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未知との遭遇

※このエッセイは、第16回おきなわ文学賞に応募したものです。(佳作入選)

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若草色とショッキングピンク。それぞれのラベルにシンプルな線でポップな人の顔が描かれている。都会から来たソムリエが持参してくれた二本のチェコ産のワインは、大ぶりな陶器のカップに無造作にどばどばどばと注がれる。銀河に浮かぶ星々にほど近いやんばるの森のふもとで、世界の新興ワインのナチュラル志向な潮流について学び、湿り気を帯び澄みわたる夜のやんばるの大気について語る。虫の声と星空を肴に味わった新しさと驚きは、私たちを永遠に広がる宇宙空間に押し出した。

 売店の朝は、かぐわしいトウフの香りで始まる。「営業中」の幟を立て、前日の申し送りの確認、掃除、在庫確認、注文、とこなしながら朝一のお客さんとのやりとりに興じているうちに、嗅覚は置き去りにされていく。
 私は去年の七月から、大宜味村田嘉里区の共同売店の運営をしている。三月末で前任の方が辞め、三か月の閉店状態を経てのスタート。経営が厳しいことは知っていたが、なんとなく心惹かれ、やってみることにした。
 この集落に住み十六年。今まで言葉を交わすことのなかった人たちとも頻繁に接する。買い物に来たおばさんが行き会った高齢の男性に「おじさん元気ねー」と肩をさすりさすりする。ちょっとハンサムなおじさんが「たばこやめられないわけよ」とにやりと笑い、毎回五箱ずつ買っていく。仏頂面の中学生がゆんたく好きのおばあに「運動会がんばったねー?」と話しかけられ作り笑いする。暑いだの寒いだのコロナだのとおしゃべりし、地域に売店があるとはこういうことかと日々納得が深まる。
 一人暮らしのA子さんは、盆暮れなどの行事ごとに重箱やお供えの果物を注文するのにしこたま悩む。重箱のサイズはこれじゃ大きすぎるけどこれじゃ質素すぎるねー、どうしようかねー、お供えの果物はわたしこの前なになにって言ったかね、リンゴ二つ、みかん三つ、なしとバナナ、あ、やっぱりリンゴじゃなくてキウイがいいな、と電話口で、レジカウンターの前で、悩みに悩む。はあー、行事なんてなければいいのに、とこぼす。目が合うとキュンとしてしまうかわいらしいおばあちゃんの悩みに付き合うのは小さな喜びだった。けれどA子さんは売店再開一周年の日に突然、銀河の星々のもとへ去ってしまった。この小さな集落では、人の死がとても身近だ。
 身近で頻繁な人の死は、人口の急激な減少でもある。集落も、また運命を共にする売店も、存続の危機にある。集落は住民たち自身でつくり支えるという自治の感覚は、地元に住む子育て世代には希薄だ。現代を生きる彼らにとり地元とは、干渉され閉塞的で、退屈なところなのだと想像する。
逆に都市のサラリーマン家庭で育った私には、「地域」というくくりで広く人と関わるのが面白い。農家、看護師、ホテル従業員、スナックのママ、建設作業員、アル中風の方、障害のある方、元教員、退役米軍人、デザイナー、工芸家、議員、役場職員・・・。田嘉里という宇宙規模的にはミクロな集落空間にあってのこのランダムな配置は、なかなかに星空的だ。地球界の新人である子供たちはピカピカの新品で、存在そのものが活力の源。長い人生を背負ったお年寄りには余白が自然と備わり、存在自体が文学的だ。宇宙に最も近いこの人たちが、私たち現役世代に健康で文化的な生活をもたらしてくれている事実も、ここにいたら実感できる。自然が身近で、近くに住む人同士が必要とし必要とされる集落の営みが往来する共同売店は、社会のあり方の道標となる、光を放つ小粒な恒星のようだ。
 都会に住む若いソムリエが、売店でワインのイベントをやりたいという。北部に住む人たちに最先端のワインを紹介し喜んでもらいたい、そうなったら自分の活動としてもとても面白いという。一足先に宇宙を体験した私たちは、それをぜひともみんなと共有したいとワクワクしてイベントを計画した。新しい飲食体験。新しい試み。時代のうねりとともに宇宙船共同売店号が異次元空間へ運ばれていく予感。
 はたして、共同売店でワインという未知の領域をめざして多くの人が訪れてくれた。都市の人はやんばるの宇宙感と、やんばるの人は非日常と遭遇するためにやってきた。人々は小粒な恒星を必要としている。共同売店は人々の好奇心とフレンドリーさと若いエネルギーを必要としている。必要とされるもの同士が引力で引き合い、新しい何かが形成されようとしている。共同売店は未知との遭遇の只中にいる。
 さて私は今日もせいぜい、近未来に向かって楽しくお仕事しようかねー。
 宇宙にはばたけ共同売店!



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