#82カニはこうして食え【エンタメにおける感動】
集客という部分にスポットを当てると勘違いする人、とくに中途半端に社会常識があったりホスピタリティって言葉を勘違いしている受け止めていると集客出来ないし上手くいかない空回りをする。ぶっちゃけ真面目に考え過ぎて失敗するということを知っておくべきである。
例えが難しいが、最高の人気高級食材である『カニ』で例えよう。
カニは『カニを食べると無口になる』と言われる手間はあれど美味しいしウットリする美味。高級食材なので簡単に食べられるものでもなくまたお腹のキャパと人気のメニューだって色々。刺身で食う?定番のボイル?焼きガニ?カニ鍋?それともカニしゃぶ?寿司だってコロッケだってピラフだって釜飯、テリーヌ、etc色々。
あなたはシェフでお客様より
「私、カニ大好物なんです。メニューはお任せしますが最高のカニ料理を食べさせてください」とオーダーされた。
ここであなたは何を作って提供する?
⑴お客さんが喜ぶように様々な種類のカニ料理を作った提供する。
⑵自分が最も得意で自信のあるメニューを出す。
これ料理だとどっちも正解だし貴重な経験になるかと思う。
しかしながらこれをライブで考えてみよう。
⑴はFCイベントとかある意味では普通じゃない時なら良いかもしれないけど、お客さんに合わせて自分たちを一期一会の機会に置きに行くようなことはしてはいけない。たった一度の機会になるかも知れないのだから【最高のメニューでもてなす】がアーティストの表現であり、結果それで受け入れられなくとも良いの。
『お客様は神様です』的な言葉があるが実際にはこういう意味
三波本人が生前にインタビューなどでこのフレーズの意味を尋ねられたとき、こう答えておりました。
『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』
多分、世間で思われてる言葉と意味は全く違う。
文字で書くと安っぽいが尊敬と気遣う思い。
別に「絶対神として敬え」なんて意味じゃない。
自信がないから相手に合わせてしまう。
「カニはこうして食え」は実際のところ正解は個々の嗜好。
ただ持て成す側が
「この最高のカニを最高に美味しく食べるのには◯◯が1番だ」
というマインドであることが大事。
「今日はこういうイベントだから」とコンセプトがある時は例外だが「良いライブをパフォーマンスを魅せる」のであれば自身のベストチョイスは難しくないはず。
余談だが私は生魚はアジが1番美味いと思う。
生魚をチョイスする機会があれば「鮮度」こそ注視するが基本はアジ一択。
タタキが良いか刺身が良いか、それともナメロウか?と悩む。
しかし世の人は同じ選択肢を問うと多分多くはマグロに行くであろう。
でも君という魚が(去年のキングオブコントみたいな例えだな😆)マグロではなく、どうやって食べるのが1番美味いのか、煮るのか、焼くのか、生なのか?相手が生が好きだって生では最高のパフォーマンスが出ないかもしれない。
そんな時に「これはこうやって食うのが1番美味い」と出せることが大事なのだ。
もちろん「生が良かったな」と残念がる人もいるだろうが「この煮魚最高に美味い」となる者も絶対にいるはずである。
傲慢かもしれないが「これはこう食べるのが1番美味い」でもてなされる方が感動する可能性は大きい。
だって、相手に合わせていて喜ばれるものは『想定内』をほぼ超えない。
実はエンタメって傲慢な思考が感動を引き出すものだと思う。