自#392「2022年度から、高校に歴史総合という新しい科目が導入されます。chnceがあれば、教える気持ち満々です。今まで、一度もchallegeしたことがないんですが、小津とか黒沢の映画を、どこかで見せてあげたいと皮算用しています」

         「たかやん自由ノート392」

 池上彰さんの「そうだったのか現代史」を読みました。表紙のカバーに、ブランデンブルク門に東西ベルリンの人たちが集まっている写真が使われています。ベルリンの壁、崩壊直後の風景です。東西冷戦の象徴のひとつであったベルリンの壁が、崩壊したのは1989年です。32年前ですが、ついこの前って気もします。が、今、教えている高校生は無論のこと、私が11年間勤めて面倒を見たJ高校の教え子も、誰一人、まだ生まれてません。チャーチルの鉄のカーテンの演説も、ガガーリンの「地球は青かった」も、フルシチョフのスターリン批判も、キューバ危機も、遠くなりにけりです。第二次世界大戦以後を、現代史と言っていいと思いますが、現代史の知識を持たないまま、大学に入って来る学生が多いので、現代史を自分がやさしく書いてみましたと云った風なことを、池上さんは、序文で述べています。

 高校の世界史は、第二次世界大戦くらいまでしか、終わらないと思います。そのあと、頑張っても、せいぜい1954年のジュネーブ会議あたりまで。その後は、自学自習か塾にお任せというのが、実情だろうと想像しています。

 私は高校時代、第一次世界大戦までしか習ってません。高2の先生は、イスラムも中世も飛ばして(最後にプリントが配られました)ギリシア・ローマ史と中国史を、重点的に取り上げました。勉強は、結局、自分でやるものですし、別段、不満も抱かなかったんですが、現代史が手薄なのは、入試でほとんど扱わないということも、大きな理由です。ただし、センター試験は、教科書の全範囲から出題していました。センター試験用の問題集で、全範囲を薄く押さえ、本試験のために、近代史を重点的に学ぶのが、世界史の受験勉強の王道です。センターが共通テストになっても、きの基本は、多分、同じです。業を煮やしたのかどうかは判りませんが、日本史と世界史をともに、現代まできっちり押さえる歴史総合という科目が、来年(2022年度)から、高校の現場に導入されます。そっちは、コロナ禍のなうまでを、カバーする科目です。私は、来年、chanceがあれば、歴史総合を教えようと思っています。自分自身が実際に生きて、体験した歴史を教えるのは、それはそれで、楽しそうです。
「オイルショックの時、なぜ、みんなはトイレットペーパーの買い占めに走ったんですか?」と質問されても、答えられるように準備をしておかなければいけません。去年の緊急事態宣言の前も、やはりトイレットペーパーの買い占め事件が起こりました。これの答えは、まだ充分には準備できてません。もし聞かれたら、取り敢えず、「あれは、つまりオイルショックの時の刷り込みだな」と、根拠のないおざなりな返事で、お茶を濁すつもりです。

 エンディング曲を流す時に、関連の現代史に触れるということは、これまでにもありました。イギリスの貿易収支が赤字の国には、いつでもビートルズを送り込む用意があると語った、ウィリアム首相のスピーチや、湾岸戦争の時「Born in the USA」のタイトルと、曲を勝手に使われてブルーススプリングスティーンが怒ったというエピソードとか、スティングが、チリのピノチェトの圧政に抗議して、アルゼンチンの国境付近でライブを開催したとか、などなど。

 James Bluntが、「back to bedlam」を発売して、一世を風靡した時、曲の背後に戦争と平和の問題があるなと直観しました。平和はともかくして、戦争をテーマに曲作りをすることは、ほぼ不可能だと、私は思っています。チャイコフスキーの「1882年」は、ナポレオンのロシア遠征がテーマなのかもしれませんが、この遠征がきっかけではあっても、戦争そのものに、作曲家が向き合っているわけではありません。

 James Bluntは、イギリスの職業軍人の家系で育ち、NATO軍の平和維持軍の将校としてコソヴォに派遣されます。1949年に発足したNATO、北大西洋条約機構は、米ソが対立していた東西冷戦の間は、一度も武力を行使したことはなかったんです。ソ連が崩壊し、東西対立が消滅し、これで世界がやっと平和になると、多くの人楽観した頃、ユーゴスラビアは解体し、内戦を始めました。東西対立がなくなった後、NATOは、セルビアに武力を行使しました。NATOにはNATOの言い分があるのかもしれませんが、戦争には正義は存在しません。正義のための戦争という言葉自体、矛盾しています。NATOの撃ち込んだミサイルは、誤爆を繰り返し、セルビア系だけでなく、アルバニア系やその他の無辜の人々を死亡させました。誤爆をしたのは、古い地図を使ったからだそうです。地図がどうであれ、ミサイルを撃ち込めば、無関係の人も命を奪われます。

 James Bluntがコソヴォで見たのは、戦争の地獄です。職業軍人は、戦争のリアルの地獄絵図を、何でもない劇画の一ページを見るかのごとく、sakuっと、スルーしなければいけません。それが、できなければ、職業軍人とは言えません。James Bluntには、それができなかったんです。この世の地獄と、悲しみと憎しみの中で生きる希望を失った人たちを目の当たりにして、呆然と立ちすくみます。NATO軍の将校として、リアルの戦場に派遣されて、やっと、自分は職業軍人には向いてないということを、理解します。James Bluntは、子供の頃から音楽が好きだったんです。高校時代は、エレキギターも弾いていました。やっぱり自分は、ミュージシャンを目指そう、まあ、こんな風に考えた兵士や将校は、過去にもそれなりにいたとは思いますが、職業軍人をリタイアして、プロミュージシャンになったのは、私が知る限りJames Blunt、一人だけです。

 イギリスでも、日本でも、ミュージシャンになるためには、少なくとも高校くらいから、活動をする必要があります。それまで、何もしてなくて、大学卒業後、ミュージシャンになると決意して、プロミュージシャンになったのは、スターリンの遠藤ミチローさんだけです。基本、大卒では、手遅れです。イギリスでも、事情は同じです。が、アメリカは、スタート地点がどこであれ、才能さえあれば、chanceがあります。音楽に限らず、その他のアートでも、才能で勝負したいのであれば、USAを目指すべきです。アメリカは、アートに関しては、diversityな国です。日本のdiversityは、まあ今のとこ、まだ何ちゃってです。こんな同調圧力だらけの国で、diversityとかって、「それって、冴えないジョークでしょう」とすら思ってしまいます。

 James Bluntは、曲を作って、イギリスのレーベルに、売り込んでみますが、相手にされず、テキサス州の音楽見本市でパフォーマンスをして、USAのプロデューサーに「LAのスタジオで録りましょう」と声をかけられます。

 back to bedlumのbedlamは、精神病院。コソヴォの生活は、精神病院で過ごしたような体験だったと云う意味だろうと想像しています。私は、エンディング曲で、4曲目の「Goodbye My Lover」を流していました。戦争の悲劇を昇華して作り上げた、崇高で美しい、文句なしの名曲です。

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