「今から40年近く前、四万十川の河口の小さな町に住んでいたJKのKちゃんは、コッポラーのアウトサイダーを見るために、映画館のある高知まで、3時間、列車に乗って出かけました。今だと、サブスクで、瞬時に見たい映画を見れます。不便で、お金も時間もかかって、苦労してたからこそ、映画は価値の高い文化だったんです。便利になりすぎると、価値もありがたみも、逓減します」

「たかやん自由ノート292」

 キングダムの作者の原泰久さんのインタビュー記事を読みました。原さんは、佐賀県の基山町と云う福岡との県境に近い、小さな田舎町で生まれ、そこで、高校時代までお過ごしになっています。キングダムの山や林、小川、岡などの描写がリアルなのは、ゆたかな自然に取り囲まれた牧歌的な田舎町で、お育ちになったからだと、推測できます。夏休みや冬休みと云った長期休暇の折、時々、母親が都会の久留米まで連れて行ってくれて、映画を観たそうです。私も、田舎育ちなので解りますが、何もない田舎の最大のエンタメは、映画を観ることなんです。久留米がいくら都会だと言っても、所詮は、田舎の地方都市です。ニューシネマ・単館系の映画館などは存在してません。ETやスターウォーズなどのメジャーなハリウッド映画を観ることになります。

 映画はおそらく、お母さんの趣味です。まだドラエモンが見たい年齢なのに、背伸びして、ハリウッド映画(それも字幕)を観たわけです。が、原さんにとって、ハリウッド映画は、わくわくできるfantasticなエンタメだったらしく、字幕には読めない漢字が、たくさん出て来るんですが、前後の文脈から、内容を理解しようと、必死になって努力されていたようです。映画を観たあと、学校で、その映画の内容を、面白ろ可笑しく、クラスメートに語ります。語ることを前提に観ていますから、当然、一所懸命、語れるようなツボ、ネタを探しながら、watchingする筈です。

 インプットした後、アウトプットします。アウトプットしていれば、インプットの水準も高くなります。マンガを本格的に描き始めた頃、原さんは、中国の春秋戦国時代の仙人物のストーリーを描きます。背景を調べ、ネタを仕入れるために、司馬遷の史記を読みます。史記を読んで、アウトプットしていると、さらに史記を読む熱量が、高まって行きます。史記は、紀伝体と云う伝記形式で書かれています。皇帝や英雄たちの一人一人の伝記です。原さんは、史記に掲載されている皇帝や王や諸侯、武将たちの事績を、エクセルを使って表に落とし込み、縦軸、横軸、どちらからも見れるようにします。つまり、自分のオリジナルの年表を拵えたわけです。その間、読み切り物で、信や政、貂などが登場する物語を描きます。次に秦の穆公の頃、西の山の民と同盟した話を綴り、その後、李牧ものを描きます。オリジナルの年表を参照しながら、史記そのものも、どんどん、読み込んで行った筈です。李牧について描いた時点で、読み切りではなく、連載もので行くと云う編集部のゴーサインが出たそうです。すでに、ネームを完成させていたので、「蒙武と楚子」(楚子はつまり昌平君です)と云う読み切りものを完成させ、満を持して、キングダムの連載を、30歳からスタートさせます。

 まあ、ですが、当然、そこまでの人生には、紆余曲折があります。映画少年だった原さんは、将来、映像系に進むために(最終的には映画監督を目指していました)、大学では映像を学びます。当然、映像制作の課題もあります。ある男が、山の中の神社で失踪して、行方不明になり、ひょっこり戻って来たら、いきなりナイフを取り出し、最後、男はアスファルトにうずくまり、周囲を得たいの知れないお面をかぶった人たちが踊っている・・・みたいな、いかにも大学生が作りそうなカオスな映画ですが、面白かったんだろうと思います。ですが、その後、ゼミに進む段階で、映像系のゼミを希望したのに、入れなかったそうです。映画監督になるために、映像系の学部に進学したり、ゼミに入ったりする必要は、まあまったくないと言っていいんですが、地方出身の大学生ですから、そこまで、幅広く考えことはできなかったらしく、映像系の道は、これで行き詰まったと考え、プランBとして、映画の次に好きだった、マンガを描き始めます。四コマのギャグマンガで、期待賞をもらって、マンガに熱量を注ぎますが、四コママンガのネタも切れてしまいます。一応ストーリー物も描きます。が、大学卒業時点で、マンガで食って行けると云う見通しは立たず、モラトリアムを続けるために、大学院に進みます。あっと云う間に、修士課程の2年間も終わり、さすがにフリーターになることもできず(多くの田舎の人間は、自分で食って生きて行かなければいけないと考えていますから、東京の若者のように、軽々しくフリーターの道を選択したりすることは、できないんです)サラリーマンになります。仕事は、SEです。忙しくなった2年目に大失敗しますが、その大失敗を、先輩や上司たちが、庇ってくれます。チームの一体感を感じたようです。サラリーマンとしての仕事のやりがいも、学びます。普通はこのままサラリーマンとして、仕事を続け、それで一生が終わります。が、原さんは、3年間勤めて、今、会社やめなければ、自分は一生サラリーマンで終わってしまうと、危機感を抱いたようです。サラリーマンの仕事も悪くはないです。ベターな人生かもしれません。が、やっぱり自分は、クリエィティブな仕事がしたい、今、やめないとこの先、一生、クリエィティブな仕事はできないと、はっきり悟り、貯金で食いつないで、3年以内にマンガ家のプロになると決意します。3年間の会社勤めの結晶が、飛信隊のチームワークだそうで、原さんを庇ってくれた上司は、田永として登場させています。

 30歳からキングダムを描き始めたわけですが、ヤングジャンプで連載が始まったのは、2005年です。私が、生徒を通して、キングダムの存在を知ったのは、2011年。で、それから9年して(連載スタート後からですと15年後)2020年の秋、ようやく1~59巻を読みました。2011年の時点で、キングダムを読んでいれば、私は、源氏物語ではなく、史記や漢書を読む老後を、もしかしたら選択していたのかもしれません。誰の人生も、ちょっとした偶然で、大きく変わってしまうものです。

 原さんは、30歳から45歳まで、キングダムを描き続けて来ました。まだ、戦国の七雄は一国も滅びてませんから、この先、まだ15年くらいは、かかりそうです。そうすると、30歳から60歳まで、ひとつのテーマで仕事をし続けることになります。そういう人生もありだなと、心の底から納得できます。私だって、学生時代に源氏物語を読んでいれば、源氏物語の研究で、一生、過ごして行くと云う人生だって、きっとあった筈です。

 キングダムは、一枚の絵を見せると云うより、絵の流れを見せて行くって感じです。信は、小ボス、中ボス、大ボスと倒して来たわけですが、ボスを倒す場面の描写が、やっぱり一番、面白いです。あと15年くらいは、私もまあ、なんとか息災に生きていると思いますから、キングダムの最後を、きちんと見届けるつもりです。

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