自#403「高校時代に将来のことを決める必要とか、全然ないです。大学に進学して、たっぷり3年間、何か夢中になれるものに打ち込んで、そのあと、まあしょうがないから、就活でもやるかで、いいと思います」

         「たかやん自由ノート403」

 内田樹さんが編集された「転換期を生きるきみたちへ」を、学校の図書室で借りて読みました。想定されている「きみたち」は、中高生です。この本は、2016年に出版されています。購入後は、図書室便りなどで紹介され、カウンターの傍に置かれ、書店でよく見かけるようなポップも、ついていたのかもしれません。が、借りたのは、5年後の私がfirstです。貸出期限票が、裏表紙をめくったとこに貼っあって、今回、初めて返却期限のスタンプが捺されました。いい本なのに、5年間も眠っていたんです。本もお金も、死蔵されていたら、効用を発揮できません。「ポストコロナ期を生きるきみたちへ」もそうですが、この本も、中高生が読んでおいた方が、望ましいと推定できる良書です。が、高校生は、まず評論を読みません。それは、教科書や入試問題、問題集、塾のテキストなどで、読まされるからです。マンガだって、ラノベだって、無理やり読まされたら、今よりは、間違いなく読まなくなる筈です。それと、内田樹さんは、一般の読書人にとってはbig nameかもしれませんが、普通の中高生にとっては、まったく無名の方です。知名度において、住野よるさんや、乙一さん、冲方丁さん、西尾維新さんなどの足下にも及びません。中高生を動かせるインフルエンサーが
「『転換期を生きるきみたちへ』って、まさにタイムリー。イケてる今の本だよね」と、プッシュしてくれたら、多分、一気にブレイクします。そうすると、本当に中高生に語りかけるように、難しいことを易しく書いている、何人かのすぐれたメッセージも、日の目を見ることになります。

 小田嶋隆さんがお書きになった、「13歳のハードワーク」も判り易く、中高生の琴線に触れるようなメッセージです。「アタマの良い中学生ほどアタマの良い人間はいない」と、開口一番、ぶちかましています。中高生に読んでもらうためには、やはりキャッチーなつかみが必要です。007だって、まったく意味不なアクションシーンから始まります。最初から上司のMが登場して、経費の使い方など、ぐちゃぐちゃ小言を垂れながら、まわりくどいミッションを出してたりしたら、テレビ放映やサブスクの場合は、すぐさまチャンネルやプログラムを変えられてしまいます。openingのつかみは、人生の多くの場面において、必須だと私は確信しています。
「アタマの良い中学生ほどアタマの良い人間はいない」は、無論、真実です。が、これは多分、男子です。女子の場合、もう少し早くて、小5あたりで、アタマの良さが、きれっきれの時期がやって来ます。で、どちらもそう長続きはしません。長くて1年間、まあせいぜい半年くらいです。その意識できるアタマの良さは、途方もなく大きな無意識の海に、沈んでしまいます。ノイズが多すぎるんです。アタマが良いということは、案外と、しんどいことだということを、学習してしまいます。脳は、楽な方を、やはり選んでしまって、いつの間にか凡庸なアタマになってしまっています。Everyone is not Einstein.です。ここで言っているのは、本当の意味で、アタマがいいか悪いかです。学校の勉強ができるとか、模試の偏差値が高いとか、難関国立大に進学できるとか・・・等々は、本当のアタマの良さに較べたら、すべて些事です。

 私にも本当にアタマのいい時期がありました。中1の冬から中2の夏です。やさぐれて、彷徨していた時期ですが、嫌というほど、UKロックを聞きました。この時期のUKロック体験が、結局、自分自身の人生を決定したと思っています。年齢的には13歳の頃です。「13歳のハローワーク」(あっ、13歳のハードワークは、無論、これのパロディです)的な本が、すぐ目の前にあっても、一顧だにしなかった筈です。

 両親が知識人で、自分の部屋の本棚には、世界少年少女文学全集とかが並んでいて、リビングのテーブルがマホガニーで(見たことありませんが)そこにさりげなく「13歳のハローワーク」が置かれていて、知性がきらきら輝いている父親が、「その本を見て、将来のことを少し考えてみるといいよ」などと、ヴィンテージものワインなどを傾けながら、勧めてくれたら、抵抗なくごく自然に手にとって、紐解くのかもしれませんが、私には父親はいませんし、小学校しか出てない母親は、生涯に一冊も本は読んだことがない人でしたし、幸いなことに、子供時代に、誰かに読むべき本を、プッシュされたりしたことは、一度も経験したことがなく、自分の興味関心の赴くままに、ルパンやホームズ、横溝正史や明智小五郎などの推理物を乱読していました。もっとも、やさぐれていた頃は、本などは読まず、ひたすら音楽を聞いていました。ウォークマンもスマホもなかった時代ですが、ライブハウスには中1から行ってましたし、行きつけの喫茶店でも、音楽は嫌というほど聞きました。珈琲を飲むために、青春を語るために、とかではなく、基本、音楽を聞くために喫茶店に行ってました。ちなみに聞いていたのは、ジュークボックスから流れて来る音楽です。音楽が途切れると、間が持てなくなるので、利用する客がいない時は、お店の人が、お金を入れて、音楽を流していました。ですから、途切れることなく、必要だったら曲名やアーティスト名などを確認しながら、聞いていました。

「13歳のハローワーク」は、つまり村上龍さんがお書きになった、将来のための職業案内本です。高校の進路指導室に一冊、置いておくというのであれば、まあ判らなくもないんですが、人生で一番アタマがいいかもしれない13歳のGoldな時期に、将来の職業を考えさせるなんて、私に言わせれば、まったくもってナンセンスです。私自身、中学時代に、将来のことなど、1ミリも考えたことはありません。中学校を卒業して、国立高専の化学科に進学しましたが、別段、将来、中堅エンジニアになりたいなどと考えたわけではなく、単なる軽いノリです。中3の時、宮沢賢治を結構読んでいて、化学の世界にちょっと憧れて、本当にちょっとしたノリで受験したんです。嫌になったら、即座にやめようと思っていました(実際、夏休み明けに退学しました)。翌年、別の高校に入り直しましたが、それは高校は、通過儀礼だと理解したからです。高校時代に、将来の進路を考えたことも、一度もないです。自分の将来の仕事のひとつとして、バーテンという職種は、常に頭の中にありましたが、それは、バーテンになりたいとかじゃなく、バーテンなら確実にやれると、皮膚感覚で理解していたからです。

 将来の進路実現のために、今、必死に頑張る。それって、何かヘンです。それは、確実な今を、不安定な将来のために、犠牲にすることになってしまいます。中学時代はGold、高校時代はSilver、大学時代は、まあ銅。銅の時代に突入して、錆が出始めた時に、「じゃあ、しょうがないから、進路のことでも考えるか」で、全然、いいんです。これは、私の本音です。が、時代がせちがらい経済状況になり、高1、2は、好きに過ごさせるとして、高3は、受験勉強をさせざるを得なくなりました(高校時代は、とにかく部活と行事。勉強は浪人してからでいい、などとは言えなくなったわけです)。が、今の高3は、もう選挙権も与えられ、大人です。大人は、妥協して、折れ合わなければいけません。ごくごく少しはいるであろう、このnoteを読んでくれている高3生のみなさん、まあ、しょうがないから、腹を括って、あと9ヶ月間、頑張って、受験勉強して下さい。「13歳のハローワーク」は、大学3年でも、多分、読む必要はないです。

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