自#601「結婚および結婚式が、『人生の花』ってことはないんですが、そこはでも、嘘でも結婚こそが、幸せの玉手箱だと、盛りまくっておく必要がやっぱりあります」

      「たかやん自由ノート601」(人生の花)

 上村松園さんは、12歳で京都府画学校に入学し、鈴木松年に師事し、15歳の時、第三回内国勧業博覧会に「四季美人図」を出品し、一等褒状をもらいます。この作品は、英国王室のコンノート殿下がお買い上げになります。わずか15歳で、権威ある大会で、グランプリを獲得したわけです。まさに天才少女です。が、15歳で天才少女だと、持て囃(はや)されると、その後の人生は、大変だろうなとは、思ってしまいます。この「四季美人図」は、画集には残念ながら掲載されてません。
 18歳の時、師の許しを得て、幸野楳嶺門に移ります。鈴木松年も、幸野楳嶺も、ともに四条派ですが、松年の筆致は、渋くて豪快。その筆致は紙をも破ると言われていました。楳嶺のそれは、柔らかく妙味のある作風だったようです。楳嶺は、儒者と交わり、漢籍も学んでいます。松園さんは、後に漢詩や漢文を学びますが、それは、師の楳嶺に感化されたからだと思われます。人生、如何に生きて行くべきなのかという人生観、世界観が、おぼろげながらも確定するのが、18歳~20歳くらいの頃です。この大切な時期に、楳嶺門下で過ごしたことが、松園さんの人生の方向、つまり画家としてプロになることを、決定してしまったんだろうと推定できます。
 松園さんが、juvenile、adolescenceを過ごした時期は、まだ明治の前半です。女性は、いいとこにお嫁さんに行って、良き妻になり、良き母になること(つまり良妻賢母)が、一番の幸せだと、誰もが信じて疑わなかった時代です。
 松園さんが20歳の時、師楳嶺が没し、楳嶺門下の四天王の一人であった、竹内栖鳳に師事します。栖鳳は、写生を門下生に勧めます。松園さんは、近代的な写実精神を、栖鳳から学びます。栖鳳はヨーロッパに遊学し、コローやターナーを学んで、帰って来ます。師栖鳳は、西欧絵画を学んで、新機軸を開き、新画風を作りあげたと言えますが、松園さんは、西欧絵画の影響は受けず、純japanで、絵を描き続けたと、私は判断しています。
 手元の画集に掲載されている松園さんの一番最初の絵は、25歳の時に描いた「人生の花」です。女性にとって、人生の花とも言えるビッグイベントは、今も昔も結婚式だろうと推定できます。当時は、ゴンドラに乗って、天井からbride、bridegroomの二人が、舞い降りて来るようなハデな結婚式は存在してなくて、花嫁御寮は母親に付き添われて、しずしずと婚家に向かいました。花嫁が、馬に横座りして、婚家に向かう場合も、良家の場合、多分、普通にあったと思われますが、馬などが入ると、絵が複雑になってしまうので、松園さんは、徒歩で歩んでいる花嫁とその母親を描いています。
 松園さんは、知り合いの呉服商に「つうさん(松園さんのこと)は、絵を描くし、器用だし、一つ着付けその他の世話をして貰えないか」と頼まれて、嫁入りの手伝いに出かけます。その折、リアルの光景を手早くスケッチしておいて、この絵を描いたようです。
 花嫁の着物は、黒の紋付きの振り袖。振り袖の裾の方に、鉄線やプリムラのような花を散らしています。黒の地が、グランデーションで薄くなり、そこに青や薄いピンクの花が浮かんでいるという趣向です。帯の地は杏色で、渋めの明るさです。帯には、桐の葉を、みどりや青で、描いています。帯の結び方が、大胆で華やかです。帯の結び方や、髪型についての知識がないので、適切な用語が、浮かんで来ません。が、嫁入りの日にふさわしい帯の結び方であり、髪型だと理解できます。付き添っているお母さんの背筋は、すーっと伸びています。花嫁の方は、たおやかな雰囲気を感じさせるためだと思いますが、身体はゆるいS字曲線で表現されています。簪(かんざし)、櫛、角隠しの白布、着物の紋など、細部に渡って丁寧に描いてあります。これは、その場で速写したスケッチ帳を活用したんだろうと推定できます。
 花嫁は、下脣(したくちびる)に、青いリップクリームを塗っていて、それは、髷に挿してある簪の色と合わせています。昔だったら、歯を黒く染めています。青い脣の奥に、黒い歯が覗いて見えるのは、ある種、妖艶な美しさだと言えるのかもしれません。
 作品の解説には「これから式場に向かおうとしている花嫁の羞じらいを含んだ可憐さと、その母らしき人の背筋を伸ばして緊張した面差しが対照的に描かれている」と、記載されています。「うーん、何か違うな」と、やっぱり感じます。だいたいにおいて(95パーセント以上の確率で)解説文と絵とは、ズレています。私も、写真のキャプションなどを、時々、書いたりしてましたが、やは95パーセント以上の確率で、ブレていました。写真や絵を、言葉で表現することは不可能です。音楽も無論そうです。
 写真や絵画、音楽の評論などは、枚挙に暇がないほど、世の中にはあふれています。コメントというか解説文の類いは、まあ一種の他愛のない、賑(にぎ)やかしです。正鵠を得る必要はないし、そんなことができるとも思えません。が、賑やかしがあった方が、文化は盛り上がりますし、その賑やかしが、触媒の作用を知らず識らずの内に果たして、絵の理解が、一層、深まるってこともあります。
 婚家に向かう花嫁は、まったくもって無表情です。確実に言えることは、これまでの少女時代の幸せは、未来永劫、今日を境にして、消滅してしまうということです。婚家で新たに築き上げる幸せというものも、あるのかもしれませんが、もしかしたら、婚家では、取り返しのつかない不幸せが、待ち受けているのかもしれません。期待、希望は2割、おそれが8割。ですから、全体としては、やっぱり不安。どうしたって、木で鼻をくくったような、無表情になってしまうと推定できます。
 母親は、後ろ六分の一正面くらいですから、表情は確認できません。母親だって、娘が、確実に幸せになるなどと、考えているわけではありません。舅、姑、小姑たちに、自分の娘がいびられ、毎日、苦労することは目に見えています。が、これ以外の女の生き方は、母親には想定できないんです。「結婚=腹をくくって新たな試練にchallengeする」です。
「人生の悪の花」というタイトルにしてしまったら、出品する段階で、撥ねられてしまうかもしれません。「人生の悪の花」を「人生の花」にカモフラするのは、南アフリカのケープ岬を、「嵐の岬」から「希望の岬」にネーミングをchangeしたのとある意味、同じです。人は誰しも、自分をも人をも上手に騙しながら、positiveかつ前向きに生きて行く必要があります。

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