自#542「中3の夏、一所懸命、英語の筆記体を独習しました。ほとんど使ったことはありませんが、今でも、読めますし、書けます。学習したことは、決して、無駄にはなりません」
「たかやん自由ノート542」
ヨーロッパ中世の最大の英雄は、シャルルマーニュ(カール大帝)です。シャルルマーニュがいなければ、今のヨーロッパは形成されてなかったでしょうし、歴史的偉業を成し遂げた、偉大な政治家、軍人だと言えますが、そのカリスマぶりは、アレクサンドロスに較べると、小ぶりな感じがします。ハンニバルも、カエサルも、シャルルマーニュも、ナポレオンも、アレクサンドロスには打ち勝てません。アレクサンドロスは、二十歳で即位して、二十代で大活躍し、33歳で早世しますが、他の英雄たちは、長生きをしています。長寿と英雄とは、真の意味では、両立しないものだろうと、私は想像しています。
世界史の教科書にシャルルマーニュの馬に乗ったブロンズ彫刻の写真が、掲載されています。ちょこんと馬の背に乗って、ハンドボールくらいの球(全世界の象徴)を持って、足をだらんと伸ばして(鐙はまだ発明されてません)そう豪華でもない冠を頭に載せて、前方をぼんやり見ています。このブロンズ彫刻は、ルーブル美術館にあります。そこで、ルーブル美術館全集Ⅱを引っぱり出して来て、丁寧に見てみました。教科書の写真のシャルルマーニュは、ほぼ横から撮っていて、側目でしか表情がつかめません。顔の表情を確認するためには、やはり三分の二正面くらいの位置で、撮ってくれないと把握できません。ルーブル美術館全集の写真は、シャルルマーニュの表情も、馬のそれも、きちんと捉えています。やはり餅屋は餅屋です。
彫刻作品の場合、どのアングルから撮影するのかが、非常に重要です。シャルルマーニュは、フランク王国の領土を二倍にした大英雄というより、そろそろ認知症も迫って来てるかもと思わせる、ちょっとせつなげな老人って感じがします。馬の方は、目力(めじから)があって、戦場でもまだまだ大活躍しそうだし、房事の方も、powerfulで絶倫って印象を受けます。シャルルマーニュは、26歳で即位して、その後、46年間、王であり続けました。晩年、二人の息子のカールとピピンに先立たれています。40年以上も、偉大な王であり続けることは、ラクダが針の穴を通るより難しいという気がします。シェークスピアのリア王も、リア王の元ネタのギリシアのオィデプス王も、晩年は、悲惨な展開になってしまうわけですが、悲惨な展開の方が、王の末路としては、より自然かもと、思ってしまいます(長生きをした王の末路は、だいたいに置いて悲惨です)。私は、平凡な公務員でしたが、英雄であろうと、平凡な公務員であろうと、いい仕事ができるのは、40年くらいが、maxだろうという気がします。
シャルルマーニュと言えば、我々、教育者は、カロリングルネサンスにやはり注目してしまいます。手元の西洋史辞典で、カロリングルネサンスを引くと「中世盛期キリスト教文化完成の基礎となったが、全般的に見て、古代の模倣に終始して独創性のない、全くのラテン語文化である」と、冷たい口調でディスっています。うーん、何と言うのか、辞書の編纂者たちは、歴史に対する愛情が、薄っぺらだなと思ってしまいます。
カロリングルネサンスに独創性がないのは事実だろうと思いますが、ゲルマン民族移動の大混乱の中、西ローマ帝国のラテン文化は、ほぼ壊滅してしまっていたんです。国づくりをするためには、有能な人材が必要です。有能な人材は、教育や訓練によって、育成する必要があります。が、もう教師も学者もいなければ、教育のツールである教材も消滅してしまっているんです。数多くの写本が消滅し、多くの古典が永久に失われてしまっています。教師もいない、教材もまったくないゼロの状態から、教育、学問を立ちあげるのは不可能です。
ゲルマン民族の移動の影響を受けなかったのは、アイルランドです。アイルランドは、ヨーロッパの僻地ですが、その僻地にラテン文化が残っていました。僻地ですから、オーソドックスなものとは言えませんが、アイルランドの文化が、イングランドの北部に伝わり、ヨークからアルクィンが招聘されて、カロリングルネサンスが始まります。カロリング朝の宮廷にも学校らしきものは、存在していましたが、そこで教えていたのは、軍事技術だけです。先生も教材もない状態では、学問は教えられません。軍事技術だけを伝えることになります。が、それでは、結局、国は分裂を繰り返してしまいます。軍事技術を教えられたロイヤルファミリーの兄弟たちは、当然、その教えられた軍事技術を使って、相手を倒そうとします。中世の英国王室も、フランスのそれも、そこら中、兄弟、親戚同士の争いのオンパレードって感じです。
学校というのは、国を治めるシステムをつくりあげ、それを維持できる人材を育成するための機関です。つまり、行政職のテクノクラートを育成することが、一番、大きな目的です。ヨーロッパ中世は、キリスト教の組織が、行政の一端を担っていましたから、パリ大学も、オクックスブリッジも、行政テクノクラートを育成するという役目も担っていたんです。そういう学校を設立すれば、上の階層の意識の高い貴族の子弟たちは、自ずと集まって来ます。
カロリングルネサンスは、古代ローマの著作を探し出して来て、ラテン語の書物の手写本を作成します。複数の版があれば、それを比較考量して、決定版を完成させます。こういうやり方で、カエサルやタキトゥス、ユヴェナリス、マルティアリス、その他の数多くのローマ時代の著作を復活させます。たとえ、独創性はなくても、ゼロの状態から、ここまで回復させたカロリングルネサンスの意義は、大きいと言えます。
学校で教えるのは、古典古代の自由七学科です。つまり、数学系の算術、幾何、天文学、音楽の4学科と、国語系の修辞、文法、論理の3学科です。まだギリシアの学問は回復できてません。それは、イスラム経由で、中世半ば以降、シチリアやトレドで、アラビア語からラテン語に翻訳されて、ヨーロッパに返って来ます。同時に、イスラムが発明した代数学と、実験と観察という、その後の近代科学の礎となったベーシックな文化も、ヨーロッパに入って来ます。ギリシア文化は存在してなかったとしても、カロリングルネサンスが、基礎を整えておいたからこそ、後に、ルネサンスが華々しく開花し、ヨーロッパは、近代への新たな一歩をpowerfulにstartさせたと言えます。
有名なカロリング小文字というのは、貿易が途絶えて、パピルスがヨーロッパに入って来なくなったので、全面的に高い羊皮紙を使用しなければいけなくなって、少しでも節約するために、小文字を発明したそうです。必要は発明の母だってことです。
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