自#477「スケボーの解説者のインタビュー記事を読んで、めちゃめちゃカッコいいと感動しました。好きでもないのに、国を背負ってメンタルをぼろぼろにして、スポーツ打ち込む必要とか、全然ないなと、当たり前のことを再認識しました」

          「たかやん自由ノート477」

 卓球の伊藤美誠さんが、準決勝で、中国の孫さんに敗れた試合を、少し見ました。4ゲーム連続で奪われて、惨敗でした。伊藤さんの攻撃のスタイルを、孫さんは徹底的に研究していて、伊藤さんが力を発揮できないように、巧みにリズムを崩していると感じました。孫さんには、強さを感じさせない強さがありました。粘り強い闘い方で、ミスを犯しません。精神的にも安定しています。伊藤さんの精神状態も、別に悪いとは感じませんでしたが、熱くなり過ぎていて、クールダウンして、ゲームを立て直す余裕もなく、ふと気がつくと、ストレート負けしていたという印象でした。新聞で解説を読むと、孫さんは、回転量が多く、球質が重いサーブを、伊藤さんが強化途上のバックハンド側に集めて、打ち込んでいたと書いてあります。回転量の多さとか、球質の重さなどは、まったくの素人の私は、テレビの画面を見ただけでは、判りません。試合終了後、伊藤さんは、大粒の涙をこぼしながら「悔しい気持ちの方が大きいかな。99は悔しい」と、語っています。
 100の内の99は悔しい、そんな経験を私は、かつてしたことがありません。人と本気で争ったという記憶もないです。伊藤さんは、前回のリオデジャネイロオリンピックの団体で銅メダルに輝いています。15歳でした。五輪卓球史上最年少での表彰台だったそうです。伊藤さんは「メダルが偶然じゃないことを、(これからの大会で)証明したい」と、きっぱりと言いきったようです。15歳だから許される、big mouthってとこも、まああります。私は、個人的にこういう発言は好きですが、ギリシアの神々は、こういうヒュブリス(傲慢)に陥ることを、諫めるのかもしれません。勝敗に拘(こだわ)る方がいいのか、勝敗に拘らず卓球道を極めて行く方がいいのか、それは、無論、後者の方がいいです。卓球道を極めれば、結果は後から付いて来ます。が、まだ10代のJuvenileに「道」を求めることは無理です。
 昔の剣豪は、最後はやはり道を極めようとしました。剣の真剣勝負は、負ければ死にます。道がちゃんとあって死ぬのと、道のかけらもなく犬死にするのとでは、天と地の違いがあります。「道」を知れば、たとえ敗れても、後悔はしません。剣道、柔道、合気道、あるいは華道、茶道、香道など、道を極めるのが、日本の文化の本質なのに、オリンピックのスポーツを見ていると、(まあそれが当たり前なんでしょうが)勝ち負けだけを競っていると感じます。勝つために最新のscienceも導入して、徹底的に対策をします。柔道であれば、一本や技ありで勝つだけでなく、相手の「指導」を誘発して、結果として相手の失格を狙って、勝ったりします。勝つことが、最大、最高の目的、うーん、これって、五輪の目標であるdiversityとは、かなりズレがあるなと、感じてしまいます。
 体操女子のアメリカのシモーンバイルスさんが、個人総合を欠場しました。怪我ではなく、メンタル面の不調だそうです。バイルスさんは「メンタルが健康じゃないと(体操を)楽しむことはできない。弱っている時にあらがうのではなく、そこに対応していくことが大切です」と、インタビューで語っています。スポーツは、楽しむものです。心や体の痛みを堪(こら)えてまで、やるものではないです。が、競争が過熱すると、こんな当たり前のことが、言えなくなります。個人主義と自由の国のUSAの選手だからこそ、ここまで言えるんです。好むと好むざるとに関わらず、国を背負ってしまっている日本の選手が、こういう発言をすることは、まず不可能です。
 私は、フルタイムの教職時代、バンドの部活の顧問をしていました。音楽は好きですし、音楽をやろうとしている生徒も好きです。ライブも、ライブ以外の生徒たちと一緒に行った様々なイベント(鍋大会、花火大会、バケツ水かけ大会、海水浴、ビンゴ大会、バーベキューなどなど)も楽しかったです。唯一、嫌だったのは、大会で賞を目指すこと。これは、心の底から嫌でした。音楽は、賞を取るためにやるものではないです。だったら、大会に出場しなければ、いいじゃないかと言うことに、simpleに考えれば、なります。が、大会に参加し、大会の文化を生徒に知らしめ、賞を取ることによって見えて来る景色を、生徒に判らせてあげることも、やっぱり大切だったりするんです。賞を取るための音楽はやりたくない。が、時として生徒には賞も取らせてあげなければいけない。これは、絶対的な矛盾です。この矛盾に、ずっと苦しめられながら、バンドの部活の顧問をやってました。バンドの部活の顧問を完全リタイアして、寂しい気持ちがなかったかと言えば嘘になりますが、二度ともう(音楽を一種の競争手段にしてしまっている)大会に関わらなくてもいいと考えると、それは正直、素直に嬉しかったです。
 スケボーのフレンドリーで親しみ易い解説が、天声人語で絶賛されていました。「鬼やばいっスね」「よくやり切ったスよ」「ゴン攻めして、ビッタビタにはめてましたね」と言ったスケボーフリークたちが、普通に使用する語彙が、天声人語氏には、新鮮だったわけです。解説をした瀬尻稜さんのインタビュー記事が、昨日の新聞に出ていました。本人は、自分の解説が話題になったこと自体に驚いています。「普段通り喋っていただけです」と語っています。中継がスタートした時点では、めちゃめちゃ緊張していたそうですが、スケーターたちの滑りを見ていたら、どんどん面白くなって「素」に戻ったそうです。スケボーが心の底から面白いと思っているから、それを素直に伝えたかっただけなんです。
 瀬尻さんは、プロスケーターで、五輪出場を目指すことも、本当は可能でした。
「五輪の競技になると聞いた時、自分が国を代表する意識が持てなくて、俺はいいかなと。ただ、スケボーを楽しみたかったんです」とインタビューに答えています。オリンピックに参加して、メダルを狙ったりすると、結局、スケボーを楽しめなくなるというメカニズムを、まだ24歳と瀬尻さんはお若いんですが、きちんと理解されています。スケボーの今後について質問されると
「スケボーって、結局、ただのストリートカルチャー。今後パークや練習設備が整っても、ストリートで滑る人は減らないと思います。一方で、ビデオカルチャーも根強くある。2~3秒のスケボーの技を、何十本も撮りためて自分の作品として出す。それだけを目指す人もたくさんいる。自己表現のツールなんです」と、スケボーのあるべき姿について、perfectに語っています。めちゃめちゃカッコいいです。こんなカッコいいことを、さらっと言える若者がいると知って、安心しましたし、嬉しくもなりました。スケボーは、オリンピックの競技とかには、やっぱりならなかった方が、結局は、良かったんだろうなとも、思ってしまいました。

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