナー。。。そういう負の過去を全て忘れたからこそ棚橋選手が輝いたのもまた事実であるし否定したくはない。実際オカダ時代の好敵手は全て軽量の動ける相手ばかり。。。素晴らしいのはAJとの一連の抗争で充分理解した上で私の見たかったオカダ像ではなかったのだ。そして昨年のG1Aリーグはその私の期待に対する最後の機会だったと思うがあくまで記事を見る限りまた観たいという気持ちまで揺さぶられる事はなかった。。。

最後にオスプレイに続いてオカダの退団で新日本は大丈夫なのか?という正直私にはあまり関係ない話題だが少しだけ触れておきたい。話はオカダ凱旋帰国前の 2011年夏まで遡る。。。この年のG1決勝、新しい入場テーマ曲にのって目をキラキラして現れた内藤選手をワールドプロレスリングTV中継で観た時に棚橋・中邑両選手には申し訳無いがようやく新日本に新時代が来たというなんともいえないワクワク感があった。その半年後全く予期もしていないレインメイカーショックが起き旗揚げ記念試合で王者オカダvs内藤のIWGP戦が行われ。。。ここまではブーイング気味だったオカダはこの試合でのコーナーポストへの高打点ドロップキックで一気に会場の心を掴んでスターの座を上り詰めた。対照的にこの辺りから内藤選手は特に関西での風辺りが強くなりしばらく闇落ちした。今にして思えば実はこの日本当に凄かったのはオカダのポテンシャルを完全に引き出した内藤選手だったのだ。
干支が一周して結局戻るところに主役の座が戻ったとも言える。。。ただ新日本への今年の期待はそこでは無いと思う。干支が一周してこの12年間本当に『窮屈』だった『G1』が 1991年のあの熱狂を取り戻す絶好の機会である!昨年のG1のあの若手リーグの惨憺たる結果はその前置きである(笑)

今年の春辺りからは4つめの『KAZUCHIKA OKADA』時代が始まる。
『SHINSUKE NAKAMURA』のWWE入りは前回投稿の『ブロック・レスナー』との再会(新日本が捨てた外敵リベンジという概念)という期待感があったが OKADA には現時点では不思議なくらい何も無い。。。
むしろAEWでケニー・オメガ、ジェイ・ホワイト、ウィル・オスプレィという歴代ライバル達とアメリカから全世界へ向けて最高の内容を魅せてゆく方が OKADA には合ってるのでは無いかと思っている自分もいる。
ただやっぱり40回記念大会のレッスルマニアに出場する OKADA は見てみたい!なんならケニー・オメガも同時にWWEに移籍したら良いのだが。
それにしてももしオカダの移籍先がWWEならば。。。サイバーエージェントはかつてのSWSの様に叩かれる事もなくまだ団体として抱え込む訳でもなく新日本とスターダムのトップスターを ABEMA のWWE中継として事実上引き抜いたも同然であり実に痛快である。
プロレス界はコロナ禍を経てまた次のステージに進みつつある。。。

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