自#474「西矢椛さんのプレイを見て、スケボーは20代前半ではなく、10代前半が、黄金時代だなと、感じました。10代前半が、どれだけ大切かということを、改めて思い知らされたような気がしました」

          「たかやん自由ノート474」

 私は新聞を普通に読んでいます。全体に、ひと渡り目を通しますが、スポーツ欄だけは、ページを開いて、目に飛び込んで来るタイトルを見るだけです。スポーツの記事を読んだりしたことは、これまで人生で、ほとんどなかったと思います。それは、基本、スポーツに興味を持ってなかったからです。今回は、オリンピックに多少、興味を持ちました。それは、仕事で学校に行く以外は、ほとんどどこにも出かけない隠居爺さんで、時間にゆとりがあるってことが、多分、大きな理由です。それと、ホメロスの「イリアス」をちゃんと読んだことも、スポーツに興味を持ったきっかけです。
 イリアスは、日本文学史風に言うと、戦記物ってことになるのかもしれませんが、平家物語や太平記とは、本質が違います。戦争を描いていますが、残酷さや悲惨さを、まったく感じさせません。小林秀雄は、「ホメロスは、短調ではなく、メジャー(長調)で、書かれている」と、エッセーにお書きになっていますが、それは本当にそうです。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」の西洋版だと、思い込んで、イリアスを読むと、「へっ?」って感じになります。平家物語には、無常観があります。と云うか、日本の文学の根底に、通奏低音のように、常に無常観が響いていると、私は推定しています。イリアスにも、オデュッセイアにも、無常観はありません。残酷で悲惨、できれば普通の善男善女は、スルーした方が望ましいと推定できるヨハネの黙示録にすら、無常観は、感じられません。それは結局、西洋の文学には、神が存在しているからだろうと想像しています。多くの方が、誤解していますが、仏教には神も仏も存在しません。仏教の根底にあるのは、まさに「無」そのものです。
 イリアスに登場する槍は、基本、投げるものです。相手の楯をまず貫き、甲冑を射貫いて、内臓から背中に抜けるくらいのpowerで投げつけます。イリアスは、BC12世紀くらいの話ですから、あと投げるのは石です。京都のこじゃれた旅館の庭に置いてあるような、ばかでかい石を、相当な飛距離、空中を飛ばして、相手の顔にぶち当て、頭蓋骨を砕きます。そこら中に、脳みそとか、骨、血があふれますが、少しも陰惨な雰囲気は感じさせません。円盤を投げて、結構、いい記録を出したかも・・・みたいなノリで、イリアスの戦闘記は、読み進めることができます。
 ヘクトールが逃げて、アキレウスが走って追い続けますが、ボルトが100メートルを全力疾走しているようなspeed感に、目がくらみます。イリアスは、戦記物というより、スポーツ観戦記といった雰囲気の物語です。イリアスを熟読している時に、オリンピックがやって来たので、人生で始めてオリンピックに興味を持ったということだろうと、自己分析しています。
 が、最初に興味を持ったのは、槍投げでも、円盤投げでも、短距離でもなく、スケートボードです。堀米雄斗くんのトリックの最高点を叩き出したであろう、飛翔する写真に、heartをわし掴みにされました。この写真は、やっぱりすごかったんです。学校の図書室で、いくつか新聞を広げて、スポーツの写真を見ましたが、アートの域に達しているのは、朝日新聞に掲載された、堀米くんの一枚だけです。
 13歳でスケボーの金メダルを取った、西矢椛(にしやもみじ)さんの飛翔する写真も見ました。写真を見る限り、身体のバランスはperfectだとは言えません。ボードと身体とは、無論、完全に離れています。この体勢から、もう一度、身体とボードが密接にリンクできるのかどうか、危うい感じです。この体勢からリンクさせて、金メダルを導く、高得点を取ったとしたら、それは、13歳の軽くて、しなやか、柔軟な身体が、不可能を可能にしたということだと想像できます。左手の二の腕に、大きな絆創膏を貼っています。これは、直前のプレイで、失敗して、怪我をしたんです。
 私は漁師町の子供です。湾の築港に停泊している砂船の高い舳先の上から、海面に飛び込むといった通過儀礼がありました。これは、小1、2だったらできます。中1、2くらいで飛び込めと言われても、怖くてできません。スケボーも多分、同じです。恐怖心を1ミリも感じず、障害物に突っ込んで行くためには、小さい頃からの訓練が必要です。新聞記事を読むと、西矢さんは、5歳からスケボーを始めています。ピアノでも、ヴァイオリンでも、スケボーでも、サーフィンでも、遅くても5歳くらいから始めないと、超一流のレベルには、到達できません。歌舞伎や能狂言のファミリーがすごいのは、どんなに遅くても、3歳くらいから芸を叩き込み始めるってとこです。
 3歳~5歳くらいから練習を始めるとなると、それが本人の自由意志なのかどうかは、怪しい感じです。親の意志、ファミリーの意識の方が、圧倒的だろうと想像できます。ホメロスを読んでいると、アキレウスやヘクトールだけでなく、すぐれた英雄が、次々に登場します。ギリシア側ですと、ディオメディスとかは、破壊力抜群で、重戦車って感じです。大アイアースもpowerfulで強烈です。大アイアースの父親は、サラミス王のテラモン。ディオメディスの父親は、例のテーバイ戦役の七雄の一人のテュデウスです。父親のその上の祖父も英雄です。真の英雄が出現するためには、最低でも三世代くらいの歴史の積み重ねが必要です。ピアノやヴァイオリンの場合も、すぐれた才能のある子供は、親も何らかの音楽に携わっていたりします。堀米くんも、父親がスケートボーダーなんです。堀米くんの父親は、バックトゥザフューチャーを見て、即座にスケボーを始めた、第一世代です。
 西矢さんは、お兄さんがスケボーをやっていて、影響を受けたそうです。動画サイトのYou TubeやSNSのインスタグラムで、トップ選手の映像を見て、その技を真似したそうです。私は、基本、ネットには批判的ですが、きちんと目的を決めて、ネットを利用するのであれば、歳が若ければ若いほど、ネットの限界効用は、高まるだろうと想像できます。逆に言うと、きちんとした目的を定めず、受け身の姿勢で、漫然とネットを見ていると、ネットを効率的に利用できず、悪影響の方が大きいと、推定できます。スケボーの技を上達させたいからネットを見る、そういう使い方でしたら、5歳から使用しても、全然、大丈夫だと、西矢さんの記事を読んで、あらためて実感しました。何をやりたいのかという目的、目標が、はっきり定まっていて、そのためにネットを利用するという使い方であれば、ネットは、間違いなく威力を発揮します。
 テレビのスポーツニュースで、ちょっと見たくらいですが、22歳の堀米くんと、13歳の西矢さんのプレイを比較すると、明らかに13歳の西矢さんの方が、広がりのある難度の高い大ネタです。身体がまだ軽くて、柔軟な年齢の時に、難易度の高いトリックが披露できるスポーツなんだと理解しました。スケボーは、20歳前半ではなく、10歳前半が、黄金時代だなと、認識を新たにしました。

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