自#678「自己のタスクには、優先順位をつけて、優先順位の高いやるべきことには、きちんと手間ヒマをかけて、仕上げることが、やはり大切です」

「たかやん自由ノート678」(自己免疫力24)

三国志のオープニングは、劉備がどっかに出稼ぎに行って、稼いだお金で、お母さんに飲ませるためのお茶を買う場面あたりから始まります。劉備もお母さんも、お茶を飲んだことはありません。それは、お茶の生産量も少なく、高価で庶民には到底、手の届かない嗜好品だったからです。一生に一度でいいから、お茶というものを飲んでみたい、これが劉備のお母さんの願いでした。親孝行な劉備は、出稼ぎでお金を貯めて、お母さんのために、お茶の入った小さな壺を購入します。お茶を飲むことによって、お母さんが、より長生きをしてくれるんじゃないか、そういった期待もあった筈です。
 日本にお茶がやって来たのは、禅僧の栄西が、鎌倉時代にお茶の木の実を、持ち帰って以来ということに、一応、なっていますが、それ以前にすでに伝わっています。奈良時代の記録もあります。聖武天皇の頃、渡来して、宮中で栽培していたらしいです。このお茶は普及、発達せず、途中で立ち消えになったようです。奈良時代に到来した時も、栄西のお茶も、薬として飲まれていました。つまり生薬です。
 効能は無論、あります。発酵させた紅茶と違って、色が緑なので、よりフレッシュな効果が溢れていると思い込むことも可能です。
「たくさんの栄養素が含まれています。たとえばビタミンCは、ほうれん草の3~4倍。ビタミンEは、その20倍ほど。ビタミンAは、ニンジンの10倍もあるといわれています。そして、近年とくに注目を集めているのはカテキンです。カテキンは、細胞膜を丈夫にし、その働きを助けることで、ガンの発生を抑制し、血糖値の上昇を抑える効果があるといわれています。またカテキンの解毒抗菌作用は、食中毒の予防効果も期待できます。毎日の生活に緑茶を飲む習慣を取り入れることで、栄養の吸収を高めることができます」と、世界文化社から出ている「おいしいお茶の基本」というガイドブックには、記載されています。
 緑茶も紅茶も珈琲も、健康のために良い、すぐれた飲料だと声高に喧伝されると、それじゃ、自分は、健康のためには良くないであろう、スコッチのストレートをタンブラーで、一気に2、3倍、あおってみたいといった天邪鬼(あまのじゃく)なことを、古稀も間近の年寄りになっても、衝動的に思ってしまいます。もっとも、思うだけで、実際には行動しませんから、そこは、まあやっぱり年相応の分別と知恵がついて来たと、一応は言えます。
 私は、最近、緑茶に親しむようになりました。紅茶も相変わらず、飲んでいます。飲む量は、同じです。これまで、紅茶を朝一杯、午後三杯、合計四杯、少し大きめのマグカップで飲んでいました。同じマグカップを使って、早朝に紅茶一杯、食後にほうじ茶一杯、午後、紅茶を一杯と煎茶を一杯の合計四杯です。健康に役立てるために、よりヴァライティゆたかにしたというわけではありません。日本画(特に南画)を見ている時、紅茶は何か違うなと感じたので、日本茶にしてみただけのことです。長年、お世話になった、日々の不動のルーティーンとも言える紅茶とsay-goodbyするつもりは、さらさらありません。
 いわゆる煎茶というものを、子供の頃、飲んだことはありません(玉露など存在すら知りませんでした)。番茶やほうじ茶を、食事の時は、普通に飲んでいました。あとまあ、夏は麦茶です(これはお茶ではありませんが)。
 紅茶を飲むようになったのは中3の5月からです。中3の5月にヤンキー生活からリタイアして、することがなくなってしまったんです。中坊ヤンキーには、やるべきことがいっぱいあります。私は、後輩の面倒は全然見てませんが、先輩方とは上手に付き合っていました。他校のヤンキーたちとの人間関係とかもあります。校内で何かもめ事があれば、それをアレンジするのもヤンキーの仕事です。私は音楽系ヤンキーでしたから、ライブハウスにも出むく必要があります。中坊なのに、日々、16ビートくらいの慌ただしいテンポで、生活していました。ヤンキーのリタイアとともに、生活のテンポが落ちて、超スローペースになってしまいました。
 中3の夏休みに、中学時代の勉強を、「自由自在」という参考書を使って、市民図書館で、自学自習しましたが、それは、向学心があったからとか、高校に行きたかったからといった理由ではなく、ただたんにヒマを持て余していたからです(もっとも、英語だけは、ビートルズの歌詞を自分で訳してみたいという、はっきりとした目的意識がありました。実際に訳したのは、翌年の高1の夏休みです)。
 中3の5月頃、中学を卒業したら、取り敢えず、バーテン見習いになって、同時に大検の勉強もして大学受験の資格を取得し、将来は、夜、バーテンのバイトをしながら、東京の大学に通い、大学を卒業して、昼間は喫茶店で、夜はバーで働いて、資金を貯めて、バーテンとして自分の店を持つと、未来予想図を描いていました。15歳の夏の頃の方が、今よりずっとしっかりしてたかもです。
 将来は、確実にバーテンになるという想定のもとに、中3の頃から、紅茶や珈琲を、自分で作るようになりました。珈琲は、手動のミルを購入して、自分で豆を挽いていました。高校を中退して、16歳でバーテン見習いになりましたが、その基礎固めというか、準備は、中3時代からしていたんです。
 中3の頃、珈琲と紅茶の比重は、ほぼ同じでした。今でも、珈琲が嫌いってわけではありません。ただ、珈琲は、水に大きく左右されます。紅茶は、水道水であっても、きちんと煮沸してカルキと塩素を飛ばせば、それほど水の影響は受けません。紅茶の方が、作り易いと言えます。それと、珈琲は、タバコやブランディと、相性がいいんです。珈琲にのめり込むより、紅茶の方が、健康にいいかもと、若者らしからぬ姑息なことを、考えていたのかもしれません。
 中3の頃、紅茶のリーフは、日東の青缶を使っていました。その当時、四国の片田舎で手に入るリーフは、これのみでした(私が高校生になってから、トワイニングのヴァライティゆたかな紅茶缶が登場しました)。紅茶のポットを購入する経済力はなかったので、お茶の急須で代用しました。紅茶というのは、お湯の分量、温度、蒸らす時間などを一定にすれば、毎回、ほぼ同じレベルの紅茶ができます。珈琲は、豆のローストの仕方が違っていると、違った味になります。豆のローストの具合で、味が変わるので、珈琲を作る人が、いくら努力しても、不味いコーヒー豆で作った珈琲は不味いんです。それと、私が購入した安物のミル(当時、三千円くらいでした)は、細かい調節が利かず、結局、ざっくりした中粗挽きくらいで、珈琲を毎回、淹れていました。本当は、豆の種類によって、挽き方をアレンジする必要があります。
 紅茶も珈琲も、拵えるのに手間ヒマがかかります。その頃、実に多くの人が、インスタントコーヒーを飲んでいました。コーヒーの粉と砂糖と粉末ミルクを、カップに入れて、お湯を注げば、即座にできあがります。何回か、インスタントコーヒーを飲んだことがありますが、レギュラー珈琲と、インスタントコーヒーとは別種のものです。ミキサーで拵えたフレッシュジュースと、缶ジュースが別種のものであるのと同じです。便利でお手軽なもので、良いものはまず絶対にないと、中3の頃には、多分、もう確信していました。 手間ヒマを惜しんでしまったら、人生の大切なものが、知らず識らずの内に、すり抜けてしまいます。今の私は、そこらのスーパーで売っているような安物のリーフで、紅茶を飲んでいますが、手間ヒマはかけています。ミルクティーを飲む時、低温殺菌牛乳を、湯煎しなかったことは、過去に一度もありません。紅茶作りも、珈琲作りも、中3の時と同じように、手間ヒマをかけます。まあ、一応、これは初心忘れずってことを、きちんと遵守していると、自分では思っています。

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