自#298「コロナ禍でも、給料減らないし、10万円も支給されたし、将来、AIで代替されると言われていても、やっぱり高校卒業後の就職先は、公務員がベストだと思います」

「たかやん自由ノート298」

池上彰さんが共通テストに辿り着いた歴史について、週刊誌に書いていました。私は、この変化の過程をリアルタイムで、理解しています。私が受験生の頃、国立大学は、一期校、二期校に分かれていました。一期校の試験は、3月上旬、二期校は3月下旬でした。旧帝大や地方の有力大学は一期校で、二期校は、創立が比較的に新しい大学や、小規模な大学が中心でした。当然、一期校の方が、カーストは上で、二期校はつまり、一期校を落ちた受験生がchallengeする滑り止め校です。

 ところで、私の地元の高知大学は、一期校でした。医学部や歯学部、薬学部と云った有力な学部もなく、特に先端的な研究をしているわけでもなく、地方の典型的な駅弁大学です。高知大学教育学部出身の先生は、高知大は一期校だから、レベルの高い大学だと、持ち上げていました(高知大学に生徒を数多く送り込むことが、先生方の実績にもなっていた筈です)。私がバイトをしていたGと云う喫茶店には、高知大学に在籍していたバイト学生が、沢山いました。彼らは「高知大学は、国立大学の中だと(二期校も含めて)、下から3番目あたりとちゃうか」と言ってました。おおむね、そうだったと思います。高知大学が一期校になったのは、大学が発足した時の母体に、旧制高知高校が入っていたからです。旧制高校は、明らかにエリート校でした。エリート校だった旧制高校の過去の遺産で、何とか一期校に滑り込んだんだろうと推定できます。

 高知大学のように、さして実力のない一期校は、地方に沢山ありました。首都圏には、二期校でも、横浜国立大学のようなレベルの高い大学もありました。私が受験生の頃、横浜国大は、二期校の東大と言われていました。

 1972年に連合赤軍が、浅間山荘事件を起こします。武力革命を夢想した連合赤軍のメンバーが、軽井沢の浅間山荘に、管理人の妻を人質に立てこもり、銃を乱射し、機動隊員や民間人計三人が死亡するという大事件でした。この事件をきっかけに、多数の連合赤軍のメンバーが逮捕されました。メンバーの中に、横浜国大の卒業生が沢山いました。学長が国会に呼び出され「わが校は、二期校で、一期校を落ちたコンプレックスを抱えている学生が多い」と、本音で発言しました。この発言を受けて、政治家たちは、一期校、二期校の区別をなくすべきだと言い出します。短絡的な発言です。一期校と二期校の区別が、なくなったら、受験生が国立大学を受けるchanceは、一回しかなくなってしまいます。が、結局、一期校、二期校の区別を廃止し、大学入学センターを設立させ、共通一次テストが、1979年に始まります。当然ですが、国立大学を一校しか受験できないことに、不満が上がります。こんなことは、最初から分かっていたことです。

 結局、各国立大学は、前期、後期の二回、二次試験を実施し(問題を作る手間が倍になってしまいます)私立大学にも参加を積極的に呼びかけて、大学入試センター試験がスタートします。共通一次もマークシート方式でしたから、実質は同じです。ただ、私立が参加して、受験生の母数が大規模になりました。大手予備校は、この大規模な母数のデーターを分析して、各大学の偏差値を明らかにし、全国のすべての大学を序列化しました。センター試験には、難問・奇問は一切なく、基礎的な知識を問う良問でした。

 2013年に発足した教育再生実行会議が「マークシート方式の試験では知識の蓄積だけを問うものになってしまい、これからの時代にふさわしくない。『自ら問いを立て』『主体的に考えることができる力』を伸ばすための試験にすべきだ」と言い出しました。そのために記述式試験を導入し、英語も民間試験を活用して四技能を計ると云うプランを打ち出しました。が、これは、机上の空論です。

 50万人以上の受験生の記述式解答を、短期間で採点することは物理的に不可能です。英語の複数の民間試験のレベルを、どう調整するのかも、正直、簡単には解決できない問題です。四技能の試験を実施するのであれば、大学入試センターが責任を持って、一括してやるべきです。で、まあ結局、四技能も記述式も、取り敢えず、ぽしゃりました。このゴタゴタの中で、本当に優秀な、なおかつ経済的にもゆとりのあるトップ層は、高校卒業後は、海外の大学を目指すようになりました。

 そもそも「自ら問いを立て」「主体的に考えることができる力」を伸ばす教育をするのは、大学の役目だと私は考えています。日本の大学は、国立大学も含めて、すべてビジネスで動いています。アメリカの一流大学のように、学生を厳しく鍛え、学力の足りない学生は、次々に留年させると云う仕組みにはなってません。留年させたら、結局、退学してしまいます。そうすると、大学は授業料が徴収できず、収入が減って、経営が行き詰まってしまいます。学生を厳しく鍛えるとなると、大学の先生の仕事もハードになります。そもそも、今の日本の大学は、専任よりも非常勤講師の方がはるかに多く、簡単に言ってバイトで、学校を回しています。ファーストフードやファミレス、コンビニと同じ仕組みです。学力や教養のベースは、高校段階までに、しっかりと身につけてもらって、大学は、これまで通り、レジャーランドとして、学生時代に4年間のモラトリアムを提供するシステムで、あり続けたいと云うのが、大学の本音だろうと思います。

 私が学生だったころ、まさに大学はレジャーランドでした。大学の4年間は、受験時代の4分の1以下の勉強量だったと自覚しています。私は、高校の4年間に、180冊✕4年=720冊くらい本を読みました。大学時代は、ひと月、せいぜい2冊くらい。4年間のトータルですと、100冊くらいしか本を読んでません。本だけに換算すると、勉強量は、7分の1以下です。

 レジャーランドの大学で、ハクナマタタなライフを過ごして来た若者を、社会人として鍛えたのは企業です。私は、公務員でしたが、最初の1年間は、言わば見習いの研修期間でした。3年間くらい試行錯誤して、やっと一人前に仕事ができるようになります。企業だって、3年間くらいかけて、新しく入った社員を育てていた筈です。が、グローバル化して、外国の企業とも競争しなければいけない、今の企業に、新入社員を育てる余裕は、もうなくなってしまっています。それに、3年間かけて育てても、今の若者は、3年くらいで、あっさりトラバーユしてしまったりもします。今の企業は、即戦力になる完成形を求めています。昔は、高卒で入社した新入社員を、企業は、それなりの時間をかけて育ててくれました。今は、それができないので、高校の進路担当は、モラトリアムの時間を稼いで、人間力を少しでもつけてもらうために、大学に送り出すようになりました。が、平均所得は、どんどん下がっていますし、経済的に大学進学は厳しい家庭も増えました。その場合、高卒で就職するとしたら、やっぱり公務員がベストです。AIに仕事が奪われると言われていますが、だからと言って、簡単に職を失ったりはしません。そこは、やはり法体系で守られています。

 アメリカの大学生は、卒業時点で、平均して600万円くらいの借金をしています。もっとも、日本も、奨学金を貸与してもらって、300万円くらいの借金をしている、大学卒業生は、ザラにいる時代になりました。人間力と学力をつける努力は(その両方があれば人生は、逞しく切り拓けます)中高時代から、すでに求められていると理解しています。

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