蜂須賀小六正勝

 尾張の戦国武将。

 豊臣秀吉に仕えた武将。
 
 野武士のイメージが強い。

 織田信長の側室 生駒氏吉乃の縁者らしい。

 秀吉を墨俣一夜城時代から秀長や浅野長吉らと支え続けた。
 天正14年、長年の論功により、阿波国を与えられるが、病で京都に隠遁し。国は嫡男 家政が治めた。その年。5月に没した。

墓所は大坂 大阪にあったが、近年、徳島の万年山に遷された。

また、阿波での蜂須賀家政家菩提寺 興禅寺にも墓所が建立された。

他に出身地 尾張 蓮華寺に家政と合祀の供養塔、高野山にも供養塔がある。

さらには戸塚 盛徳寺にも供養塔がある。
  
盛徳寺は子孫にあたる阿波蜂須賀家の分家蜂須賀隆重の正室 盛徳院と娘 法霊院が参勤交代にお供かなんかの途中、具合が悪くなり戸塚の尼寺で療養、しかし、回復せずお二人とも亡くなり、そのテラを福聚山盛徳院と改めて、蜂須賀家の菩提寺のひとつとした。そして、複聚いんとは小六正勝のことで、蜂須賀家家祖として崇められて供養塔が出来たのだろう。小六正勝供養塔が現存する。


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