自#252「高校時代に、JKが歌舞伎町でブイブイ言わせるなんて、リスク高すぎてヤバいかなって思いますが、まあ、でもやっぱり、めっちゃ面白そうな気もします」

「たかやん自由ノート252」

漫画家の二ノ宮和子さんのインタビュー記事を、週刊文春で読みました。二ノ宮さんは「のだめカンタービレ」で、一躍、人気作家になりました。担当編集者に「音大と質屋のどちらかを舞台にしたい」と提案したら、「音大で」と言われて始まった連載が「のだめカンタービレ」です。「打ち切られなきゃいいや」くらいの軽い気持で始めたら、偶然、売れたそうです。主人公ののだめは、ピアニストですが、指の描き方とか、結構、アバウトで粗雑ですし、絵の上手さを問題にされたら、この大ヒットマンガは、世に出て来なかったと推定できます。私も少し読みましたが、正直、通奏低音としてのクラシック曲は、少しも流れてなくて、音楽系マンガの衣を借りた、earthyで、素朴で、牧歌的な、日本の田舎町の人情マンガと云う風な印象を受けました。

 二ノ宮さんは、秩父でお生まれになって、中学校が終わるまで、地元で暮らしています。子供の頃は、友達とくず鉄で遊んだり(どういう風にして遊ぶのかは分かりません。陣取りをしたりとか、くず鉄どおしをぶつけ合ったりとか、くず鉄の形から、抽象的なスケッチを描いたりと云った風なことだろうかと、勝手に想像しています)裏山に登って、日が暮れるまで、花を探したりしていたそうです。一人で遊ぶことが多く「野っぱらでの一人遊びが、一人で作業をする漫画家としての基礎になっていると思います」と、語っています。

 近所には、書店はなく、お祖母ちゃんの家にあった手塚治虫作品や、叔父さんが読んでした少年チャンピオン、お姉さんが定期購読していた「少女コミック」「週刊少年ジャンプ」などを愛読します。基本、身体を使った遊びが好きだったので、絵を描くのは、机の前に座らなきゃいけない授業中や、テスト期間中です。勉強らしい勉強は、ほとんどせず、マンガと、自然の中の遊びに夢中になっていた、子供時代だったと想像できます。

 中学校の部活は剣道部で、日曜日も練習や試合があり、家でも素振りをして、剣道に没頭していたようです。中3の時、主将になり、秩父市の個人戦で優勝しています。「実生活が充実していたので、漫画が占める割合が低かったかもしれない」と、二ノ宮さんは、述懐しています。逆に考えると、いろいろと充実していなければ、バーチャルな漫画の世界で、夢をかなえると云う風なことなのかもしれません。

 当時は、日本全国の中学校が校内暴力で荒れていて、田舎に行けば行くほど、暴力のレベルは(一般的に言って)upしますから、そういう世界から逃れるために、二ノ宮さんは、東京の高校に進学します。お母さんが見つけてくれたのは、渋谷区にある関東国際高校。私の教え子が、この学校で、常勤講師として、数年、勤めていたので、どういう学校なのかは、私なりに理解しています。演劇の盛んな、都立高校とは、ちょっと文化の違うユニークな学校です。はまる人は、はまるし、まあ、or notの人もいると思います。

 二ノ宮さんは、学校の近くで一人暮らしをして、高校に通います。15歳の女の子に、大都会新宿の繁華街に近い所で、独り暮らしをさせるとかって、ちょっと(親も)すごいなと思ってしまいます。まあ、親もある意味、腹を括(くく)っています。剣道部は、全然、盛んじゃなくて、そこは残念だったんですが、その分、外で遊んで、自分のやりたいことがやれて、学校も東京も居心地は良かったようです。学校の近くの住居は、当然、友達の溜まり場になります。放課後、私服に着替えて、歌舞伎町に行って飲んだり(小学校の時に、すでにどぶろくなどを飲んでいますから、ジュースではない思います)バッティングセンターに行ったり、風林会館で卓球をしたり、ゲーセンで脱衣麻雀ゲームを楽しんでいたりしたようです。芸のこやしではないですが、漫画家になるためのベーシックなこやしを、高校時代、自由奔放に、のびのびと遊びを通して、身につけたんだろうと想像できます。中学時代にこれをやれば、正直、もっとfantasticだったと思いますが、中学生だと、リスクが高すぎます。大学生だと、まあ普通ですから、たいして、わくわくしません。高校時代に歌舞伎町で遊んでいたことが、二ノ宮さんが、成功するための、かけがえのない体験だったんだろうと推定できます。

 中1の時に投稿したマンガが、中一時代に掲載されて、高校時代は、リボンに投稿したマンガが努力賞に選ばれて、担当編集者もつきます。漫画家への階段も、着実に上りつつあったわけです。

 最初の連載作品「トレンドの女王ミホ」が売れたあと、住居の近くに2LDKの仕事部屋を借ります。鍵をかけず、常に開けっぱなしだったので、漫画家やミュージシャンの溜まり場だったそうです。二次会、三次会の後、二ノ宮さんの仕事部屋に来て、冷蔵庫を勝手に開けて、飲み尽くすみたいな。このヘンのエピソードは「平成よっぱらい研究所」と云うエッセー漫画でネタにしたそうですが、「私が負担した酒代は回収しきれてない」と、二ノ宮さんは仰っています。

 二ノ宮さんは、バンドのドラマーのポンちゃんと結婚します。長年、軽音部の顧問をして来た私は「ミュージシャンとの結婚とかって、人生の最悪の選択だな」などと平気で言っています。人生最悪の選択が、まんま最悪になる場合もあるし、想定外のハピネスを掴み取る場合だってあります。人生は、どうなるか判りません。結婚は、やはり賭博のようなものです。賭けですから、当たり外れは、誰にだってあります。二ノ宮さんの場合は、ハピネスを掴み取った勝ち組の結婚生活のようです。

 二ノ宮さんは、結婚を機に、埼玉県日高市に引っ越します。日高の近くの鶴ヶ島に私の教え子が住んでいます。一度、次女と一緒に、遊びに行ったことがあります。駅前の歩道橋の上からですと、ケータイはつながりますし、映画館もあります。とんでもなく広い百均shopもあります。そう不便なとこでもありません。日高の近くには、有名な高麗神社がありますし、もっと栄えているのかもしれません。が、まあ大都会の新宿に較べたら、超ド田舎です。御主人のポンちゃんのことは分かりませんが、秩父生まれ、秩父育ちの二ノ宮さんは、空気のきれいな、空が大きい、土のある田舎に戻りたかったんだろうと想像できます。秩父まで戻ってしまうと(Uターン)、地元のしがらみとかもあるので、日高あたりまでのJターンってことになったのかもしれません。

「新宿時代は常に騒々しく、飲んでいるんだか描いているんだかわからない状態で、原稿を落とすこともしょっちゅうでした。それが、埼玉に越して来てからは、鳥の声を聴きながら仕事をするとすごく捗る。『Green』と『天才ファミリーカンパニー』がドラマ化されて、車も買えて『のだめカンタービレ』の連載も順調で、環境って大事なんだなと思いました(笑)」と、二の宮さんは、心境を語っています。

 子供を育てるためにも、自然に恵まれていた方がいいと、きっとお考えになったと思います。が、今の子どもは、野っぱらに囲まれた所に住んでいても、ひたすらゲームに熱中します。誰の人生も、そう思い通りには、行かないということです。

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