創#695「教え子が、何人か高校時代、回転寿司屋で、寿司を握っていました。高校生のバイトが、寿司を握ることができるというのも、何か、しっくり来ない感じはします」

       「降誕祭の夜のカンパリソーダー439」

「オマエの伯父さんは、予科練に行ってたんだろう。終戦があと二日、延びていたら、特攻機に乗って、敵艦に突っ込んで死んでたという話も聞いた。予科練には、志願して行った筈だ。一体、どういう気持ちで、予科練を志願したのか、圭一はその理由を聞いたことがあるのか?」と、Yが訊ねた。
「聞いたことは、勿論あるよ。周囲の仲間達も予科練を志願した。戦争は始まっているし、自分も何とかしなきゃいけないと考えて、志願したらしい」と、私が言うと
「お国のために特攻機に乗って死ななきゃいけないと考えたわけか」と、Yは半信半疑といった口調で言った。
「まあ、オレたちが卒業した、あの漁村のちっちゃな小学校でも、そういう軍国主義的な教育をしてたんだろうな。特攻機に乗って敵艦にぶち当たった死ぬ、艦砲射撃の弾が当たって、自分が乗ってる飛行機が墜落して死ぬってことだろうが、死ぬ直前まで、人間は生きている。死ぬということの本当の意味は、理解してない。理解してないから、こうやって平然と生きることができる。伯父は、出撃せず、生きて帰って来たから、死については、何も理解していない。死ぬことが、本当に判っていたら、戦争などできない。お国のために死ぬとかって、ただの言葉だ。そもそも、お国って一体何だってことになるだろう。For othersのothersの中に、お国は入ってない。リアルの生身の人間が、For othersの他者だろう」と、私はYに返事をした。
「オレたちが生きている間に、もう戦争はないと考えてもいいか?」と、Yが訊ねた。
「憲法第九条の縛りがあるから、そう易々とは戦争は起こらない。第二次世界大戦を経験した人は、第三次世界大戦が起こったら、世界は破滅すると理解できている。1962年のキューバ危機は、核戦争が起こりそうな重大な局面だったが、結局、ソ連が折れて回避した。第二次世界大戦を覚えている人は、最後の最後できちんと妥協して、戦争を回避する。オレたちは戦争を知らない世代だが、戦争を知らない人たちだけが、世界に住むようになったら、戦争を回避するという抑止力は、働かなくなるのかもしれない。まあしかし、それはずっと先のことだし、先のことを心配していたら、それだけでも、大きなストレスだ。心配していることは、9割5分以上の高い確率で、起こらないらしい。戦争はもう起こらない、この平和は取り敢えず、自分が生きている間は、続いて行くと、気楽に考えておけばいいだろう。結婚をして、相方の奥さんと協力して家庭を築く、子供をきちんと教育する、親の老後の面倒を見るとか、やるべきことは、どっさりある」と、私はYに説明した。
「オレが火事を起こした頃、いろいろ取り込んでいたが、二個上のN先輩がやって来て、『親が脳卒中で倒れて、修業の途中で残念だが、帰ることになった。オマエは、頑張ってくれ』と、挨拶された。N先輩は、もう帰郷して、親の介護をしている。戦争は起こらないかもしれないが、親の介護となると、誰にでも遅かれ早かれ起こる問題だ。N先輩は、あと2、3年で修業が終わる筈だった。オレは、火事を起こしたので、何があっても、修業を途中で投げ出すことはできない。そう考えると、火事を起こしたのは、あながち悪いことでもなかったのかもしれない」と、Yはしみじみとした口調で言った。
「オマエの場合、たとえ親が倒れても、妹さんがいるだろう」と、私は口を挟んだ。
「両親は二人とも元気だから、どっちかが倒れたら、片方が面倒を見る。N先輩のとこは、お母さんが早くに亡くなっている。お姉さんはいるが、九州かどっかにお嫁に行っている。お父さんが倒れたら、当然、N先輩が、帰って面倒をみなきゃいけない。7年間、寿司屋で修業をしたから、基本的なことはきちんと身についているが、最後の2、3年が、やっぱり大事だ。野球の8、9回が大切だというのと、同じ理屈だ。普通の飲み屋の厨房で働くことはできるが、それじゃあ、7年間の修業は、何だったってことに、やっぱりなる」と、YはN先輩に同情するような口調で言った。
「オレは、親が倒れるとか、考えたこともない。まあ、その時はその時って感じだ。親の面倒を見ずに、ネグレクトして、放置するとかはさすがにないが、親の介護を、ちゃんとやれる自信とかは、全然ない。結婚してたら、相方の伴侶が、ある程度、ケアしてくれるとは思うが、それも何か、自分にとって都合良すぎるような気がする」と、私は言った。
「結婚をして、自分みたいな子供が生まれたら、それは大変だとか、やっぱり考えたりはするのか?」と、Yは唐突に訊ねた。
「自分のDNAが半分、相方が半分。組み合わせると、きっと大きく変化する。自分のような素直じゃない、難しい子供は、さすがに産まれないと、勝手に思い込んでいる。オレは、結婚したら、その伴侶と、一生、何とか上手く過ごして行く。それは、結婚をする以上、義務だと理解している。そもそも、自分は、人とはそんなに揉めたりはしない。小学校の頃だって、小5で転校して、すぐにYたちと打ち解けた筈だ。N中の中学時代は、そこら中、ヤバい先輩だらけだった。小学校の頃のN先輩やM先輩は、優しくて物分かりの良い理想的な、いい先輩だった。N先輩やM先輩とは、まったく真逆と言ってもいい、とんでもなくわがままで、残酷な先輩もいた。それでも、後輩だから、上手く付き合って行かなければいけない。ただまあ、これだけは絶対に譲らないという、自分の考えはあった方がいい。カツアゲ、万引きをやって来いと言われても、それは、絶対にやらないと言うことを、日頃から先輩に知らしめておくことも大切だ。何でも言うことを聞く、都合のいい後輩とかだと、間違いなく悲惨なことになる。いよいよとなったら、先輩と、大喧嘩をする覚悟も、しておかなければいけない。勝ち負けがどうであれ、後輩が先輩に切れたら、先輩は立場を失う。そこまで、後輩を追い込んではいけないということを、後輩の誰かが先輩に教えなきゃいけない。まあ、それは、自分の役目だと、そのヘンも、自分は充分に理解していた」と、私はYに伝えた。

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