自#261「漢文とか古文とか、まさに不要不急かもしれませんが、不要不急がないと、ハピネスはつかめないって感じです」

「たかやん自由ノート261」

吉祥寺の古本屋の百均コーナーの棚に「漢文法基礎」と云う受験参考書が並んでいました。著者は二畳庵主人で、版元はZ会。手にとって開いてみました。扉のページに、山村暮鳥の「雲」の詩を掲げてあります。

 雲もまた自分のやうだ
 自分のやうに
 すつかり途方にくれてゐるのだ
 あまりにあまりにひろすぎる
 涯(はて)のない蒼空なので
 おう老子よ
 こんなときだ
 にこにことして
 ひよつこりとでてきませんか
 
 老子は孔子と同時代の思想家です。今から2500年ほど前に活躍した、道教の祖と言われている方です。孔子は、正直、そう軽々しく出て来ちゃいけないし、出て来て欲しくないって気もしますが、老子だったら、長野や富山のほっこりしたおじいちゃんって感じの好々爺で、welcomeです。ところで、山村暮鳥は、神学校を出たキリスト教の伝道師です。キリスト教の伝道師が、道教の始祖とフレンドリーに、おしゃべりすることができるって、摩訶不思議な気もしますが、その摩訶不思議が、我々のnative countryの日本では、日々、そこかしこに、何ごともなく、あふれています。12月25日にイエスの生誕をお祝いしたあとは、初詣です。初詣だって、川崎大師、鶴岡八幡宮、明治神宮、成田不動山などなど、個人の好みとchoiceで、どこに行ってもOKです。神社でもお寺でも構いません。富士山の山頂で、初日の出を拝むのは、山岳信仰と日輪信仰のコラボって感じです。

 ノリで、Z会の「漢文法基礎」を買って、百ページほど読んでみました。この本は、昭和52年に初版が出ています。その頃ですと、Z会は、今のような巨大な受験産業ではなく、静岡のなんとか郡の田舎で、知る人ぞ知るって感じで、細々と添削業を営んでいて、そのかたわら、ちょいちょい、参考書なども出していたんです。当時は、Z会とは言わず、増進会と言ってました。つまり、Z会のインディーズ時代です。

「漢文法基礎」は、インディーズ時代に書かれているだけに、大衆にさほど忖度せず、キレとコクと深みがあります。センター試験(今は共通テストですが)で、1点でも多くもぎとるなどと言った、ケチくさい点数主義などとは、まったく無縁の参考書です。最初の百ページほどを使って、日本人にとって、漢文とは何かと云った問題について、考察しています。日本人にとって、漢文は漢文ではなく、古文です。これは、ある程度、漢文の学習をすれば、解ることですが、二畳庵先生は、この当たり前のことを、先に解らせようとしています。
「漢文はつまり外国語で、英語と同じような気持で学びなさい。文の構造も、SVC、SVO、SVOCとかです」みたいなことを仰る古文の先生が、たまにいます。

 私は、高三の時、古文の塾に行ってました。受験のための学習塾ではありません。受験とは無関係に古典を教える塾が、私の高校時代、四国の田舎には、まだ存在していました。その昔、漢文の先生が、あちこちで、論語や孟子を子供たちに教えていたんです。その漢学塾の末裔の方が、ごく少数いて、古典を教えていました。私は、漢文ではなく、大鏡を学んでいました。なぜ、大鏡だったかと云うと、それは先生が、教えたかったからです。私だって、この先、コミュニティセンターで、講座を開催することになったら、自分が教えたいことを教えます。魔法少女まどか☆マギカ、キングダム、サイコパス、攻殻機動隊、鋼の錬金術師、などなど、教えたいテーマは、いくつかあります。まあ、でもやっぱり「源氏物語」だろうなと、思っています。アニメですと、私よりも深く学んでいる、筋金入りのコアな方が、そこかしこに、掃いて捨てるほど、沢山います。源氏物語は、三巡目がそろそろ終わります。五巡させた後、講座を開くかどうかを決めます。

 漢学塾の末裔先生に、「漢文って、英語みたいなものですか?」と、誰かが質問しました。先生は、最初、意味が解らず、一瞬、きょとんとしていました。質問の意味が解ると「まるで、まったく違う」と、一刀両断されました。その時は、漢文は教えてなかったので、それ以上の説明はなかったんですが、当時、高三の私は、漢文と英文の違いは、普通に理解していました。漢文が古文であると云うことも認識できていました。

 私は、長年、文章を書いています。私は、ですます調で書きますが、である調であっても基本は同じです。でした。でした。でした。と、同じ語尾で終了してはいけないんです。でした。その後は、です。「です」や「でした」が、連続しないように工夫します。「でした」は過去形で、「です」は現在形です。過去と現在を、てきとーに使い分けます。本当にこれは、てきとーで、法則はありません。ひとつの段落の中に、過去の文や、現在の文、完了、未来形などが、ごっちゃまぜです。が、何をどうしようと、大差はありません。ぶっちゃけて言ってしまうと、日本の文章には、tense、時制と云うものが、存在してません。英語のように、(最後の審判が下る)未来に向かって、時間が驀進していると云ったキリスト教的なバックボーンが、存在してないんです。現在、過去、未来が、混然一体化しています。日本だけでなく、中国も同じです。漢文にも、tenseは存在してません。

 tenseや男性名詞・女性名詞、単数・複数の区別などが、存在してないことは、高校時代に解っていました。その後、もう一歩、突っ込んで、日本語には主語が存在してないってことも今は理解しています。源氏物語には、主語がほとんどなくて、一文の中で、主体となる人が、次々に変わって行きます。主体が誰なのかを、きちんと見きわめる訓練をしないと、源氏物語は読めません。それは、敬語とかで判別するんじゃないかと、受験生は考えるのかもしれませんが、違います。敬語は、当たり前のように、いっぱい使われています。context、文脈の中で、主体を決定する必要があります。主語がないと云うことは、私たちの意志で、この宇宙は動いてはいないと云うことです。前世の宿命のような、人間の人知を超えた大きな力によって、人も社会も動かされています。理性を働かせた個人が、人格を確立し、社会契約によって社会を構築し、国家をつくって行くと云う人間中心の考え方とは、まったく違います。漢文だって、普通に主語はなかったりします。主語のない英文は存在しません。命令文には主語はありませんが、それは、判っているので、書かないだけのことです。書いてないだけで、主語は存在しています。主語とtenceがはっきりと存在している英語と、そうでない漢文とは、まったく違うと一刀両断されたのは、当然です。

 奥の細道の平泉の箇所で、芭蕉は「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、奥州藤原三代の旧跡を回顧します。これは、もちろん杜甫の春望の「国破山河在、城春草木深」のフレーズを換骨奪胎したものです。ところで、中国の城と、日本の城とは、まったく違うものです。中国の城と云うのは、壁に囲まれた都市国家のことです。日本の城は、政治と軍事の中枢を集めた要塞です。教養のあった芭蕉は、このことは、当然、承知していた筈です。が、城を、あくまでも日本の城のイメージで捉えています。つまり、漢文を漢文として読むのではなく、漢文を日本文として読むと云うことです。この根本が判れば、漢文の勉強は、半分くらいは終わったようなものだと、私も思います。二畳庵先生は、この基本を、教えようとしています。が、まあ、すぐに役立つような知識(ヲニト帰るみたいな)を教えないと、これって、ガチで、不要不急じゃんと、受験生には、スルーされてしまいそうです。

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