自#414「アートに正解はないんですが、正解がまったくないと、無秩序になってしまいます。一種の正解はあるってことで、それぞれの時代の一種の正解を、公平に鑑賞できるようになれば、人生は、よりゆたかに、happyになれそうです」

          「たかやん自由ノート414」

 末永幸歩さんという、中高で美術の先生をされている方が書いた「13歳からのアート思考」を学校の図書室で借りて読みました。去年の6月に発行された単行本ですが、すでに6人の方が借りています。私は、登校した日は、ほぼ毎日、お昼休みに図書室を訪れています。5月末の今まで、一度も他の先生を、図書室でお見かけしたことはありません。先生だって、今や図書室の本ではなく、ネットで必要な調べ物をしています。私のような完全紙ベース派の教員は、今、勤めている学校では、多分、私一人だけです。ですから、「13歳からのアート思考」を借りた6人は、全員、生徒です。一年弱の間に、6人も借りているというのは、住野よるさんの「君の膵臓をたべたい」レベルの高い貸し出し頻度です。今の若い人たちは、映える写真をupして、いいねを稼ぐためにも、アート思考に興味を持っているということなのかもしれません。世界史の授業で、アートっぽい作品のレプリカを見せて、生徒に何か気がついたことをout putしてもらうという戦術を思いついたのは(まだ実行してませんが)実は、この本を読んだことが、きっかけです。
 アートの良さは、絶対的な正解がないということです。ピカソの絵が良い、ピカソの絵は正直わけ分かんない、どちらもOKです。アートは、自由に考え、感じ、発言することができます。今、流行のVUCA教育の核は、アートに親しむことだと推測しています。
 中学生になると、生徒たちは、小学校の頃に好きだった多くの科目に、たちどころに興味関心を失ってしまうそうです。中学生になると、中学生としての社会生活が忙しくなり、勉強どころじゃなくなるってとこも、多分あります。自分のスマホを持つのも、今や遅くても中1からです。中学生になる娘に、スマホなどまだ持たせたくないという、昭和の頑固オヤジのようなお母さんがいて、親しくしている方なので「今は、そんな時代じゃないです。中学生になったら、スマホを持たせて、きちんと自己管理して使えるように、親として指導すべきです」みたいな、いっぱしのアドバイスをしたことがあります。スティーブジョブズは、自分の子供にはスマホもiPADも使わせませんでしたが、そんな大天才と比較するのは無意味です。が、まあスマホが学習の天敵であることは事実です。
 数学、国語、体育、音楽など、軒並み好きのレベルが下がっているんですが、もっとも大幅に下落しているのが、美術だそうです。私は、中1、2の頃、日々、ヤンキーの社会生活と、ロック音楽に没頭していましたから、学校の勉強などは一切無縁でした(本当に中3の5月まで、まったくのノー勉でした。教科書を持っていたという記憶すらありません)。別段、勉強が嫌いになったわけではなく、置かれた状況で、やむなく勉強とは無縁になったわけですから、何故、美術が嫌いになるのか、判りません。考えられるのは、先生が嫌いだから、その科目も嫌いになる・・・なんですが、美術の先生というのは、中学校の先生であっても、diversityに富んでいて、変わった方が多いので、そんなには嫌いにならないと思います。座学の授業で、アースティスト名や作品名を、無理やり丸暗記させられたら嫌いになるかもしれませんが、まあ、これはrareです。小学生の頃から、マンガとかを描いていて、絵が圧倒的に上手い同級生がいたりします。国語や数学や英語などでしたら、努力すれば、誰でも高得点が取れます。美術や音楽は、努力しても、そう簡単には伸びません。受験科目でもないし、まあ、いいかぁと、美術離れしてしまうのかもしれません。
 私は、字も絵も拙くて下手です。どちらも、それなりの時間をかけて努力すれば、ある一定レベルまでは、上手くなる筈ですが、努力はして来てません。それは、下手なのが、自分の個性だと開き直っているからです。が、下手であることと、好き嫌いは別です。下手だから嫌いってことにはなりません。私は、字が下手ですが、毎日、原稿用紙に下手な字を、2000字以上書いています。パソコンのキーボードを打てば、下手な字を書かなくても済みます。が、下手な字を書くことは、一向に苦痛ではないし、キーボードを叩くよりも、ずっと心地よい感じです。
 絵も好きです。授業で、クロマニョン人が描いた洞窟壁画を紹介する時、資料集のラスコーの絵を見ながら、黒板に大きくド下手な牛の絵を描いたりします。チョークを使って、大きな絵を描くのは、ちょっとした快感です。K高校の担任時代、修学旅行中、ずっとメモ帳にスケッチをしていて、そのスケッチの絵を取り集めて、それぞれにキャプションをつけて、印刷・製本し、「修学旅行の思い出」とタイトルをつけて、クラスの保護者全員に、配ったことすらあります。絵を描くことも、見ることも好きなので、美術嫌いだという人の気持ちが、正直、私には解りません。嫌いになる要素は、まったくないような気がします。課題を仕上げるのが、手間ヒマがかかって、面倒だってことはあるのかもしれません。だったら、超手抜きの作品を出せばいいんです。その手抜きの作品を認めなくて、赤点をつける方は、アートの先生とは言えません。生徒が自分が受け持っている科目を嫌いにならないこと、これが先生の心がけなければいけない、優先順位No1のきまりごとだと私は確信しています。
 美術の先生ですら、がっちり管理されて、旧ソ連末期のお役人みたいになってしまっているとしたら、それは確かに由々しきことです。が、少なくとも、都立高校の現場は、そこまでガチガチに、縛られているわけではありません。
 末永さんは、「13歳からのアート思考」で、現代アートの見方について、6つの作品を使って、レクチャーしています。これは、あくまで末永さん個人の見方です。著者の見方が、別段、正解というわけではありません。13歳のJuvenileに、世の中には正解はないということを教えるのは、酷だし、難しいことです。が、今やネットに行けば、情報は何でもあるわけですし、純粋培養状態で、育てられるわけでもありません。自分自身の自己判断で、自分にとって正解と思われるものを、導き出して行かなければいけないということを、伝えるべき時代なんだろうと想像しています。
 レオナルドダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロが、正解だとしたら、モダンアートは、正解ではないです。ルネサンスを、かなりのレベルで正解ということにしておかないと、秩序がなくなってしまいそうな気がします。古代ギリシアは、徹底的にバランスを追求しました。パルテノン神殿というのは、やっぱりあれは、一種の正解です。タージマハル、アンコールワット、ボロブドゥールなど、それぞれ一種の正解ってことで、一種の正解が沢山並ぶと云う風に考えるのも、ありだと思います。ルネサンス、バロック、印象派、モダンアート、すべて一種の正解で、それぞれ時代の一種の正解コードを認め合ってモダンアートについては、こういう見方でどうでしょうかと、提案しているのが、「13歳からのアート思考」だと私は理解しました。

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