自#535「普通郵便の配達は、10月2日から、一日後ろにズレます。手紙は、今や風前の灯火(ともしび)的な文化ですが、何とか手紙文化をkeepし続けたいと思っていますし、努力もそれなりにするつもりです」

          「たかやん自由ノート535」

 フルタイムの教職をリタイアする前に、何人かの方に、「退職したら、何をするんですか?」と、聞かれました。体力があって、夜起きているのが平気だったら、ライブハウスのカウンターで、コップや皿を洗ったり、ハイボールやヴィオレットフィズを作ったりしたかったんですが、夜起きていることが、もう絶対に無理なので、ルーツの水商売にcome backすることは諦めました。人間が本当に生き生きと活躍できるのは、夜だろうと、今でも思ってたりします。その夜に、activeに行動できないのであれば、社会のために役立つことも、たいしてできないし、自分の趣味を細々と続けて、take it easyに、気楽に生活して行けばいいと、50代の半ばくらいには、退職後の生活の青写真は、できあがっていました。
 退職後は、古典を読む。これは、10代の受験生の頃、小西甚一さんの「古文研究法」という参考書を読んだ時から、決めていたことかもしれません。「古文研究法」の後書きに、「若い頃は、西欧の文学に親しめばいいと思うが、歳を取ったら(日本の)古典を読みなさい」といった風なことが書かれていました。二つ目は、ブログを書くです。三つ目は、展覧会などに小まめに足を運ぶ(これは、東京に住んでいる人間の特権だと思っています)。四つ目は、これまで通り、手紙を書く。
 まあ今までやって来たことを、老後も淡々と続けて行くわけで、退職後の青写真などと、言えるほど大袈裟なものでもありません。コロナ禍で、展覧会巡りは、できてません。ですから、自宅にある画集を開いたり、古本屋で買って来た、展覧会のカタログを眺めたりしています。
 四つ目の手紙を書くは、老後のプランとして、わざわざ書くほどのことでもないんですが、手紙よりパソコンメールの方が、断然速いし、安いし、確実だし、手間もかからず、費用対効果を考えても、手紙はもうあり得ないと、理屈では判っているんですが、手紙を書く文化を、自分としては残したいし、仲の良い教え子たちにも、手紙文化を伝えたいと、思って、書いています。ただ、封筒とか便箋、切手などには、もうこだわらなくなりました。銀座の鳩居堂で、和紙の封筒や便箋を買って来て、墨を擦(す)って、筆で手紙を書くとかってことに、憧れないわけでもないんですが、万年筆やボールペンで丁寧に書いても、私の字は下手すぎて、判読不能です。ましてや、毛筆をやです。
 永井荷風は、鳩居堂で購入したであろうツールを使って、原稿や手紙を書いています。手紙くらいの容量のコンテンツでしたら、墨を擦っている間に、何をどういう順序で書くのか、構想は即座に浮かびそうな気がします。
 毛筆の手紙は、当然ですが、縦書きです。縦書きで書き流して行くと、言葉が次々と流れるように、浮かんで来るんだろうなと、想像できます。私は、文章を書き始めた最初から、文字はすべて横書きです。横書きだと、縦書きほど、言葉はスムーズに流れてくれません。が、まあその稚拙な文章の書き方にも、さすがにもう慣れました。今さら、縦書きにして、文体をよりすっきりさせたいという欲望も、持ち合わせていません。
 10月2日、今週の土曜日から、郵便配達のスタイルが変わります。まず、土曜日に配達しなくなります。配達員さんも、完全週休二日制に移行するわけです。これは、まあ時代の流れですし、土曜日に休むのは、当然かもしれません。新聞は、現在、月イチで、休んでいますが、完全週休二日制にして、週五日しか、新聞が届かない状態になっても、読者は、さほど困らないと思います。現在、前日の夕刊と、翌日の朝刊の記事は、結構、重複してたりします。夕刊が配達できない地域、あるいは夕刊を取らない家庭のことを配慮しているのかもしれませんが、夕刊ももう不要です。朝刊のみ、週五日発行すれば、必要な情報は、届けられると思います。が、まあそうすると、多くの人が、ネットニュースに全面移行してしまうかもしれません。今や、新聞というメディアは、完全に斜陽、衰退局面に入っていますし、何らかの抜本的な生き残り策を構築しないと、次々にfade outしてしまいそうな気がします。
 郵便配達の方は、10月2日以降、普通郵便の配達が、今までより一日、後ろにズレるようになります。これまで、月曜日に郵便ポストに投函すると、水曜日には相手の自宅のポストに届いていました。それが一日、延びます。月曜日に投函すると、木曜日に到着ということになります。パソコンメールだと、「秒」で相手のメールアドレスに届きます。郵便の場合、土日を挟んだ、金曜日に投函すると、翌週の水曜、下手すると木曜日くらいにやっと届くことになります。金曜日に投函して、翌週の木曜日に届くとして、私のような不要不急の手紙を書いている人間には、別段、大きな支障はありませんが(外国に出すエアメールは一週間くらいはかかりますから、国内郵便も、エアメール並に時間を要するようになったと単純に考えればいいだけのことです)手紙を、業務用の通信手段として、使っている人には、往復十日以上日数のかかる手紙は、業務上の通信手段としては、もう不可だってことになるのかもしれません。
 新聞の配達制度は、早晩、なくなるだろうと私は思っています。朝、3時に起きて、チラシを挟んで、新聞を台風の日も、大雪の日も、各家庭の確実に配るとかって仕事は、ハード過ぎます。もっとも、私自身は、非常勤講師の仕事がなくなったら、新聞を配ろうと、考えています。夜は弱いんですが、朝は強いので、向いていると思っています。が、配達がなくなる以前に、新聞そのものが消滅するかもしれません。まあ、どっちにしても風前の灯火(ともしび)感は、あふれています。
 普通郵便は、慢性的な赤字でしょうから、これを切り捨てたいというのが、本音だろうと推定できます。郵便配達制度がなくなれば、宅配便のような流通機構を利用するようになるのか、そのヘンは、正直、まだ見えません。17、8世紀のヨーロッパの小説を読むと、誰かに手紙を託すシーンが良く出て来ます。誰かに頼むでも、まあいいと思います。そうすると、そういう機会を見つけるために、積極的に周囲の人と、よりコミュニケーションをするようになるとも、考えられます。
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