自#616「夕暮れ時、男女のジェンダーが突然、入れ替わるとかって、本当はないんですが、そういうこともあり得るかもと、心のどこかで信じられる方が、人生は、よりhappyで、ゆたかなんだろうと、普通に思います」

      「たかやん自由ノート616」(ゴシック式⑥)

 若い頃、山に登っていました。山に登ろうと考えたきっかけは、井上靖さんの「氷壁」を読んで感動したとかではなく、単純に身体を鍛えたかったからです。禅寺で坐禅もしていました。禅寺が、あまり動きのない静的な鍛錬だとすれば、山登りは、simpleに動的な鍛錬だと考えていました。そこらの端山には、小さい頃から、勝手に一人で登っていましたが、ちゃんとした登山を経験したのは、大学を卒業する直前の三月です。
 その頃、私は、近所のスペイン料理の店で、雇われマスターをしていて、店の壁を使って、Yくんという友人の山岳写真展を、二週間ほど開催したことがありました。山の写真を、二週間、毎日、見ていて、きっちり身体を鍛えるためには、山登りがベストだという結論に達しました。で、Yくんに、卒業するまでに、一度、山登りに連れて行ってくれと、頼みました。私は、郷里に帰って、県庁の公務員になるという進路が、もう決まってしまっていました。ですから、山登りに行くとしたら、三月しか残されてません。三月の山は、まだ冬山です。
 登山靴がないと登れないと言われて、Yくんと一緒に、大塚の登山靴屋に行って、カモシカの四万円の登山靴を購入しました。あとの装備も水道橋のスポーツ店で揃えました。Yくんは、自分一人で素人の私を連れて行くのは不安らしく、もう一人、Mさんという山登りの経験のある友人も誘いました。三人で、八ヶ岳に二泊三日の予定で出かけました。 一応、ピッケルも持たされて、ピッケルワークも、行く前にYくんに教わりました。が、そんなにわか訓練では、ピッケルワークは身につきません。滑り始めたら、おそらく谷底まで、一気に滑落してしまいます。今、考えると、無謀なtryでした。が、20代前半の私は、まだ充分に無謀でしたし、それは、YくんやMさんも、同じでした。
 初日の夕暮れ、山小屋に到着するまで、あと少しという地点で、小林秀雄がエッセーに書いているデワの神に出会ったような気がしました。デワの神は、人格神ではなく、目に見えない抽象的な摂理のようなものです。ヨハネの黙示録に青白い馬が登場しますが、その青白さは、おそらく冥府の色に、限りなく近いものだと思われます。冥府の色に限りなく近い色は、やっぱりとんでもなく美しく、heartに突き刺さって来る筈です。私が、八ヶ岳登山の初日の夕暮れに見た、空の色(というより大気の色って感じでした)も、そんな色でした。が、まあ、今、生と死のぎりぎりの淵にいると言った風なことも、感じました。
「Yくん、オレたち今、結構、ヤバい状況なんじゃないの?」と、率直に訊ねると
「いや、道順は合ってるし、全然、問題ない」と、安心させるかのように返事をしました。 その日は、無事、山小屋に辿り着きました。
 二日目のお昼頃でしたが、Yくんが、途中で、唐突に「ここから下山する」と、言い出しました。本当は、別の山小屋でもう一泊して、縦走する予定でした。突然の下山指示です。下山は、そう難しくなくて(本当は難しかったのかもしれませんが、難しいということを理解することだって、知識が必要です)合羽を羽織って、雪の上を滑って下りました。下山しても、Yくんは何も言いませんでしたが、山の状態は、まったくの素人の私を、連れて行ける状態ではなかったということだろうと、想像しています。
 冬山で、生死のぎりぎりの淵に立っていたので、デワの神が出たわけで、夕暮れの景色は、とんでもなくきれいで、fantasticに見えました。が、まあ生死の淵に立たなくても、ある程度、美しい景色には、地道に待つ姿勢があれば、出会えそうな気がしました(でないと、風景写真などは存在し得ません)。心を奪われるような、とびっきり美しい景色は、夜明けから朝になるほんの一瞬と、夕暮れから夜になるわずかな間しか、現れないだろうという予測もつきました。身体を鍛えるために+美しい景色に遭遇するために、その後、四国に帰ってから、定期的に山登りをするようになりました。が、最初の八ヶ岳の夕暮れに見たような、冥府の色に近い神秘的な青には、その一度も出合ってません。八ヶ岳で見た、あの冥府の色が、もしかしたら、私にとってのシャルトルブルーだったのかもという気がしないでもないです。回心は起こりませんでしたが、精神的に一歩深い所に否応なく、入ってしまったことは、間違いないと思っています。
 大聖堂は、人間は常に生死の淵にいるという危機感を、本当はリアルに感じさせてくれる空間の筈です。大聖堂の入り口の扉の上には、ごく普通に「最後の審判」の様子が、浮き彫りでディスプレイしてあったりします。悔い改めなければ、今日、明日にも、地獄に落ちるということを、信じさせるだけのオーラは、充分に放っています。で、救いの世界は、ステンドグラスの光のマジックによって、体感できる筈です。
 ゴシック式大聖堂の西正面の薔薇窓が、最高に美しいのは、夕暮れの一瞬だろうと思います。すべての人が、同じ景色に最高の美を感じるかどうかは、判りません。他者の認識を、客観的に把握することは、不可能です。13世紀のゴシックの大聖堂のあるイールドフランス付近は、夏の夕暮れが、夕方からPM9時くらいまで、4、5時間くらいの幅で続きます。私が、今年の11月中旬~下旬に見た、きれいな夕焼けは、ほんの一瞬(時間にすると2、3分)美しさを見せただけですが、大聖堂の西正面のステンドグラスは、夏場ですと、4、5時間、夕暮れの美しい光のグラデーションを見せてくれます。4、5時間も見続けていれば、多くの人が、最高の瞬間に出会えるじゃないかと想像しています。エビデンスはありませんし、もうヨーロッパに出かけることも、あり得ないので、自分で確かめることはできませんが、まず間違いないと確信しています。
 もっとも、最高の美を見せてくれるデワの神のようなものが存在していると信じられるheartがないと、自然はその美しさを、垣間見せてくれないかもしれません。「こんなのただの自然現象じゃん」と、ロゴスだけで、モノゴトを考える人には、おそらくパルテノン神殿の美しさすら、縁遠いだろうと推定できます。
 ディズニーのノートルダムのアニメですら、夕暮れのノートルダムの内陣の床に映っているステンドグラスの色は、充分にきれいでした。ましてや、シャルトル大聖堂のリアルの夕暮れをやって感じです。
 子供の頃、ごくたまに現れる夕暮れの世界の不思議な藍色を、内心、怖れていました。それが、冥府の色だと、「整理」できたのは、学習をして教養を多少なりとも身につけたからです。が、そんな風に「整理」できることが、いいことなのかどうかは、判りません。私は、そこそこベーシックな教養を身につけて、自分なりに巧みに、cleverに、世の中を生きて行くスキルを身につけましたが、それは幸せとは、多分、関係ありません。私の女房は、ほとんどまったく、教養らしい教養は、身につけてませんが、明らかに彼女の方が、私よりも幸せに見えます。教養というのは、結局、身につけざるを得ない人たちだけが、やむなく身につけるものだという気もします。

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