自#446「ひろゆきさんは、世の中のことは、高校生レベルの常識があれば充分だみたいなことを仰っています。JKは『どうして戦争とかするんだろう。みんな仲良くすればいいのに』と言ったりします。その通りです。日本のルーズソックスを穿いた(もう穿いてない?)JKレベルの常識さえ、世界のトップクラスの政治家は、持ち合わせてないなと思ってしまいます」
「たかやん自由ノート446」
プルターク英雄伝のブルートゥス編を読みました。
「哲学による教養を性格に及ぼし、重々しく柔和な天性を実践的な熱意を以て振い起こし、德性に対して、最も調和を得ている」と、プルタークはブルートゥスを評しています。いくら独裁を憎んでいるからと言って、人殺しをするキャラだとは、確かに、到底、思えません。元老院の有志の中で、カエサル暗殺という流れができてしまって、王政を廃止し、共和政を始めた、偉大な先祖(ユーニウス・ブルートゥス)の子孫だったので、流れに巻き込まれ、ヘッドに祭り上げられてしまった、不幸な運命の人だという印象を受けます。
ドストエフスキーの「罪と罰」を初めて読んだ時も、何故、ラスコーリニコフが、殺人を犯したのか、その理由が、私には判りませんでした。人間は、善悪込み込みだと、日頃、安直に言っていますが、私の本音は性善論です。人間の本性は善です。人間の本性が善なのに、何故、人は人を殺したりするのか、私には謎です。モーセの十戒の「汝殺すなかれ」は、完膚なきまでに理解できます。これこそ、人間が守らなければいけない戒律の最たるものです。人が人を殺すことは、許されていません。ですから、戦争も当然、NGです。多くの先進国は、死刑を廃止していますが、私も死刑廃止論者です。
戦争に行ったことのある人から、いろいろ話を聞きました。飲み会で、匍匐前進(ほふくぜんしん)の仕方など、レクチャーしてもらいましたし、軍歌も一緒に歌いました。マラリアに苦しめられた話も聞きました。が、誰一人、敵兵を殺したという体験談は、語りませんでした。人が人を殺した話は、武勇伝になり得ないんです。それを喋ったら、人間に対する尊厳がこなごなに砕け散ります。人が、人でなくなってしまいます。
カエサルを暗殺する場面が、世界史の資料集に掲載されています。短剣を手にした元老院議員たちが、カエサルに襲いかかっています。カエサルの正面にいて、顔を背けているのがブルートゥスです。カエサルは「ブルトゥス、お前もか」と驚きの声を発しています(もっともブルタークのカエサル伝には、ブルートゥスが、腿の付け根に一撃を加えた時、カエサルは、顔を上衣で覆ったとしか書いてませんが)。
元老院議員は、トガを着ています。長い布を身体に巻き付けてあるんですが、動きが制御される衣服です。威厳のある穏やかな行動しかできない、そういう衣服なんです。トガで人を殺すとかって、まるでらしくなくて、調和してません。ジェロームが描いた「カエサルの死」という著名な絵があります。暗殺者たちが短剣を高く掲げ、勝利の雄叫びを上げています。その場から逃げ出そうとしている、暗殺に加わらなかった元老院議員もいます。ポンペイウスの像の傍にカエサルは斃(たお)れています。この絵を、世界史の資料集で見たことは、かつて一度もありません。暗殺直後の雰囲気を見事に現しているリアルな絵ですが、死体が転がってたりするのは、学校教育の教材としては、やはりNGなんだろうと想像できます。
「罪と罰」のラスコーリニコフの場合、人殺しをしてから、彼の本当のリアルな人生が始まりました。私たちの世代の身近な情報として、一番、良く知っていたのは、ベトナム戦争です。四国の田舎のちっちゃなアーミーショップにだって、ベトナム戦争でアメリカ兵が使用した、オイルライター(Zippo)とか、サバイバルナイフ、サングラス(レイバン)水筒などが売られていました。私も、タバコは吸ってませんでしたが、オイルライターを買いました。これを使って火をつけ、ラッキーストライクなどを吸ってた人が、ベトコンの兵士を殺したと思うと、複雑な気持ちに陥りました。戦争には、生涯、行かないとしても、戦争の悲劇を、多少なりとも理解するために、レコード1枚分以上のお金をはたいて2400円のオイルライターを、購入したんだろうと思います。
古代ローマには、さほどすぐれた彫刻はないと、私は思っています。有名な「プリマポルタのアウグストゥス」などは、教科書にも資料集にも必ず、掲載されています。これまで、数限りなく、この彫刻の写真を見ましたが、顔の表情がヤワで優しすぎて、政治家として百戦錬磨の超cleverな策士のアウグストゥスのキャラは、表現できてないと思ってしまいます。すぐ傍にくっついているキューピッドも、可愛げのない、小でぶのおっさん顔です。
「ブルートゥスと呼ばれる胸像」は、共和政を始めたユーニウス・ブルートゥスの肖像だと言われています。この胸像の表情は精悍で力強いです。前3世紀の中頃の制作です。前3世紀というと、ローマの共和政が完全に機能していて、ローマは右肩上がりで成長していたエネルギーに溢れている、古き良き時代です。アートは、やはりその時代の精神を表してくれます。ローマの共和政が、健全だった頃の雰囲気が、「ブルートゥスと呼ばれる胸像」には表現されています。
スキピオの肖像彫刻も、スキンヘッズで、とんでもなくヤバそうな表情をしていて、好感が持てます。「スキピオの自制」という絵のテーマがあります。スキピオが、カルタゴノバを攻め落とした時、カルタゴの貴族の娘が、差し出されます。スキピオは、少女に婚約者がいることを知って、彼女を婚約者の手に戻し、ローマ人の廉正さを示したという美談ですが、スキピオが美形の青年に描かれていて、違和感、ありありです。スキピオは、そういう高德のエピソードを作られるような、ヤワな武人ではありません。
カエサルを暗殺したブルートゥスは、若い頃、アテネで学んでいます。フィリッピの戦いで死ぬ前に(殺されたりはせず、自害します)若い部下たちに、アテネ留学時代の思い出話をします。戦争で負けて死んで行こうする人が、青春の懐古譚をする、何か、しっくり来ない気がします。キケロとの往復書簡もありますし、長生きしていれば、キケロレベルの学識に到達していた筈です。カエサルの暗殺に加担しなければ、カエサルの跡目は、オクタヴィアヌスではなく、ブルートゥスでした。
どういう理由があったとしても、人を殺せば、そこから人の人生は、間違いなく暗転します。
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