自#509「若い頃は、いつ死んでも同じだと思っていましたが、それは違います。普通に生きて、長生きするのが、bestの人生です」

          「たかやん自由ノート510」

 ティツィアーノは、カール5世の息子のフェリペ2世の肖像画も描いています。お洒落な甲冑を着て、左手に剣を持ち、右手でテーブルの上の冑(かぶと)を押さえています。この絵は、世界史のほとんどの資料集に掲載されています。フェリペ2世が、国王の時、スペインは、ポルトガルを併合し、「太陽の沈まぬ国」になりました。レパントの海戦では、勝利しましたが、無敵艦隊は敗れ、オランダ独立を招いてしまいました。まあ、このヘンが、受験のためのフェリペ2世の基本情報です。
 フェリペ2世は、西仏伊羅語に通じていました。父親のカール5世は、神聖ローマ皇帝で、ドイツ王を兼ねていましたが、フェリペ2世は、スペインとネーデルラントを継承します。ドイツ王には、マクシミリアン2世が即位しますから、ドイツ語を話す必要はなかったわけです。フェリペ2世は、オウディウスの「変身物語」(メタモルファーゼス)を愛読していたようです。フェリペ2世は、一般的にはガチガチのカトリック教徒だというイメージですが、ギリシア・ローマの文化に通じていた、authenticな、ルネサンス文化人だったんです。やはり、オウディウスや古典に親しんでいたティツィアーノとは、ウマが合っていたようです。フェリペ2世の肖像画がすぐれているのは、フェリペ2世とティツィアーノが、共にルネサンス文化を、深いレベルで理解し、shareしていたからです。
 フェリペ2世は「ポエジア」と総称されるギリシア神話に基づく裸体画をティツィアーノに注文します。自分のプライベートな私室を、裸体画で飾るためです。フェリペ2世は25、6歳(まだ王には即位してなくて、プリンス時代です)。20代半ばの青年が、Hな絵を部屋に飾りたいという気持ちは、判らなくもないです。私だって、大学生くらいの頃は、プレイボーイ(月刊)やペントハウスといったHな雑誌をよく見てました。ですが、裸体画を描く、ティツィアーノの方は、もう還暦を超えた年齢です。還暦を超えて、ぎらぎらした裸体画が描けるんだろうかという、素朴な疑問を抱いてしまいますが、ティツィアーノは、フェリペ2世の要求に応えて、すぐれた裸体画を完成させます。
 最も有名な作品は「ダナエ」です。ダナエは、塔に閉じ込められているので、ゼウスは雨になって(というより精液になって)忍び込んで来るという物語です。ティツィアーノの「ダナエ」は、雨でも精液でもなく、金貨になってダナエに降り注いで来ます。侍女のばあさんが、袋を広げて、金貨をかき集めようとしています。意表を突いた、遊び心満載の絵です。ダナエは、右手首にお洒落な腕輪を嵌(は)め、白いレースのハンカチを持ち、わくわくさせるような真珠のイアリングをして、しどけない姿態で、エクスタシーをすでに感じてますといった表情で、ベッドに横たわっています。金貨を集めている婆(ばばあ)とかNGだと言ったクレームは、教養レベルの高い、ユーモアを解するフェリペ2世は、つけなかったわけです。
 このあと「ディアナとカリスト」、「ディアナとアクタイオン」というディアナシリーズを二つ、ティツィアーノは描きます。ディアナを中心にして、侍女が沢山います。着衣の侍女も少しはいますが、その場合は、肩から背中にかけてはだけたり、片胸をぺろんと見せたりして、ぬかりなくエロチックに描いています。カリストのお腹が大きくなっていることを突き止めるために、侍女たちが、無理やり衣服を脱がせています。無理やり衣装を脱がせるというバイオレンスなsceneは、不可欠だと考えたわけです。アクタイオンは、女性っぽいです。両性具有者が見ても楽しめるという趣向なのかもしれません。この二つの作品だけで、女性の裸体を、14、5パターン、ティツィアーノは、描き分けています。日頃から、相当、女性を観察してないと、これだけの数の描き分けばできないような気がします。フェリペ二世は、大満足します。ティツィアーノの晩年の最大のパトロンは、フェリペ2世です。スペインに移り住んだ、偉大な宗教画家のグレコは、フェリペ2世のお気に召さなかったらしく、グレコは、スペイン王室からの援助や保護なしで、結構、お金に苦労しながら、地道に、そう容易には理解されないであろう、宗教画を描き続けます。フェリペ2世とグレコとは、相性が合わなかったということです。
 ティツィアーノが、80歳くらいで描いた自画像があります。ティツィアーノは、功成り名を遂げて、大成功したhappyな画家ですが、happyに奢っているような様子は、まったくなく、最晩年のレンブラントの自画像のような、静謐で高潔、間違いなく高い所に到達しています。人生で成功した人は、やっぱりうかうかしてしまって、残念な晩年を迎え、晩節を汚してしまうといった、ありがちな定理は、ティツィアーノとは無縁のようです。
 最後、おそらく死の直前まで描いていたのは「ピエタ」です。ティツィアーノは、ギリシア神話系のHな絵も、沢山描きましたが、最後の「ピエタ」を見ていると、敬虔なキリスト教徒だったと信じられます。真のキリスト教徒であるか否かは、作品を見れば、一目瞭然です。ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」同様、ティツィアーノの「ピエタ」も未完成です。が、そもそも芸術には、完成品など存在してないという当たり前のことを、思ってしまいます。
 アーティストは、どちらかというと不幸だという固定観念が私にはありますが、この絵を見せれば、間違いなくそれが天国へのパスポートになるという、偉大な絵を描きながらやすらかに死んで行く、ティツィアーノの我々の想像もつかない幸せな世界に、圧倒されます。長生きをしたからこそ、ここまで辿りつけたんです。
 私は、15、6歳の頃、親友のHと、「二十歳で死ぬのと、八十歳で死ぬのと、はたして違いはあるのか?」という議論をしたことがあります。15、6歳の我々は、死ぬということは、一緒だから、違いはないという一応の結論に達しました。ところで、二人とも、もう還暦はとっくに超えて、古稀が迫って来ました。Hは、私と違ってお金持ちなので、お金がある故の不幸みたいなものも、多少、抱えているのかもしれませんが、ここまで長生きできたことは、やっぱりお互い幸せなことだったなと、私は納得しています。長生きをしたからこそ、見えて来るものがあります。ミケランジェロやティツィアーノのような、偉大なアーティストの途方もないカッコいい死に方とかは、凡人にはできませんが、そう恥ずかしくもなく、晩節を汚さず、人それぞれ、そこそこカッコ良く死ぬことは、そう難しいことでもないと推定しまいます。このヘンは、郷里に帰って、(できれば、オールドパーの水割りを飲みながら)Hと話し合ってみたいです(コロナ禍が収まれば、実行するかもです。水割りは飲みませんが)。

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