自#626「私は現役時代、カウンセリング的なこともしてました。ライブが『動』だとすると、カウンセリングは『静』的な仕事でした。両方をやっていたから、それなりにバランスが取れていたのかもしれないと、ふと、思ったりもします」

        「たかやん自由ノート626」(イヴァン雷帝)

 ウクライナのNATO加盟問題を巡って、ウクライナとロシアとの緊張が高まっています。テレビのヴァライティ番組で、ウクライナは、キエフ公国がルーツで、ロシアとは、国の成り立ちが違うといった風な解説をしていました。歴史的な背景を、きちんと知っておかないと、ヨーロッパ各国の対立や連携のありようは、理解しづらいってとこは、確かにあります。グローバルな世界で、いい仕事をしたい人にとっては、高校の世界史Bくらいのベーシックな基礎知識は、やはり必要だし求められています。
 ウクライナは、ノヴゴロドからドニエプル川を下って来たルーシーが建国した、キエフ公国が確かに、そのルーツです。ルーシーというのは、スウェーデン系のノルマンです。ルーシーは先住民と同化して、スラブ化し、ウラディミル1世の時に、ギリシア正教に改宗して、ビザンツ風の国づくりをします。その後、順調に発展していたんですが、中央アジアから、モンゴルがやって来て(バトゥの遠征です)完膚無きまでに、滅ぼされます。バトゥ遠征の7、8年後に、ローマ教皇の使節プラノカルピニが、ポーランドからキエフを通過して、モンゴルの首都、カラコルムに向かいます。プラノカルピニは
「私が旅した時、南ロシアのいたるところで眼にしたのは、畑に散らばっている無数の人骨としゃれこうべであった。かつてはあれほど繁栄していた首都キエフでさえも、今ではわずかに、人家二百を数えるだけで、そこに住む人たちも、生活苦にうめいていた」と、旅日誌に書いています。滅ぼされる前のウクライナの正確な人口は解りませんが、ノヴゴロドは、10万人規模の街だったそうですから、おそらくそれ以上の人口を抱えていたと想像できます。ちなみに、バトゥの遠征は、ノヴゴロドには行ってません。ですから、ノヴゴロドは、無傷で生き延びて、ハンザ同盟の有力な都市国家として、その後も(イワン雷帝に征服されるまで)繁栄したんです。この後、ロシアでは、300年間、例の「タタールのくびき」が、続くことになります。
 モスクワは、タタールのくびきが始まってから、ようやく登場します。ノヴゴロドやキエフと較べると、歴史の浅い国です。ですから、ウクライナから見ると、モスクワ(ロシア)は、つい最近出て来た、デビュー国だという認識に、ついついなってしまうんだろうと思います。つい最近ってわけではないんですが、4000年の文明の歴史を持つ、中国などと比較すると、確かに、中坊デビューのような国です。この中坊デビューの頃、一番、暴れたのはイワン4世(雷帝)です。
 過去に中坊ヤンキーを経験した人でしたら、多分、出会ったことがあると思いますが、何をしでかすか判らない、とんでもなくヤバい不良がいます。中坊時代限定で、18、9歳になったら、だいたいどんなにヤバい不良も落ち着きます。が、落ち着かなくて、まんま、ヤバい大人になってしまう真のヤンキーも、rareですが、存在します。幾つになっても、いつでも人が殺せる、まあそういう人間です。長生きは、できません。22歳くらいまでには、相当数、死んで、30歳を過ぎて、生き残っている人は、まずめったにいないと、推測しています。イワン雷帝は、ヤバい状態で、50代半ばまで、生きながらえました。
 1960年に、イヴァン雷帝の骨を調査しました。高濃度の水銀が、検出されたそうです。イヴァン雷帝の顧問だったベリスキーor ゴトゥノフに毒殺されたと思われます。イヴァン雷帝に限りませんが、当時のロシアの支配階級は、無節操な酒の飲み方をして、狂乱状態になります。そういう理性が上手く働かなくなった時、水銀を飲まされてしまったんだろうと推定できます。イヴァン雷帝は、酔うと手がつけられない人でした。発作的に激怒します(このタイプのヤバい人にも、私は人生で何人か出会いました)。イヴァン雷帝は、息子の嫁に暴力をふるって、お腹の中にいた孫を流産させ、止めに入った愛していた息子のイワンも、木の棒で殴って、即死させます。この前途有為の優秀なイワンを、殴り殺してしまったので、まったくもって、頼みにならない、弟のフョードルが、後を継ぎます。フョードルには、国家を維持する意志も能力もなく、イワン雷帝が築き上げた国は崩壊します。内乱の後、イワン雷帝の妻であったアナスターシャの実家のロマノフ家が、新たな王朝を開きます。その後、ロシア革命まで、300年間、ロマノフ家は、繁栄します。
 人の人生は、小さい頃の生き方で、ほぼ決定されてしまうと、私は思っています。3歳までが勝負だと言われていますが、本当にそうです。その大切な時期に、私は、母親に虐待されています。ルサンチマンの塊のような人間になって、ほぼほぼダメな人生を歩む運命だったと思われます。が、何とかまあまあ、そこそこhappyな人生を過ごせました。母親以外の周囲の人の優しさとか親切とかが、まだ物心もついてないのに、幼児の直観で、多分、理解していたんだろうと推定しています。とにかく、私を救ってくれたのは、母親ではなく、叔父、伯母といった肉親も含めた、周囲の人たちです。ですから、周囲の誰かのために、尽くすのは、自分の人生のミッションだと、そこは、perfectに理解して、公務員になり、教職に就きました。自己中心的に、自分のことだけを考えて、仕事をしていたってことは、絶対にありません。正直、まあ若い頃は、今と較べて、怒りっぽかったかもしれません。母親と同じで、そういう負の記憶は、もうとっくに忘れ去ってしまっています。人間は、誰しも、都合良く生きて行くものです。
 イワン雷帝の父親は、3歳の時に逝去しました。母親は、イワンが7歳の時に、毒殺されています。大貴族の陰謀が渦を巻く宮廷で、孤児として育ちます。自分が無能で、大貴族たちを脅かす存在ではなく、単なるロボットに過ぎないというフリをしないと、生き延びることはできません。幼いイワンは、歯を食いしばって耐えることを学び、(内心は)怒りっぽい、陰鬱な口数の少ない人間になり、他人に対しては、「不信」「猜疑心」「恐怖感」を持ち、自己防衛の本能を強め、孤独をまぎらわすために、読書に没頭します。ですが、僻遠の地のモスクワでは、読むべき本も少なく、聖書や聖書伝の類いを熟読し、神に対しては、果てしもなく敬虔であり、人間に対しては、どこまでも残虐になれるという、二面性を備えた君主になってしまったわけです。
 皇妃のロマノフ家出身のアナスターシャのことは、愛していたんですが、この愛していたアナスターシャも毒殺されます。そこから、より一層、復讐の鬼のようにcruelになります。私が、カウンセラーで、こういうクライアントがやって来たら、「うわぁ、自分には絶対無理」と、即座にお引き取り願うだろうと想像できます。

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