創#616「恋愛の修羅場に乗り込んで行って、双方をなだめたりは、結構、しました。飲み会は、幹事しかやったことがないです。まあ、やっぱり人のお世話をすることが、好きだったと、多分、言えます」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー353」

「子供が3、4歳になっても、近くに保育園とかないので、O駅の傍にある保育園に通わせることになります。それまでに車の免許を取って欲しいと、Mに言われていますが、自動車学校だって、O駅の近辺にしかないので、免許を取得するために、学校に通っている間は、育児ができなくなります」と、R子さんは実情を打ち明けた。
「Mは、小学校に行くようになったら、R子さんに車で子供を送り迎えして欲しいと言
ってました。保育園だと、3年後とかですね。Mのお母さんに来てもらって、子供の面倒を見てもらうしかないです。この田舎ですし、中学時代の女子バレー部の頃の体力と動きの俊敏さの貯金の半分もあれば、最短3週間くらいで取得できます」と、私はR子さんに教えた。
「最短3週間なら、Mが取得して欲しいです。私は畑仕事もしてますし、育児も家事もやってます。Mは、米作りと焼き物をやってますが、何とか時間を拵えて、免許を取得して、子供の送り迎えもして欲しいです」と、R子さんは訴えた。私は、どうやら家庭裁判所の相談員のような立ち位置に身を置いてしまったと感じた。
「今、Mは焼き物に没頭しています。最初の3年間くらいは、気を抜けないんです。その3年間を保証してあげるつもりはありますか?」と、私はR子さんに訊ねた。
「その3年間の根拠って、何ですか?」と、R子さんは訊ねた。
「禅寺の雲水の修業が、基本、3年です。昔の旧制高校だって、3年で人格を陶冶してました。私の実家は漁師ですが、『辛いが3年辛抱すれば、モノになる』と言われました。焼き物だって、3年やれば、一定のレベルに到達します」と、私は実例を挙げた。
「その3年間を保証してあげなかったら、どうなるんですか?」と、R子さんは突っ込んで来た。
「Mの焼き物が中途半端になります。日曜画家の描く絵とか、日曜大工の建具とか、まあそんなレベルの素人仕事にとどまります」と、私が言うと
「趣味だったら、それでもいいんじゃないですか?」と、R子さんは畳みかけて来た。
「それで、いい人もいます。or notな人だって、当然いるわけです。Mがどっちなのか、私には見極められません。or notな人だったら、焼き物で挫折すると、Mは、人生を棒に振ります」と、私は説明した。
「あたしだって、今のとこ人生を棒に振ってます」と、R子さんは反論した。
「R子さんは、子供を産んで、今、子育てをしています。一ミリだって、人生は棒に振ってません。もし、人生を棒に振っていると本気で考えているのであれば、自分が産んだ子供に対する冒瀆です。母親の資格はないときっぱり言えます。だったら、子供をここに置き去りにして、さっさと実家にお帰りになって、新たな人生を始めればいいんじゃないですか。でも、まあ私に言わせれば、それこそ、本当に人生を棒に振ることになると思いますが」と、私は多少、強めの口調でR子さんを諭した。
「子供を置いて出て行くことはできません」と、R子さんは言った。
「もちろん、そんなことはしないと理解しています。そういうことをする人なら、最初から、子供は産んでない筈です」と、私は冷静な口調で言った。
「でも、子育ては想定外のどたばたで、毎日、振り回されています」と、R子さんはこぼした。
「昔は大家族制だったから、爺さん婆さんは無論のこと、出戻った叔母さんとか、居候の独身の叔父さんとか、人がいっぱいいたんです。で、その多くの人が、何やかや子供の面倒を見てくれて、母親一人の背中に、全部がのしかかって来るとかってこともなく、もっと気楽でeasyでした。要するにここは人が少な過ぎます。子供を育てるためには、ある程度の人間の数が必要です。Mの焼き物作りは、ここで制作可能です。彼が、真のアーティストなら、アーティストは、孤独でスタンドアローンな立ち位置で、仕事をするべきなんです。子供も欲しい、奥さんの手料理も食べたい、理想的なマイホームを築き上げたい、そんな普通の幸せと、アーティストのcreativeな作品は、多分、両立しません。が、窯を築いて、今、ひたむきに制作をしているMに、そんな真実を突きつけることは残酷です。Mの焼き物が、アートとして認められるものになるとしたら、R子さんにも子供にも、相当な負担がかかってしまいます。Mは、まだ19歳です。とにかく、3年間は、やらせてあげるしか、ないんじゃないですか?」と、私は、私はまとまりのないことを、R子さんに伝えた。
「小学校の教育とかも不安です。この田舎だと、K市内に較べると、教育水準は、相当下がるような気がします」と、R子さんは不安を訴えた。
「去年の今頃は、多分、高校を中退しようか、どうしようかと、悩んでいた時期だったんじゃないですか。ラッキーなことに、MもR子さんも無事、高校を卒業されました。もう少し、子供が生まれるのが早かったら、おっきなお腹を抱えて、学校に通うことは、無理だったと思います。あっ、セーラー服は下がプリーツスカートだから、お腹が大きくても、さほど目立たないってと言われていますが、それも限界があります。高校を中退したかもしれない親たちが、小学校の教育レベルのことなど、心配する必要は、まったくないです。ただ、小学校の低学年で、ヘンな担任の先生に当たると、子供は被害を受けます。小3以上だと、ヘンな先生には、子供たちは抵抗しますから、学教崩壊などさせて、何とか乗り切ると思います。小1、2だと、先生の権力、権威が圧倒的なので、子供は対抗できません。私は、小1、2の頃の担任が、ヤバ過ぎたので、登校を拒否しました。学校の情報をきちんと掴んで、必要であれば、登校拒否を認めてあげるくらいの賢さは、今どきの親には、求められていると思います。親が何もかも助けてあげる必要はないんですが、子供の置かれている状況は、少なくとも、小学生時代くらいは、きちんと把握しておくべきです」と、私はR子さんに伝えた。

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