創#656「人間が生きている本質的な意味はないから、18歳で死んでも、80歳で死んでも、結局は同じだろうという議論を親友のHと高校生の頃、よくしました。が、二人ともまだ生きています。人間には、長生きをして、なすべきsomethingがあると、信じられます」

      「降誕祭の夜のカンパリソーダー393」

「生きている意味がないから、絵を描いている人もいるのかな」と、Y子が私に訊ねた。
「そう少なくはない数、きっといる。画家はデッサンの線を引いたり、絵筆で色を塗ったりするわけだが、少なくとも、その作業に熱中している間は、生きている意味を実感できている」と、私が言うと
「生きている意味は、その個人が主観で生きている意味を感じ取ればいいってこと?」と、Y子が言った。
「多分、そうだと思う。生きて入る意味を、誰かが教えてくれたり、神が生きてる意味を保証してくれたりするわけじゃない。個人の力で、世界観を組み立てなければいけない。複雑、厄介に、より難しく考える人と、simple、ストレートに世界観を築く人とがいる。自分は、simpleかつストレートなタイプに憧れるが、自分の性格は、複雑で厄介なことを好むタイプだ。ロック音楽は、好きだが、ロック音楽を聞いて、歌って、それだけで、生きている意味が完膚無きまでに実感できるという、分かり易い人間じゃない」と、私は言って、熊谷守一の描いた「陽の死んだ日」の絵の前に、Y子を案内した。
「これは、陽さんって人が、死んだ時の様子を描いた絵なの?」と、Y子が訊ねた。
「死につつあるのか、死んでいるのか、判別できない。カタログには『突然40度の高熱を発して倒れたが、肺炎が手遅れとなり、病院で急死した。その枕元で悲痛の思いで熊谷は激しく描き上げた』と書いてある。が、いくら何でも、自分の息子が死んだ直後に描いたとは、考えにくい。息子が死ぬなんて、人生最大級の悲劇であり、悲しみだと思う。その悲しみがある程度、落ち着かないと創作活動には向かえない。悲しみは、落ち着いたが、悲しみはまだfade outせず、剥き出しのまま父親の胸に突き刺さっている。そういう時期に描いたんじゃないかな」と、私は、Y子に説明した。
「この陽さんって人は、幾つで亡くなったの?」と、Y子が聞いた。
「カタログを見ると、4歳で逝去したと書いてある。が、どう見ても4歳の子供の顔じゃない」と、私は言った。
「4歳の子供じゃなく、おじさんって感じがする」と、Y子が応じた。
「確かに。どう見ても、おじさんだ。子供の身代わりに自分が死ぬべきだったという思いで、画家は自画像を描いたのかもしれない」と、私はY子に伝えた。
「子供の死に顔とか、やっぱり見たくない。そんなの、誰も壁に飾らない。でも、おじさんの死に顔だって、あたしは見たくないよ」と、Y子は言った。
「外国には『メメント・モリ』死を忘れないようにという警告の意味も込めて、死を表現した絵が沢山ある。が、そういう生き方は、やっぱり不健全だと思う。取り敢えず、死をさて置いて、逞しく生きて行くべきじゃないかな。が、この絵の作者は、絵画で死を表現しておかないと、自分自身の心の整理ができなかったんだろうと思う。息子が死んだのであれば、自分もいったん絵の中で死ぬ。そこから、もう一度、不死鳥のように這い上がる。そういう決意表明も込めた絵なのかしれない。が、まあ美術館に飾って、不特定多数の人に、積極的に見てもらう絵だとは、自分には思えない」と、私はY子に伝えた。
「J中の同学年の生徒は、結構、何人も死んでるよね」と、Y子は唐突に切り出した。
「何人もって、三人だろう。三人とも、オレのバンドのメンバーだ」と、私は即座にY子に返事をした。
「そんな親しい人に死なれると、その『メメント・モリ』は、常に圭一くんの心の中に、座標軸のようにあったりするんじゃないの?」と、Y子が訊ねた。
「三人だけじゃない。従兄も、N中の先輩も、子供の頃、可愛がってくれた叔父も死んだ。Y子の言う通り『メメント・モリ』のコンセプトは、常に頭の中にある。だから、生きている意味は本当はないとかって真理に辿り着いたりする訳だ。この真理を小2で理解した。ある意味、とんでもなく賢い子供だった。賢い子供というのは、生きて行くのが、やっぱりしんどい。周囲の何も考えてないお気楽な先輩方が、羨ましかった。まあしかし、どうにかこうにか、この歳まで辿り着いた。人生80年時代という最近の流行言葉が、本当だとすると、4分の1終了したってことになる。が、そんな簡単な算術じゃない。小1の頃の夏休みは、とんでもなく長かった。果てしないくらい、延々と長い八月が続いた。が、高3の受験の夏は、一学期の終業式が終わって、その後、たいして何もしてないのに、あっという間に過ぎ去って、二学期の始業式を迎えた。これは、多分、大阪の高校だって、同じだ。小1の夏休みと較べると、高3の夏休みは、10分の1くらいの長さだった。人生80年時代で二十歳を迎えると、あとの60年は、これまでの20年よりも短いような気がする。これまでの20年間、自分のためだけに生きて来た。残りの短い人生は、多少なりとも人さまのために、役に立つことをして、生きて行くべきだと思ってる。Y子をここに案内したのは、少しでもY子のために、役に立ちたいという殊勝な気持ちも、少しはある」と、私は率直な口調で言った。
「役には立ちたいけど、リスクは避けたいんだよね」と、Y子が確かめるように言った。「男女の間に、どういうリスクが存在するのか、まったく見当もつかない。人生の意味がないんだったら、一緒に死ぬとかもありでしょうと、道行きに誘われて、ふらふら付いて行ったら、そこで人生はThe Endだ。あっけなく、死んだ人を沢山、見て来た。交通事故が一番、怖いかな。新幹線も飛行機も怖い。まあ、この傾向が極端になると、パニック障害ってことにきっとなる。今のとこ、まだそこまでは到達してない。が、高速道路を、時速100キロ以上のspeedで走る車の助手席に乗ったら、パニック障害を起こすかもしれない。新幹線は、200キロ以上のspeedだ。地上を200キロ以上のspeedで走るとかって、絶対にNGだと、心の中のゴーストが囁きかけて来る。、心の中から聞こえる声を聞いて、リスクを避けて行けば、ほぼほぼ息災に暮らして行けると楽観している」と、私はY子に説明した。
「じゃあ、スカイライン2000GTRに乗って、あたしをドライブに連れて行ってくれるってことは、未来永劫、あり得ないってことだね」と、Y子は、確かめるように言った。
「ピックアップトラックだったら、乗るかもしれない。あと四駆のジープ。が、女の子を乗せることは、今のとこ想定してない」と、私は正直に、Y子に返事をした。 

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