創#356「東京の大学に入学して、人並みに映画を見ました。文芸座Ⅱ、早稲田松竹、高田馬場パール座、飯田橋銀嶺ホールとかで。映画館で映画を見るのと、自宅のパソコンで、サブスクの映画を見るのとでは、やはり本質が違います」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー93」

「ライターって、ガスを燃やすんじゃないんですか?」と、関谷くんが訊ねた。
「通常はそうだが、ジッポーはオイルを入れる。どうしたって、扱っている内に油分が、漏れてしまう。ステンレスのライターが、油でぴかぴかになる。車のホィールをワックスで磨くみたいな感じだな」と私が言うと、
「ベトベトするじゃないですか」と、関谷くんは、抗議するような口調だった。
「ベトベトするだけじゃない。手にオイルが付着してたら、そこに引火したりする。そしたら、手を床なり土なりに叩きつけて、素早く火を消す。即座に消せば、オイルしか燃えないから、手の皮膚は焼けない」と、私は説明した。
「手が最悪、焼けるかもしれないってことを含めて、カッコいいってことですか」と、関谷くんは訊ねた。
「まあ、そうだな。ベトナム戦争の時、海兵隊の兵士が使ったんだが、海から強風が吹いても消えない。海の見える小高い丘で、タバコを吸ってる先輩は『これじゃなきゃダメだ。ガスライターじゃ、すぐ消える』と言ってた。オレも持ってた。今は、もうほとんどタバコを吸わないから、後輩にプレゼントした。後輩は、ジッポのオイルライターを使って窯に火をつけてる」と、私が言うと
「じゃあ、ごく時たまタバコを吸う時は、百円ライターとかを使ってるんですか?」と、関谷くんは訊ねた。
「いや、マッチだ。あちこちの喫茶店に行く。だからマッチは結構持ってる。コレクションをする趣味はないから、火をつける時、使ってる。今は、みんな普通に百円ライターを使うが、マッチで火をつけるのは、ある意味、原始的でわくわくする。子供の頃、毎年、春に山火事を見たが、火をつけて山を燃やしたいという気持ちは解る。金閣寺を燃やした修行僧の気持ちだって解る。が、世の中にはルールがある。やっていいことと、or notなこととは、截然と区別しなきゃいけない。山や金閣寺は燃やしちゃいけないが、マッチで火をつけて焚き火をすることは、許されてる。許容範囲の中で、多少はリスクのあることもして、楽しんだりストレス解消をすることも大切だ。焚き火だって、リスクはあるから、バケツを水くらいは用意して、何かあれば、自己責任で、すぐさま消さなきゃいけない」と、私は説明した。
「昔、アイビーだったのに、何故、やめたんですか。VANが潰れても、トラッドの服は、KENTや、ニューヨーカー、マックレガーなど、探せばいろいろあります。Jプレスだって、日本に店を出すかもしれないと、先輩が言ってました」と、関谷くんが言った。
「スーツを着て、ネクタイを締めるつもりは、今のとこないが、Jプレスが、日本に代理店を出したら、一着くらい持っていても、いいかもしれない。チャコールグレーとかの渋い色を選んでおけば、法事とかに行く時に使えるだろう」と、私が言うと
「オレンジのウィンドブレーカーで、法事に行ったりは、さすがにしないんですね」と、関谷くんは揶揄するように言った。
「それはさすがにない。そんなことをすると、場の雰囲気を壊す。場の雰囲気を積極的に壊す趣味は、自分にはない。そういうことをする仲間もいるが、まあ限度を超えた自己中心主義だな」と、私は言って
「トラッドを基本、やめたのは、それはアメリカ東部のエリート校の学生及びOBたちの服装だと、はっきり理解したからだ。アイビースクールは、ハーバード、エール、プリンストンなど、全部で、八校あるが、すべてエリート校だ。エリートになって、社会を積極的に動かして行くといった野望は、全然ない。そういうことをする人は、やっぱり選ばれた人たちだと思う。自分は、どう考えても、選ばれてない。選ばれたくもない。音楽、アート、文学、哲学が好きだ。が、そういう自分の好きなものを、仕事にするつもりもない。まあ、職業にするのはどれも難しい。高校の時、世界史の恩師が、『哲学をやりたいんだったら、高校の倫理の教師になるしかない。が、底辺校だと、集団でタバコを吸ったり、喧嘩をしたり、お腹の中に子供ができたり、そう言った実戦課題に振り回されて、哲学どころじゃなくなる』と言ってた。オレは『そういう実戦課題を、哲学の思想を使って、一個一個クリアーして行けばいいんじゃないですか』と反論したら、それは机上の空論だと一蹴された。プラトン、アリストテレスをたとえ原書で読んだとしても、生徒のお腹の中の子供の問題が、易々と解決するわけでもない。それに、学校は、やっぱりいろいろ縛られている。そういった相談を受けるんだったら、バーテンの方が、はるかに向いてるし、flexibleに対応できると思う。恩師は、世界史の先生だが、『オマエはアートが好きだし、世界史を学んでおけば、何かと便利だぞ。バーテンだって、世界史やアート、音楽に詳しいバーテンになれば、自ずと客は集まって来る』と、のせられて、取り敢えず、大学に入学する前の春休み、HGウェルズの『World History』を一気に読んだ。『チップス先生さようなら』とか『老人と海』といった短編を、高校時代、長期休暇の課題として読んだが、そういう小説よりも、『World History』のような論説文の方が、はるかに易しい。本の中で使われている単語だって、でる単のような単語集で学習したレベルの単語だ。受験で世界史をやったので、西洋アート見るための基礎的な教養は、身についている。西洋美術館に行って作品を見ても、いつ描かれたものかが解れば、時代背景は、即座につかめる。西洋アートを見るんだったら世界史の勉強は、必須と言っていい。が、そうすると、日本のアートを見る場合、日本史の教養も必須だということになる。関谷くんは、日本史受験だと思う。自分は、受験の帰りに、奈良の仏像を見たが飛鳥、白鳳、天平の各時代について、歴史的な知識がなさすぎて、正直、曖昧な雰囲気で、カツカツ、解ったような、解らないような感じだった。まあ、アートだから、全面的に解る必要は、そもそもないとは思っているが、知識はやっぱりあった方がいい。東京には、西洋アートがそれなりに、あちこちにある。映画だって、名画座に行けば、過去の名作を見ることができる。自分は、クラシックのコンサートに行くつもりはないが、その気なれば、ベートーベンだって、モーツアルトだって、オーケストラで生の演奏を聞くこともできる。が、日本の仏像について、極めたいのであれば、東京じゃなくて、京都の大学に行った方が、望ましい。そういうことまで考えて、同志社を受験したのか?」と、私は関谷くんに訊ねてみた。 

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