自#231「歳を取ると、睡眠力が明らかに落ちるので、爆睡できる若い頃が、華ってとこは、確かにあるかな・・・と」

「たかやん自由ノート231」

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を書いた、中村仁一医師のインタビュー記事を読みました。中村医師(80歳)は、現在、肺がんのステージⅣの末期で、余命はあと半年くらいの状態だそうです。御自身が、これまで主張されて来た考えに基づいて、抗がん剤投与や放射線治療などの医療行為は、一切、されていません。肺がんなので咳が出るんですが、咳止めの薬も飲んでません。延命行為的なことは、何もなさらず、静かに死を待ち受けています。最期、従容として安らかに死んで行くと云う死に様を、家族や後進に見せようと、されているんだろうと想像しています。

 いよいよとなった時、じたばたしないで、落ち着いて死んで行ける覚悟は、やっぱり必用です。若くして、それができている方も、ごく稀ですがいます。PM10:00に絞首刑になるのに、その直前のPM8:00にポーカーゲームをenjoyできると云う方は、任侠の世界とかには、きっといます。

 私は、中2くらいまでは、いつどこで死んでもいいと云う、とがりまくったパンク少年でした。まあ、周囲の大人たちは、扱いにさぞかし困っていただろうと、推測できます。私が中学校の教師にならなかったのは、教師として、かつての自分のような子供に出会った時、その子供を何とかしてあげられる自信とかが、まったくなかったからです。周囲の大人が、何とかできるわけではなく、その子供自身が、より良く生きて行くために、somethingを掴み取らなければいけないんです。結局は、その子自身の問題です。教師になって、そんなぶっちゃけなことを、生徒に言いたくなかったし、よりリスクの少ない高校の教師の方に、逃げたってとこも、本当はあるのかもしれません(これは、反省でも後悔でもなく、単なる分析です)。

 中3くらいから、死ぬことが怖くなり、同時に喧嘩もしなくなり、ヤクザになると云う進路も消えました。死については、小さい時から、ずっと考えていました。かれこれ、30年くらい考えた頃、もしかしたら考えることに飽きたのかもしれませんが、35歳の夏から考えなくなりました。死を考えることは不可能だと云う、簡明すぎる事実に、気がついたと云うことだったのかもしれません。今も、死については考えてません。死は考えるものではなく、その時が来たら、静かに迎え入れるものです。じたばたしない覚悟は、一応は、できているつもりです。

 医療と薬について、別段、特別、懐疑的と云うわけでもありません。医者も薬も必用だと、普通に思っています。私は、よほどのことがない限り、病院には行かないし、薬も飲みません。それは、私の個人的な生き方の問題です。私の教え子には、薬剤師もいます(医者はいません)。彼等、彼女たちは、誇りを持って、GJ、いい仕事をしていると確信しています。

 自分の人生は、自分で何とかすると云う大原則を、子供の頃、自力で確立しました。誰かが私を助けてくれると云う甘い期待を抱いたことは、かつて一度もありません。その考えを応用すると、医者や薬が、自分を助けてくれるってことも、まあないなと、普通に思ってしまいます。

 8、9年前の冬、インフルエンザが大流行しました。高校の教室には40人の生徒がいて、冬場は、基本、さして換気もせず、暖房はつけっぱなしです。換気とかマスク、手洗いと云った言葉はあったとしても、あってなきが如きで、インフルエンザが、即座に蔓延するようなリスクの高い環境の中で、生徒は過ごしていました。実際、蔓延していました。10人以上、インフルエンザで生徒が欠席すれば、学級閉鎖です。私自身、決して、うかうかはしてなかったんですが、部活の仕事が忙し過ぎて、生活のリズムが崩れて、免疫力が低下し、私も高熱を出してしまいました。家族に迷惑をかけるわけにはいかないので、病院に行くと、やはりインフルエンザで、薬を処方されました。処方された薬を飲んで、早く治さなきゃいけないと考えて、薬をきちんと飲みました。薬のお陰で、インフルエンザの症状は治まりました。が、私にとって、インフルエンザの薬は、強烈すぎて、身体のバランスが崩れてしまいました。崩れていると云うことは、はっきりと自覚できました(夜、眠れなくなったりするんです)。自分の身体なのに、自分自身で、コントロールできないんです。この不安定な状態が、3、4日続いて、その後、肺炎が始まりました。結果論ですが、薬を飲まず、自力で治していたら、肺炎にはなってなかったと確信できます。当時の私は、還暦直前でした。還暦前後くらいの年寄りになると、身体のバランスが崩れて、免疫力が下がると、さまざまな病気が、一気に襲って来るんです。なるほど、こういうことかと、私なりに悟りました。

 先日、どうして早く職場に行かなくてはいけない日があって、いつもより、1時間早く、起床しました。いつもは、AM4:00起床ですが、AM3:00に起床しました。AM3:00に、ごく普通に起きることができました。眠いとか、だるいと云ったことは、まったく感じませんでした。歳を取ると、睡眠力が弱くなって行くので、AM3:00起床に慣れてしまったら、もう4時まで、眠ることはできなくなってしまいます。3時に起きた時は、夢を覚えてませんでした。4時だと、夢の途中で起きます。いつものように、何とか4時まで、眠れるように、夢のネタを、ノートに書き出して、就寝しました。ちなみに、自分が見たい夢の時期、キャラクターなどをノートに書き出しておくと、5分の1くらいの確率で、書き出したネタを使った夢を見ます(このやり方で、キングダムの夢を2回見ました)。ロシアンルーレットより高い確率です。まあ、これが、私の最近のマイブームです。ですから、夜、眠ることは、結構、楽しいですし、夢を見ない(正確には覚えてない)AM3時起床とかが習慣になることは、絶対に避けたいわけです。

 ところで、身体のバランスを保つために、いろんな努力をしています。若い頃は、体力もエネルギーもあるし、無茶なことをしても、すぐに回復しますが、年寄りになると、いったんバランスを崩すと、容易なことでは回復しませんし、それが命取りになったりもします。自分をケアする努力、集中力は、若い頃よりも、水準の高いものが、要求されています。

 中村医師は、がんは老化に過ぎないと仰っています。人間の身体では、がん細胞は常に生まれています。若いとそれに対抗できるんですが、歳を取ってくると、免疫力が落ち、細胞のがん化が、食い止められなくなるだけのことで、タバコも吸わず、酒も飲まない人が、がんになるのは、それが老化だからです。免疫力が落ちると、人間は死にます。その当たりまえ過ぎる真実は、さすがに、66歳の私には、嫌と云うほど、理解できています。

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