自#772「バーチャルスニーカーが、140万円で売買されたそうです。バーチャルお墓とかが、高額で売買される日も、遅からずやって来るだろうと想像しました」

         「たかやん自由ノート772」(自己免疫力119)

スニーカーについての記事を、GLOBEで読みました。スニーカーは「底がゴム製の運動靴」と広辞苑では、定義されているそうです。残念ながら私が使用している昭和58年に出版された広辞苑第三版には「スニーカー」の語は収録されていません。
 ペアで揃えたスニーカー
 春、夏、秋と駈け抜け
 一人ぼっちの冬が来る
と、近藤マッチさんのスニーカーブルースは、すでにポップスのスタンダードナンバーになっていた筈ですが、歌謡曲が大ヒットしたからと言って、広辞苑に即、収録されるわけではありません。社会全体の中に、スニーカーがそれなりに普遍的に浸透して、はじめて言葉は国民全体で、shareされます。
 実質、スニーカーと言える布靴は、昔からありました。我々より上の世代は、それをズックと呼んでいました。「今日、体操があるんやったら、ズック持って行きや」と、昭和の中盤、全国津々浦々のお母さんは、普通に、こんな風に小学生の子供に声をかけていた筈です。
 ズックというのは「綱麻の繊維の太撚糸で地を厚く平織りにした織地」です。主にテントや帆などに用いましたが、この布で拵えて、底にゴムを貼ったものが、ズック靴です。が、まあズックという言葉では、ブレイクしなかったわけです。
 私が中1の時、Oくんというバスケ部の同級生が、体育館でこじゃれたズックを履いていました。「Oちゃん、そのズック、げにカッコええけん」と声をかけると「これか。これは、オールスターのコンバースやで」と、教えてくれました。コンバースのロングでした。
 コンバースのショート、つまり半バスが、長い間、運動靴の典型のように思われていました。中2の春でしたが、当時、IVYアイテムを作っていたVANから「夏前に、青いスニーカーが販売されるらしい」と、洋服屋で働いている先輩から、噂を聞きました。中2の春ですから、昭和43年です。近藤マッチさんの、スニーカーブルースが登場するのは、その後、12、3年、経過してからです。広辞苑の収録は、まだずっと先です。新しい言葉が収録されるためには、どうやら20年くらいの歳月がかかりそうです。
 青いスニーカーのイメージは、まったく湧いて来ませんでした。「ブルースウェードシューズ」というロックのスタンダードナンバーがあって、その曲は、知っていました。スウェードは、本物のスウェードではなく、コットンスェードだろうと推測しました。コンバースの名称は、すでに1年前に知っていましたから、青いコンバースのようなものだろうと、勝手に思っていました。夏休みに入る少し前、VANのショーウィンドーに青いスニーカーがdisplayされたと聞いて、京町(アーケード街の名称です)にあった、VANの店に見に行きました。
 百聞は一見に如かずです。コンバースとは、似て非なるものです。運動靴としての機能性は、さして追求してないって感じでした。見た目、スマートで、なおかつ色がパステルカラーの水色だったので、カッコ良かったんです。が、まあ当時、四国の田舎のそこら中にあったどろ道を雨の日に歩いたら、取り返しがつかないほど、汚れます。「飾っておく分には、カッコいいけど」と、その時、思ってしまいました。
 今から、55年前、VANの青いスニーカーを見て、「飾っておく分にはカッコいいけど」と、私は思ったわけですが、令和なうの若者も、どうやら似たような発想をする様子です。GLOBEには、140万円の値段のついたバーチャルスニーカーが、わずか9分で買い手がついたと、報告しています。140万円ですから、これを購入したのは若者ではないのかもしれません。
 バーチャルスニーカーですから、モノとして、現実に、そこにあるわけではありません。バーチャルな空間でのみ、そのスニーカーは存在しています。ですから、実際に履くことはできません。が、メタバースの世界で、自己のアバターが、このスニーカーを履くことは、可能です。
 リアルの自己と、仮想空間の自己の分身であるアバターとの区別が、たいしてないと考えている進んだ人(?)にとっては、どろ道で汚れたりしない(たとえ汚れたとしても、瞬時に元に戻せます)バーチャルな靴の方が、望ましいのかもしれません。
 自分の靴を、他人に貸すのは、さすがにちょっと抵抗があります。相手が、水虫菌を持っていたりすると、shareとした靴を通して、自分自身も水虫感染してしまいます。が、仮想空間でしたら、たとえ感染しても、これまた、瞬時に、その感染はなかったことに、することができます。リアルの世界は、コロナ禍で外出もままならず、一日中、マスクをして、呼吸器も弱りつつあるという、脆弱で不便極まりない世界です。もう、こんなリアルは、さて置いて、バーチャルな世界で、自由奔放にのびのびと暮らして行こうと、考える人が、出て来るのも、ある意味、当然かなって気もします。
 デジタルスニーカーですから、いくらでもコピーが作れます。が、商品というものは、数が少なければ少ないほど、価値を持ちます。世界中で、これ一個しかない、この状態が、もっとも高い価値を持ちます。ですから、NFT(非代替性トークン)という仕組みで、世界中でたったひとつの本物だと証明する、そういう技術も発達してしまったわけです。
 スニーカーのコレクターは、元々、それなりの数、いたわけですが、コレクターの悩みは、実際に履いてしまうと、価値が下がってしまうことです。マイケルジョーダンが履いたというレジェンドのコンバースを手に入れて、それを自分自身で履けば、プチマイケルジョーダン的な心理状態に陥り、勇気が湧いたり、気持ちが良かったりするのかもしれませんが、その靴の価値は、無名の私が履くことによって、下がります。著名なオーラを放つ靴を持っていることを、他人にアッピールしたいと願っていても、人に見せるためには、それをパーティ会場とかに、履いて行かなければいけません。が、そうすると価値が下落します。
 その二律背反の悩みを、インスタグラムは、快刀乱麻を断つかの如く、すぱっと解決してくれました。テキストベースのツィッターやブログで、自分が手に入れたスニーカーをあれこれ自慢しても、正直、さしてインパクトはありません。インスタにupして、それが、周囲の光景とぴたっとマッチし、カッコ良く見えれば、それをupしている自分自身も、「オレってカッコいいし」と勝手に思い込むことができます。インスタの登場によって、スニーカーコレクターたちは、一気に熱くなって、GLOBEで特集記事が組まれるくらいのレベルまで、ブレイクしてしまったわけです。
 ナイキのエアマックが登場したのは1995年。その頃は、まだリアルの世界の話題でしたが、バーチャルなネットですと、話題は一気に大拡散します。世の中の変化のspeedが早すぎて、正直、私は、まあ、ただひたすら、傍観してるって感じです。

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