創#702「三歳の頃、三ヶ月間、寝たきりで身動きができなかった入院生活が、私を病院嫌いにしたんだと思っています。『三つ子の魂百まで』という俚諺の正しさは、信じられます」

       「降誕祭の夜のカンパリソーダー447」

「今回、帰省して、病院通いをしているお年寄りの人が、どっさりいるという事実を知った」と、私は関谷くんに言った。
「医療保険が整備され、病院が増え、健康に不安がある人は、気軽に医療のサービスが受けられるようになったわけです。それは、いいことなんじゃないですか」と、関谷くんは返事をした。
「歳を取って、沖に出なくなったお年寄りは、昔は、岸壁のベンチに座って、ぼぉーっとしながら海を眺めていた。今は取り敢えず、病院に行って、待合室で他のお年寄りの病人と喋っている。病院の待合室が、お年寄りのサロン化している。で、自分は肝臓の数値が悪いとか、膝を痛めて裏山にある墓にお参りに行けなくなったとか、軽い脳卒中を起こして、手足がずっと痺れてるとかと、愚痴をこぼし合ったりしてる。病院で、愚痴をこぼし合っていても、免疫力は高まらない。昔の年寄りのように、海をぼぉーっと眺めている方が、自己免疫力は高まる筈だ」と、私が言うと
「それって、科学的エビデンスはあるんですか?」と、関谷くんは突っ込んで来た。
「海をぼぉーっと眺めていると、自己免疫力が高くなるという実験データーが出たら、そこらにどっさりあるサプリメントが、売れなくなってしまう。ビジネスの都合上、そういう実験結果は、もしあったとしても発表されない。ただ、森林浴がストレスを軽減することは、発表されている」と、私が言うと
「森林だと、光合成が行われて、二酸化炭素を酸素に変換してくれます。きれいな酸素をいっぱい吸って、ストレスを逓減させる、科学的にもありそうな話です」と、関谷くんは納得したような口ぶりで言った。
「が、森林だと、熊が突如、登場する、イノシシが文字通り、猪突猛進して来る、木の根元には、マムシがとぐろを巻いていたりするなどのリスクだってある。その点、海は水に入らなくて、眺めているだけならリスクはゼロで、いたって安心だ。海も空もはてしなく広くて、空気だってきれいだ」と、私が言うと
「でも津波が来たら、全滅じゃないですか?」と、関谷くんは、反論した。
「海を眺めている爺さんは、即座に津波の来襲を察知する。家に帰って、家族と一緒に裏山に避難する。ただ、まあ家は波に浚われてしまうかもしれない。駐車場に停めてある車は、潮が半分くらい浸ってしまったら、多分、修理は不可能で廃車だ。ナショナル・ジオグラフィのような写真雑誌で、フィリピンやインドネシアの漁村の風景を見たことがあるが、掘っ立て小屋みたいなとこで、漁師は暮らしている。ヘミングウェイの『老人と海』に登場するサンチャゴが住んでいたのも、そういう小屋だった。そもそも、漁師が自家用車を所有したり、カラーテレビやクーラーのような、複雑なメカニズムの文明の利器を、持ったりすることが、間違いだろう。板子一枚下は地獄という世界で生きている漁師は、宵越しの金は持たないし、船以外の財産は、限りなくゼロに近いというのが、本来のあるべき姿だろうって気がする。とにかく、海を眺めていれば、間違いなく、自己免疫力は高まる。現実、オレは、故郷の海をぼぉーっと眺めて、リフレッシュし、自己免疫力を充分に高めて来た」と、私は自信たっぷりと言った口調で言った。
「昔の日本陸軍が、自分たちは絶対に負けない、不滅だと確信していたように、まったく根拠のない自信を、圭一さんは持っています。その根拠のない自信が、免疫力きっと高めてるんだと思います」と、関谷くんは応じた。
「根拠は確かにないのかもしれない。が、海を眺めていると勇気づけられる。三歳くらいの頃、何故だか判らないが、三ヶ月間、市民病院に入院していた。毎日、とんでもなく太い注射をされ、一日、三回、どっさり薬も飲んで、身動きしちゃいけないということで、強制的に寝たきりだった。三歳だったから、退院できたが、今の歳で、あの生活を無理やりやらされたら、薬や注射の副作用が大き過ぎて、普通の生活にはcome backできないかもしれない。『あなたは、重い病気です。三ヶ月間は、絶対に安静にして、注射を打ち、薬をどっさり飲んで、治さなきゃいけません』と、医者に言われて、医者と注射と薬の力を、100パーセント信じて、治療に専念するといった風なことは、自分には到底できないし、病院にいるというだけで、自己免疫力は間違いなく低下する。それだったら、墓の中で、先祖の骨と一緒にいる方が、多分、自分は心地良く過ごせる。クレオパトラは、アクチウムの海戦からエジプトに逃げ帰って、先祖代々の墓(廟)中に、潜んでしまうが、生活できるくらいのスペースが墓の中にあるんだったら、自分だって、そこに潜みたい。先祖の霊は、自分を勇気づけてくれるが、病院や医者が、自分を助けてくれるとは、到底、考えられない」と、私は関谷くんに説明した。
「多分、圭一さんは、三歳で入院した時のお医者さんが、とことん嫌いだったんです。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってことで、病院も注射も看護婦さんも、すべて嫌いになったんです。が、圭一さんの意見は、はなはだrareです。多くの人は、病院は安全で安心、間違いなく健康を回復する場だと、信じています。圭一さんが、いくら医者や病院に対して懐疑的になったとしても、多勢に無勢です」と、関谷くんは断定するように言った。
「現実問題として、院内感染が起こることは間違いなくある。病院は、薬を出さないと、医師の診療報酬だけでは、経営が成り立たない。当然、患者には大量の薬を出す。それはビジネスの都合上だが、薬には当然、副作用はあるわけだし、その副作用によって、当然、免疫力は低下する」と、私は説明した。
「でも、平均寿命は、昔よりはるかに延びています。明治の頃は、人生五十年と言われていました。今、人生八十年です。医療の発達のお陰で、ここまで延びたんです」と、関谷くんは、反論した。
「それは、乳幼児死亡率が大幅に下がったからだ。妊婦や乳幼児の安全性は、戦後、抗生物質などのお陰で、一気に高くなった。それは認める。が、ベッドに寝たきりで、身動きできず、無理やり延命している入院患者だって、平均寿命の向上に貢献している。平均寿命だけでは、論じ切れない」と、私は関谷くんに伝えた。

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