自#451「シェンキェヴィチのクォヴァディスを読み始めました。注釈の活字のポイントが小さくて、読みにくいです。が、まあ、もう試験の採点も終わって、完全、夏休みモードですから、3、4日で、全3巻を読み切ります」

         「たかやん自由ノート451」

 シェンキェヴィチの「クォヴァディス」を読み始めました。クォヴァディスは、「Where are you going?」、神よどちらに行かれますか? という意味です。アッピアス街道を南下して、ローマから逃げ出そうとしていたペテロの前に、神が天上から降りて来ます。ペテロは、「クォヴァディス、ドミネ?」と質問します。この有名な箇所は、教員になってからも、何回か読み直しました。あとの部分も、高1の時に、さらっと読んでいる筈ですが、細部はほとんど記憶してませんでした。ほとんど初見って感じです。
 ネロが皇帝だった頃の話です。ネロの側近のペトロニウスが、主要人物として登場します。ペトロニウスは、趣味の審判者と言われている、ギリシア的な文化を身につけた教養人です。が、皇帝専制の暗い狂気の時代です。ギリシア的教養だけで、生き抜いて行けるわけではありません。ペトロニウスもセネカも、最後はネロに自殺を強要されます。ペトロニウスもセネカも、ペテロもパウロも、悉く死んで行きます。ローマは、旧約聖書に出て来るソドムとゴモラを巨大にしたような、退廃しきった悪徳の街です。その悪徳の街を悪徳の権化のネロが焼きます。そして、ネロも斃れます。シェークスピアのリア王の最後は、王もコーディリアも廷臣も全員、死にます。この世の終わりを彷彿させてくれます。それと同じで、この世が終わるからこそ、心の中の神の国が、立ち上がって来ると、理論的には言えるのかもしれません。
 ペトロニウスのインスラ(邸宅)に、姉の息子のヴィニキウスがやって来ます。ペトロニウスの年齢は判りませんが、もう老年にさしかかっています。毎夜、宴会続きで、不健全きわまりない生活をしています。ペトロニウスは、ギリシア文化に心酔している趣味人ですが、ギリシア人のように身体を鍛えるという発想は、持ち合わせていません。微温湯に入り、奴隷に身体を揉ませ、美しくて若い女奴隷に、オリーブ油を塗らせます。香りの高いオリーブ油のパワーで、何とかリフレッシュして、日々、健康そうに過ごしています。 若い頃、先輩に「マッサージは、身体の疲れを取ってくれるし、心地良いものだが、一度、マッサージを始めると、もう元に戻れなくなる」と、警告されたことがあります。私の伯母も、時々、マッサージを受けて、確かにマッサージ後は、元気になっていました。日本の場合、オリーブオイルを塗ったりはしませんが、今、流行のリフレクソロジーは、何らかのオイルなどを、使ったりするのかもしれません。基本、他人に頼らないというのが、私の生活スタイルですから、マッサージを経験したことはありませんが、アルコールやタバコ、薬物などでストレスを解消するよりは、マッサージ+オイルの方が、はるかに効果的だろうと推測できます。
 ペトロニウスを訪問した甥のヴィニキウスは、彫刻家のリュシッポスが見たら、大理石でヘラクレスの像を刻んでしまいそうな、美しい肉体美を持った若者です。教養のレベルは、さほど高いとは言えません。私は、旧制高校出身の先生にも、世界史を高校時代に教わりました。旧制高校時代の文化レベルには、到底、太刀打ちできないと、身をもってリアルに理解しました。時代が下るに従って、文化レベルは下がります。それは、鎌倉時代末の兼好法師の頃も、古代ローマの初期帝政期も、私が過ごした昭和時代も、仕組みは同じです。
 ヴィニキウスは、生粋の軍人です。イスパニアに赴任したら、牧歌的な田園生活を楽しんだりはせず、屈強なイベリア兵を集めて、ゲリラ戦をやりたいと考えている若者です。ローマにとって、必要な軍人かもしれませんが、軍人のエートスを貫いていると、どこかで、蛮族に討たれて死にます。ペトロニウスは、可愛がっている甥っ子に、軍人に成り切ることは危険だし、何ごとも中庸を心得て、ほどほどにした方がいいと言った処世訓を、伝えます。実際は、ペトロニウスだって、退廃しきった日々を送っています。自分のことを棚に上げて、後生にいっぱしの教訓を垂れることが、洋の東西を問わず、年寄りの仕事のようなものです。
 レクトル(読師)が、パピルスの巻物を収めた青銅の筒を抱えて入って来ます。マッサージをしたり、オイルを塗ったり、調髪をしたりしている時に、書物を読ませて、それを聞くのが、教養人の嗜みです。ゲルマン人の、カール大帝だって、食事中にラテン語の本を読ませて、それを聞いていました。が、ヴィニキウスは、本よりも叔父と喋ることの方を希望します。ペトロニウスは、最近の売れ筋の本について語ります。古代ローマでも、やはりスキャンダル本は、人気が高かったようです。作者が追放されたりすると、さらに洛陽の紙価を高めます。作者が追放されても、簡単に発禁にならないのは、ローマ的なゆるさだと想像できます。今、一番、スキャンダルな本は、本屋が百人も写学生を雇って、その本のコピーを作っているそうです。当時、本は、手書きで一冊ずつコピーを拵える以外に、増刷の方法はなかったんです。源氏物語にも、姫宮の結婚のお祝いのために、親類や周囲の女房たちが、せっせと書き写しをして、嫁入り道具の本を準備するsceneが出て来ます。ヴィニキウスは
「そのスキャンダル本に、叔父様のことは出てないんですか?」と、質問します。ペトロニウスは
「勿論、出ている。あれに書いているより悪い事をしている。ああ詰まらなくはないよ」と甥に語ります。書写で増やす時代であっても、書籍はオフィシャルなものです。オフィシャルな本に、そう過激なことは書けません。どうしたって、sophisticatedされた、当たり障りのない話題を書くことになります。本の字面には表れてないことを、読み取るリテラシー能力が、真の読書人には必要です。谷崎の文章読本にだって、大切なことは、行間に書いてあると教えています。
 ペトロニウスは、ヴィニキウスの上司だったコルブロ将軍について
「あの人は、戦争の神だ。本当のマルス(ローマの戦争神)だ。将軍らしい男だが、何にしろ怒りっぽくて、几帳面で、莫迦(ばか)だな。私は好きだがね。ネロは怖がっている」と評します。ヴィニキウスは「コルブロは莫迦ではありません」と、反論します。人を殺す軍人は、莫迦じゃないと、いい仕事はできません。戦争に勝つためには、相手の兵士だけでなく、自分の軍の兵士も、一定数、犠牲にする必要があります。賢い人には、人殺しはできません。それに、ネロに怖がられている時点で、すでに莫迦だと言えます。コルブロは、ギリシアに呼び戻されて、ネロから死を賜ります。が、まだ若いヴィニキウスには、ペトロニウスの意見は、理解できません。

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