創#697「毎日、リンゴ2個と、水とで、10日間ぐらい過ごす。まあ、今でも、これくらいのことは、普通にやれそうな気はしています」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー441」

 私はYと別れて、京阪電車に乗って、京都に向かっていた。Yは、小5、6の時と、さして変わってないように見えた。考えてみると、自分の中学時代は、疾風怒濤だった。賢くcleverに立ち回ったお陰で、J中の同級生のYやTと違って、少年院にも行かず、無事、中学校を卒業した。
 中学校を卒業した段階で、人生はもう大半、終わったと感じていた。Yが、中学校を卒業して、大阪に向かう時、K駅に行って、Yを見送った。Yの表情は、明るいとは言えなかった。15歳から、少なくても10年間、地道に修業をしなければいけない。15歳の少年が、厨房で地道に修業をしている内に、いつの間にか、25歳の大人になってしまう。15歳の頃、10年先を考えて、キャリアプランを組み立てろと言った、社会科の先生がいた。Yは、10年間の修業の後、一人前の板前になるというキャリアプランを作り上げて、大阪に向かった。
 私の母親は、小学校を卒業して、大阪に行って、海軍の寮で賄いの仕事に就いた。姉(つまり私の伯母)が、すでにそこで、賄いの仕事をしていたので、大阪で仕事をすることには、抵抗はなかったと想像できる。私は、現在の病院の付添婦の仕事に就くまでに、何度も、母親が転職をする姿を見て来た。別段、不安とか怖れとか躊躇とかは、一切なく、ある日、いきなり住む所を変えたり、仕事を変えたりした。必然性があって、そうしたのではなく、一種のひらめきというか勘が働いて、生き方を変えていると推測できた。モノゴトを深刻に、深く考えて悩んだり、迷ったりはしない人だった。
 母親の思いきりの良さは、見習わなければいけないと判断し、私も迷ったりはせず、高1の夏休みの後、高専を退学した。まったくの誤算だったのは、高専で出会った親友のHも、一緒に退学したことだった。そうすると、Hの人生に対し、自分は責任を持たなければいけないことになる。が、お互いが、お互いの人生に責任を持つのが、親友というものだと漠然と理解した。
 Hの家は、農家で、農業の仕事で食って行くことができた。農業の仕事のスキルは、15歳までに、Hは身につけていた。私も、食って行くためのスキルを、まず身につけなければいけないと考え、バーテン見習いになった。
 バーテンなら、3年で一人前になれると、皮算用していた。10年の修業はきついが、3年なら頑張れそうだった。「石の上にも三年」という俚諺がある。中学も高校も3年で卒業する。そう考えると、小学校の6年間は、はてしなく長いような気がする。その小学校の6年間より、さらに長い10年間の修業は、自分には無理だと、15歳の時には考えた筈だが、二十歳になってみると、10年なんてあっという間じゃないかと、思えるようになった。
 0歳の時の1年間を、1だとすると、X歳の時の1年間は、X分の一という公式があるらしい。そうすると、二十歳の1年間は、0歳の時の20分の1の長さになる。0歳の時のことは、まったく覚えてないので、比較できない。10歳の時と、20歳とを比較すると、10歳は10分の1、20歳は20分の1の長さだから、20歳の1年間は、10歳(小4)の半分の長さになる。これは、まあ、確かにそうかもと、納得できる。
 比叡山延暦寺の千日回峰は、7年間の修業。「石の上にも三年」で、3年間が修業の限度のような気もするが、板前の修業は10年だし、立派な僧侶になるためには、7年間くらいの修業は、別段、何ごともないかのように、clearしなければいけないのかもしれない。
 中学校を卒業して、高専に入るまでの春休み、スーパーの八百屋でバイトをした。早朝、マスターと一緒に市場に行って、購入した野菜や果物を軽トラックに積み込み、スーパーに到着したら、開店時刻までに、品出しを済ませておく。大変なのは、開店するまでの作業で、開店してしまうと、正直、たいして何もすることがなくて、ひたすらリンゴを磨いていた。リンゴは、磨けば、ぴかぴかになる。
 私は、子供の頃、野性のリンゴを野山でしょっちゅう食べていた。マスターに
「自分は子供の頃、山でリンゴを食べましたが、リンゴの表面は、もっさりとした感じで、こんな風にぴかぴかに光っていると、何か逆にちょっと不自然な感じがします」と、伝えると
「リンゴは、ぴかぴかに光っているものだと、みんな思い込んでいる。もさっとした肌のリンゴでは、誰も買って行かない」と、マスターは反論した。
「もさっとしたリンゴの方が、よりnaturalで、ありのままの自然に近いということを、お客さんに判って貰えばいいんじゃないですか。『よりnaturalなもさっとリンゴを、ぜひお買い求め下さい』と、ポップをつければ、リンゴ磨きなんて、仕事は不要になります」と、私が言うと
「そうすると、バイトの君の仕事がなくなる。何もせず、遊んで過ごしているバイトに給料を支払うことはできない」と、マスターは私に伝えた。
「つまり、リンゴ磨きは、仕事をしているというアリバイ作りの無駄な労働ってことですか?」と、私が突っ込むと
「アリバイ作りには役だっているわけだから、決して、無駄な仕事ではない。それに、若い男の子が、生き生きとリンゴを磨いている姿を見ると、それだけで、happyになれるお年寄りの方とかも、きっといる。リンゴだけじゃなく、happyも売らなきゃいけない」と、マスターは返事をした。
「そのhappyの値段はいくらですか」と、私が聞くと
「無論、happyは、無料だ。本当に大切なものには、値段がつけられない」と、マスターは、託宣を垂れるように言った。
「アリバイ作りの仕事なのに、幸せっぽい雰囲気をそこかしこで、まき散らしながら、リンゴを磨くということですか。世間では、それを偽善と言うんじゃないですか?」と、私が言うと
「偽善上等!!、アリバイ作り上等!! 幸せのフリ上等!!、能力の限界まで、幸せなフリをし続けたら、ボーナスで、帰りにリンゴを二個、プレゼントする」と、マスターは、大真面目な口調で言った。
「それじゃあ、自分は、毎日、リンゴ二個だけを食べて、カツカツ生きている可哀想な欠食児童ってことになるんじゃないですか?」と、私は笑いながら言った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?