自#428「歳を取れば、取るほど、人生は楽になります。長生きして判ることは、いっぱいあります。今、辛くても、ちょっと我慢していたら、楽になると信じて、若い人は、頑張って欲しいです」

         「たかやん自由ノート428」

 以前使っていた倫理の教科書に、ミケランジェロの「アダムの創造」と「原罪と楽園追放」の二つの絵が掲載されていました。「原罪と楽園追放」は、左側にヘビから林檎を手渡されるエヴァと、その傍に立っているアダムを描き、右側に天使の杖で楽園を追い払らわれる二人の姿を描いています。林檎を受け取っているエヴァは、身体のプロポーションもきれいで、顔の表情も凜としていて美人です。アダムの顔は、林檎の樹の陰になっていて、はっきりとは判別できません。筋肉のつきかた、全体のプロポーションは、創造された直後より、ちょっと劣化してるという印象を受けます。追放されるアダムとエヴァは、一気に年老いて、残念な二人になってしまっています。エヴァの首の位置は、あり得ないくらいヘンです。二人の筋肉もぼてぼてです。ミケランジェロじゃなく、弟子が描いたといえば、それまでって感じですが、ミケランジェロは、総責任者として、このぼてぼての二人を容認したわけですから、ここはやはり、完璧だった筈の神の被創造物だった二人が、不完全な人間になってしまったという寓意を、読み取るべきかなと思います。

 中高時代、アダムとエヴァの話は、正直「はぁ?」って感じだったんですが、アダムとエヴァはさておき、神は少しもperfectじゃないなと理解しました。創造直後に、すぐに約束を破ってしまう二人を造り上げた神も、不完全な存在だと思いました。perfectなものは、この世には存在してないだろうと、子供の頃から薄々、気がついていたんですが、それが、はっきりと認識できたのは、高1の頃です。

 アダムとエヴァは、神との約束を破って、知恵の樹の実(聖書には、林檎という名前は出て来ません)を食べたため、この先、一生涯苦労し、最後、土に帰って死ぬ運命になったと、教科書に書いてあります。これを生徒に、取り敢えず、頭の片隅でもいいから解ってとかと、訴えても無理です。林檎一個を食べただけで、死刑判決を受け、将来、それが確実に執行されると云った話を、すんなり理解できる思考の枠組みを若者は(いや若者じゃなくて普通の大人も)持ち合わせていません。

 人間は、相手がたとえ神であっても、約束を破り、自己中心的な生き方をする存在であるということは解ります。青年時代に、一度も約束を破らなかったような人は、絶対にいないと断言できます。神がアダムに、何故、樹の実を食べたのかと責めると、アダムは、エヴァにもらったからと返事をし、エヴァは、ヘビに惑わされたからと、言い訳をします。約束を破っておきながら、言い訳までする。実に、人間はカッコ悪い、情けない存在です。その情けなさは、楽園を追放されるアダムとエヴァの描写を通して伝わって来ます。人は、誰でも、情けなくて残念な状況に陥ることが、必ずあるという教訓(?)を伝えることは、できそうな気がします。

 追放される二人が、反省しているかと言えば、別にそうでもないです。いきなり運命が激変してしまったので、反省どころじゃないって感じがします。林檎の実を食べたことが、何故、これほどの大悲劇を引き起こすのか、正直、納得できないってとこも、あると思います。

 上野の西洋美術館の中庭のアダムとエヴァは、これまで、何回も見ました。二人とも、うなだれて苦悩のポーズを見せています。苦悩はしていると思いますが、今後、どうにかこうにかして、食って行かなければいけません。神は「面に汗して食物を食らふ」と云うペナルティを、アダムたちに与えたわけですが、逆に言うと、面に汗をすれば、食って行けるわけです。面に汗を流して、逞しく働き続ける身体が必要です。弱々しいフレイルな身体では、生き抜いて行くことができません。ロダンは、アダムのモデルとして「鉄の顎を持つ男」と呼ばれていた力技の芸人を使ったようです。胸とか手足が力強い感じで、何をやっても食って行けそうな気がします。エヴァの方は、豹のしなやかさと優美さを具えたモデルだったそうです。が、モデルが妊娠して、頭部と両足は未完成で、そこは後からつけ足したようです。足の先とかは、確かに、未完成かもって気はします。ミケランジェロのクマエの巫女とかリビアの巫女は、肩から腕にかけての筋肉がしっかりしていて、巫女じゃなくても、面に汗して食って行けそうなpowerfulなものを感じますが、そういう筋肉女子は、まあ、いつの時代もそう好まれてないわけで(今、トレンディですが、筋肉女子は、そんなにはモテません)ロダンのエヴァは、しなやかでスマートなプロポーションです。

 中高時代、いろいろしっくり来なかったアダムとエヴァですが、年を取ると、林檎を一個食べただけで、その後の人類が全員、重荷を背負うとかでも、まあいいかと、許せるようになりました。逆に、何ら苦労もせず、楽園で暮らし続けるという生活は、信じられないし無理だろうって気がします。

 ルーベンスの「アダムとエヴァ」は、まだ二人とも林檎を食べてません。エヴァは右手に林檎を持って、今まさに囓(かじ)ろうとしている瞬間です。アダムは
「ちょっと、ちょっと、それ食べるちゃいけないと、神様に言われている樹の実じゃないのか」と、忠告しようとしています。禁断の果実を食べてしまったら、この二人の運命も、その後の人類の運命も、激変してしまうという緊迫感は、この絵からは1ミリも伝わって来ません。そう深く考えたわけでもなく、軽いノリで食べたんです。アダムはエヴァが食べたので、「じゃあ、しょうがないか」と、林檎を食べます。その結果のペナルテイは、とんでもなく重かったんですが、どんなにペナルティが重くても、それを苦だと考えていたら、人生は、辛くてしんどいものになってしまいます。その後、面に汗をして食べて行くのも、まあ軽いノリでいいかと思ってしまいます。

「青春時代が一番、辛くて大変。大人になって、年を取れば取るほど、人生はどんどん楽になる」と、若い頃、先輩に言われましたが、まあ、それは確かにそうだったなと、納得しています。

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