自#416「みんなが『これは価値を持っている』と認めれば、高い値段がつきます。ビジネスを回すために、バブリーに価値を捏造してるってとこもあります。自分自身の価値基準を持てば、日々の生活は、よりsimpleかつ質素になります」

          「たかやん自由ノート416」

「美術の歴史」を読み始めて、今日で5日目ですが、まだレンブラントにさえ辿り着いてません。ただ、バロックに入って、近代以降になると、結構、speedyに進んで行くんだろうなと云う気はします。近現代の時間の流れは速く(驀進してるって感じです)古代、中世は、超低速で時間が流れています。このヘンの歴史のrealityは、歴史教員として、私なりに会得しています。ちなみに「13歳からのアート思考」は、マチス以後のモダンアートのみ扱っています。全体の350ページを、半日(4時間)で読みました。最近の出版物は、手早く読めるような、版組みやレイアウトを施してあります。本を一冊読むのに、何日もかかるようでは、次の本が売れなくなってしまいます。内容は、少々、薄くても、読者が手早く「I dit it !!」と、達成感を味わえるように、工夫を凝らしてあります。つまり作りが安直です。真の読書好きは、新刊本からは、だんだん離れて行ってしまうんだろうなと云う気はします。

「美術の歴史」のページが進まないのは、一点一点の絵を見るのに、結構、手間取っているからということも、理由のひとつです。美術本の場合、最近の本ですと、挿入されている絵や写真はカラーですが、昭和時代に出版された「美術の歴史」の図版は、一部のみカラーで、大半はモノクロです。モノクロとカラーですと、カラーの方が、saku saku、進みます。色は瞬時に解ります。構成とかディティールが解らなくても、カラーですと、解った気になってしまいます。モノクロでは、この現象は起こりません。何を表現してあるのかは、ある程度、細かくディティールを調べないと、つかめません。「神は細部に宿る」という俚諺は、ここでも適用可能です。

 活字を読む速さは、若い頃も今も同じです。もっとも、中学生の頃は、解らない漢字や用語が出て来ると、辞書を使って、一個一個、調べていましたから、その頃は、遅かったと言えます。高校生になってからは、漢字や用語が解らなくても、調べなくなりました。いちいち調べていたら、読書のリズムが崩れます。それに、少々、解らない漢字、用語があっても、context、文脈の中で、だいたい意味は割り出せます。
「何もかも解る必要はない。完璧を目指さなくてもいい」という常識を、高校時代に身につけました。

 絵を見るspeedは、若い頃は速く、歳を取ってからは遅くなりました。私の若い頃は、カラー図版は少なかったんですが、カラーじゃなくて、モノクロでも、多分、解ったつもりになっていたんだろうと思います。いつだったか(10年くらい前です)ルーベンスの「キリスト昇架」を画集で見ていて、まん中でイエスの身体を支えている坊主のおっさんの右足の位置が「ありえへん。これ絶対にムリや」と気がつきました。ルーベンスの「キリスト昇架」なんて、これまでの人生で、何度も見ている筈なのに、見落としていたんです。見落としていたというより、ちゃんと見てなかったということです。有名な「マリーメディシス」のシリーズも、何故、画集に下絵など掲載するんだろうと、ずっと疑問に思っていたんですが、ある時、「下絵には動きがある」と、気がつきました。完成した作品は、静止画ですが、下絵は勢いとベクトルを表現した一種の動画です。二次元の絵で、動きを表現できるということを知ったのは、50代に入ってからです。若い頃は、頭で理解して、解ったつもりになっていたので、ページをめくるspeedは、やたら速かったということです。

「13歳からのアート思考」は、モダンアート、コンテンポラリーアートのひとつの見方を伝授してくれます。が、まあそれは美術史全体のささやかな一部分です。100分の1にも、満たないって気がします。シリコンバレーのIT系のCEOたちだって、美術に関して、もっと全然、幅広く深い教養を備えています。

 ルネサンスを知らないと、西洋美術の基礎基本が解っているとは、言えません。ルネサンスの大物と言えば、レオナルドダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの御三家。この超Big Nameの大物のアート作品は、どれも解り易いんです。解り易くて、なおかつ、高い価値を持っています。モダンアートは、ピカソもカンデンスキーもポロックも、解りにくいです。解りにくい作品って、本当に価値が高いんだろうかと、素朴な疑問すら持ってしまいます。

 ルネサンスの作品が、オークションに出て来ることは、まずあり得ません。本物は、もう容易なことでは売買の対象にはなりません。作品の数も限定されています。が、それでは、美術のビジネスは動きません。モダンアートの例えば、ポロックの「ナンバー1A」は、歴代5番目の超高額で取り引きされたアート作品です。この「ナンバー1A」のどこがいいのか、私には皆目、理解できません。現代のアートにもっとも影響を与えた20世紀の作品の第一位は、マルセルデュシャンの「泉」だそうです。このただ小便器をそこらに転がしただけの作品も、私にはまったくイミフです。ピカソの著名な「アヴィニョンの娘たち」さえ、私の価値基準では、「青の時代」の作品よりはるかに下です。カンデンスキーやクレーの抽象絵画は、直観で解ります。が、ポロックやデュシャン、ピカソの後期の作品に対しては、私の直観はまったく作動しません。

 ポロックの「ナンバー1A」の作品に限定します。この作品が価値があると、多くの人が認めれば、この作品には高い価値が付加されます。オークションに出品されて、高額の値段で、競り落とされれば、美術のビジネスが動きます。多くの人が、実際に価値を認めなくても、多くの人が価値を認めたという物語を捏造すれば、高額の値段がつけられそうです。モダンアートは、美術のビジネスを動かすために、バブリーに含らませた値段を、つけられているんじゃないかと云う邪推すら抱いてしまいます。本当に価値があるかどうかは別として、みんなが価値があると思っているものを所有することが、取り敢えず、嫌というほどお金を持っている欧米のセレブたちの、生活の作法なんだろうなと云う気がします。「13歳からのアート思考」を読んで、モダンアートは、資本主義に振り回され過ぎているという、率直な感想を持ちました。

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