自#264「熱いライブを実施するために、夏休み、冷房なしでライブをやってたんですが、熱中症にならなかった昔の生徒は、今より体力も根性もあったかも・・・です」

  「たかやん自由ノート264」

今年、J高校を卒業した3年生の卒業ライブが、コロナ禍で開催できなかったので、1年後の2021年3月末に、実施するつもりでしたが、4日ほど前に、諸般の事情を考慮して、中止することに決めました。いくら何でも、1年後は大丈夫だろうと云う読みが、完全に外れたわけです。自分が面倒を見た学年の卒業ライブを実施しなかったことは、かつて一度もなかったし、自分自身の教員生活の最後も、ライブで歌って、さわやかにピリオドを打つつもりでした。誰の人生も、思い通りにはならないと云うrealityを改めて、再確認してしまいました。

 最後に勤めたJ高校では、部活の顧問として、仕事の優先順位の一番が、ライブでした。軽音連盟が発足してからは、ライブが発表会になってしまいました。発足当時の連盟の委員長は、「高校の軽音部は、アンプを使った吹奏楽部のようなものを目指している」と、新聞のインタビューに答えていました。学校で、バンド活動をする以上、そう言わざるを得ないってとこもあります。軽音連盟の大会が、スタンディングは完全禁止で、椅子に座ってlisten toする発表会形式であることも、やむ得ないと理解できます。軽音連盟やその他の団体の大会は、発表会でいいとして、少なくとも、自分の学校のバンドイベントは、ライブをやろうと、J高校でバンドの部活を立ち上げた時、固く決心しました。熱いライブを実施することが、J高校での私のミッションだったと言っても、過言ではありません。

 室温が物理的に高ければ、熱いライブになります。ですから、最初の3年間くらいは、夏休みに実施するライブでは、冷房を使用してませんでした(と云うか当時は冷房そのものが設置されてませんでした)。室温はとんでもなく高かったと思います。ライブ会場から、廊下に出ると、廊下が冷蔵庫の中かと、思われるくらい温度差がありました。冷房なしの灼熱のライブで、通販で買った安物のパワーアンプを、3つも飛ばしました(毎年、一台ずつ壊れた勘定です)。アンプが壊れることを恐れたわけではなく、熱中症で倒れる生徒が、出て来たら困るので、冷房が設置された後は、室温30度で、ライブをやっていました。

 5月のゴールデンウィークの最後に3年生の引退ライブを実施していましたが、そっちは5月ですから、当然、冷房なしです。冷房の使用が許可されるのは、原則、7月からです。天気が良ければ、5月であっても、室温はかなり高くなります。夏は冷房を使っているので、結局、5月のライブが、物理的にも一番、熱いライブになりました。使用していた教室は、すぐ上が屋上で、4階にあった地学室です。legendになるような、熱い地学室ライブが、実施できたと思っています。それは、自分の学校のバンドの努力だけでなく、有力な他校さんのバンドが、身体を張って協力してくれたからです。J高校の地学室では、熱いライブをやらなきゃいけないと理解して、他校のバンドは参加してくれていました。

 熱いライブを地学室で実施していました。が、残念ながら、校舎改築で、地学室はなくなってしまいました。地学室の音環境はすぐれていました。押し入れとか、そこらにガラクタがいっぱいあって、汚いおもちゃ箱をひっくり返したような教室でしたが、ナチュラルな心地良いリバーブがかかる空間でした。中野区のS高校から転勤する時、軽音部のある学校だったらどこでもいいですと、学校長に頼んであったのに、まんまと軽音部のない学校に飛ばされて、プチいらっとしていましたが(いや、ぶち切れていたと言った方が正確かもです)あの地学室でライブを実施するために、私はJ高校に送り込まれたと云う風にも考えられます。地学室が消滅した時点で(地学室が最終的にパワーシャベルの一撃で破壊されたのは、2019年12月21日のPM2時頃です)私のJ高校の部活の顧問としてのミッションは、終了したと云う風にも思えます。

 地学室で熱いライブを実施することが、優先順位のNo1と云うのは、実に判り易く、simpleなミッションで、自分らしいテーマだと納得していました。世の中、いろいろなことが、まあ、なかなか思い通りには、ならないものですが、教員生活の最後の10年の地学室ライブは、ほぼほぼ、思い通りになりました。J高校時代だけではありませんが、ハピネスを掴み取れた教員生活だったと理解しています。

 退職後は、日本の古典を読むことに決めていました。退職して、時間があり余っている生活の中で、どしどし読むとかと云うやり方では、挫折するかもしれないので、フルタイムの教職をリタイアする1年2ヶ月前から、源氏物語を読み始めました。日本の古典を読んで、何の役に立つのかと質問されても困ります。まったくもって、不要不急ですし、別段、役にも立ちませんが、これが私のやりたいことなんです。地学室ライブだって、何かの役に立つと思って、(功利的に?)実施していたわけでもありません。役に立つ、立たないとかじゃなく、やりたいからやる、それが一番重要なモチベーションです。地学室ライブに参加していた生徒だって、あれが役に立つとは、1ミリも考えなかった筈です。役には立たないけど、最高に楽しい、そういうことに没頭することが、大切だと単純に考えています。

 この歳まで、何やかや、わさわさ楽しく生き抜いて来れたわけですから、恵まれた人生だったと自覚しています。子供の頃は苦労しましたし、母親との関係も最後まで最悪でしたが、トータルで見て、人生の恩恵はどっさり受けて来て、プラスマイナス、ゼロとかじゃなく、どっちかと云うとずっと得して来た人生だったと、感謝もしています(ですから社会や他人に対するルサンチマン的な感情は、まったく抱いてません)。

 源氏物語は、3巡目があと数日で終了します。毎日、10ページがノルマです。まあ、3巡目くらいになると、ノルマとか、義務的な勉強感とかは全然なくて、京都の嵐山とか北山を散策するような軽いノリで読めます。今だに、よく解らない箇所も、結構、ありますが、全然、気になりません。別段、何もか判る必要もないんです。

 徒然草の中に、「念仏していて眠くなったら、どうすればいいですか」と、在る人が、法然上人に質問する箇所があります。法然は、目が覚めている時だけ、念仏すればいいと、さらっと答えます。その後「往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり」と、まるで禅問答のような言葉も伝えます。法然上人の最後のシメは、「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」です。源氏物語を、3回読んだ今の私は、この法然上人の言葉は、すべて理解できます。それは末法の年まで、あと50年くらいの1000年頃の時代の空気感を私なりに掴み取ったからです。ライブにも真実はありますが、日本の古典にも真実は当然あります。真実に少しでも近づく努力をする、これは、人のあるべき姿だと確信しています。

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