美#140「台風が来たら、帰りは電車が止まることも覚悟して、上野の美術館に出向くつもりですが、残念ながら、夏休みは、時折、ゲリラ豪雨は襲って来ますが、毎日、晴天です」

             「アートノート140」

 モディリアニは、14歳の時、中学卒業の資格を取得し、リヴォルノの美術学校に入学した。先生のグリエルモ・ミケーリは、風景画家で、モディリアニも風景画を修練した。スタートは、風景画家だったが、17歳の時、肺結核になり、転地療養のために、フィレンツェに行って、フィレンツェの美術学校に入学してからは、風景画は描かなくなった。 その後、モディリアは、パリに行って、メキシコから修業に来ていたディエゴ・リヴェラと、親しく付き合っていたが、風景画についての二人の考え方は、真逆だった。モンパルナスのカフェ「ロトンド」で、モディリアニが「風景画、そんなものはない」と、風景画をばっさり切って捨てると、リヴェラは、「風景画はどうしてもある」と、譲らなかったらしい。
 モディリアニが、一番、親しくしていた飲み友達は、ユトリロだった。ユトリロは、風景画しか描かない。が、ユトリロは、酒席で議論はしなかった。ユトリロが風景画を描いたのは、モンマルトルの寂れた街の風景が好きだったからで、他者と議論をする類のテーマではなかった。ユトリロは、人物画は、ほとんど描いてないが、それは、他者と付き合うことが、苦手で嫌いだったから。アルコールは、コミュニケーションを促進する目的のために飲んでいたわけではなく、飲んで暴れるための起爆剤だった。
 集英社と美術出版のモディリアニのそれぞれの画集には、「南フランスの風景」(原題は、Paysage du Midiなので、「正午の風景」と訳した方が、より正確)という同一の絵が掲載されている。同一の絵である筈なのに、例によって、色調がまったく違う。集英社の方は、早春の正午だが、美術出版の方は、晩秋の正午。家と家との間の路地は、海に向かっている。地中海の海だが、その海にも、海の上の青空にも、広がる雲にも、感情移入できない。何ら変哲もない、風景画で、部屋にレプリカを飾っておきたいという気持ちには、とてもならない。美術館で、本物を見たいとも思わない。セザンヌの影響を受けているということは、何となく理解できるが、「だから何?」と、突っ込みたくなる。
 モディリアニは、ディエゴ・リヴェラの肖像を描いている。サンパウロ美術館が所蔵しているリヴェラの肖像は、かなりラフに描かれているが、リヴェラの狂暴で、覇気満々、人を人と思わぬ、大言壮語する特徴は、巧みに描かれている。上半身も顔も丸く、目は細くて、口脣は厚く、メキシコからやって来た野人の雰囲気を、完膚無きまでにかもし出している。
 スーティンは、リトアニアからやって来た野人だった筈だが、モディリアニは、静かで落ち着いたスーティンの上半身像を描いている。モディリアニは、リヴェラとの論争において、風景画を認めてなかったが、リトアニアからやって来た、貧しいユダヤ人の風景画は、認めている。
 私は、スーティンの風景画を、京橋のブリジストン美術館で見たことがある。15歳の夏、倉敷の大原美術館で見たスーティンの作品は、皮を剥がれて吊された痛々しい鴨だった。上野の西洋美術館で見たのは、赤い服を着て、みどりの道化帽子を被った狂女だった。鴨も狂女も、デフォルメされてなくて、リアルだった。スーティンが育った、リトアニアのゲットーで、彼が子供の頃に見た実景だと想像できる。
 スーティンの風景は、明らかにデフォルメされている。自然は、本来、野分が吹き荒れようと、ゲリラ豪雨が襲って来ようと、自然そのものは、恐怖をかもし出さない。自然の傍にいれば、安全は確保できるんじゃないかと、勝手に解釈してしまう。が、自然の山や森に、災害の猛威が襲うと、時として、海以上に恐ろしい。スーティンは、自然の恐ろしさを、可視化し、目に見える形にして提示してくれた。
 人が生きて行く場合、自然の中に、理解できない他者の中にも、最適解というものは、存在してない。今、少なからぬ若者たちが、リアルの人間も、リアルの自然も避けて、自然をも含めた他者とは、出会わないという行動様式に嵌まりつつある。東京都だって、引きこもっている若者のために、アバターで参加するヴァーチャルな空間を構築しようとしている(あるいは、もう構築済みなのかもしれない)。
 生きて行くことには、答えは存在してない。無論、最適解もない。人との、あるいはモノや自然との出会いには、リスクとノイズが発生する。リスクやノイズだけでなく、時々、間違いだった起こる。
 人間は、かつかつでこの世界の中で生きている。リトアニアの貧しいゲットーで育ったスーティンには、それは自明だった。私は、ブリジストンのスーティンの不安や孤独、苦悶などが渦を巻いている風景を見て、正直、えらく安心した記憶がある。スマートで機能的、メカニズムの利便性が、嫌というほど鼻につく都市空間の景色の中に、嘘や偽善を発見するよりも、スーティンの荒れ果てた風景の方が、心地良いのは、私という人間が、ひねくれているからかもしれない。が、私は自分がひねくれていたから、ひねくれた若者が好きだった。自分のできる範囲内で、サポートをしようと努力していた(今だって、少しはしている)。モディリアニが、スーティンを贔屓にした気持ちは、判らないでもない。
 モディリアニは、キスリングの肖像も描いている。モディリアニの絵だけで判断してもキスリングは、エコール・ド・パリのメンバーの中では、もっとも健全な常識人だという気がする。健全で常識的なキスリングの作品に、価値があるのかどうかは、私には判らない。私は、たとえレプリカであっても、キスリングの花や風景、静物などの絵を、自分の部屋に飾ったりはしない。
 キスリングは、社交的で、コレクターとの交渉なども愛想が良かったらしい。彼は「働いて、食って、飲んで、働いて、裕福に暮らして、それから結婚する、それだけのことさ」と、自己の人生哲学を語っていたらしい。「うーん、アーティストとして、それ、どうよ?」と、思わなくもない。

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