自#584「アートを知れば知るほど、その分だけ、人生はゆたかになると、私は確信しています」

          「たかやん自由ノート584」

 去年の今頃、高3の世界史受験の女の子が、社会科準備室にやって来て
「先生、『シチリアの晩鐘』って何ですか?」と、質問されました。去年は、高3生に中国史、インド・東南アジア史を教えていました。いきなり「シチリアの晩鐘」と言われて、ちょっと戸惑いましたが
「それは、ヨーロッパ中世のシチリアのアンジュー家の支配に対するクーデターのことだ」と、まあそつなく模範解答で、返事をしました。すると
「アンジュー家って何ですか? 何故、クーデターなんですか?」と、畳み込まれました。アンジュー家のことを語り、シチリアの中世史を詳しく述べることは、受験には何の役にも立ちません。質問に来た生徒は、おそらく国立文系志望です。世界史と英語ばかりやって、理科や数学から逃げていると推定できます。アンジュー家、つまりえにしだの枝のファミリーのヤバそうな話は、全部、cutして、中世シチリアは、フランス王や神聖ローマ帝国皇帝、ローマ教皇などの権力闘争のコマのひとつとして、振り回され、そのひとつのイベントとしての「シチリアの晩鐘」のクーデターだと言った風な説明をしたあと、「国立文系だったら、共通テストの理科と数学で合格点を取らないと、あと(二次試験および結果)がきつい。もう、そこはラストスパートだと思って、エネルギーを注いで欲しい」と、エールを送りました。
 遠い昔のさるアンジュー伯は、旅先で出会った他国の娘を伯妃に迎えたそうです。美しく気高い雰囲気の妃でしたが、教会に行こうとしません。不審に思った夫が、司祭を連れて来て、彼女に聖体を奉戴したところ(正餐のパンを渡そうとしたわけです)伯妃は、悲鳴を上げて、窓の外に飛び出し、中空を飛んで、逃げ去ったそうです。伯妃は、悪魔の娘、メリュジーヌってことに、なっています。子供を二人、アンジュー家に残しました。その後のアンジュー家、およびイギリスの王朝(アンジュー家のヘンリー2世が、プランタジネット朝の始祖です)は、このメリュジーヌのDNAを受け継いでいると、理論的には言えます。
 まあ、メリュジーヌは、都市伝説のようなものだとしても、フランス王ルイ7世と別れて、その後、アンジュー家に嫁いだアリエノールダキテーヌ(最古の吟遊詩人、アキテーヌ侯ギョーム九世の孫娘)は、やはりauthenticな吟遊詩人のheartを持った、一種の妖女だったと想像できます。フランス王、アンジュー伯、イギリス王が、三つ巴になって、仁義なき戦いを続け、この三つのファミリーの人々が、次々に斃れて行くのは、すべてアリエノールが仕組んだ、一種の叙事詩なんじゃないかとすら、疑ってしまうくらいです。あの悪名高い、イギリスのジョン失地王は、アリエノールの末っ子、サラディンと戦ったリチャード1世(獅子心王)は、三番目の息子です。アリエノールの夫は、イギリス王のヘンリー二世。アリエノールがいなければ、この時代は、もっとはるかに地味で、無味乾燥な時代だったと思われます。アリエノールが登場したお陰で、疾風怒濤状態になったわけです。疾風怒濤で、大きなうねりのある方が、個人の人生だって、歴史だって、わくわくして楽しいと言えると思います。平凡で普通が一番、幸せとかって、やっぱりそれは嘘です。たとえ、悲劇的結末になったとしても、大きなうねりのある方が、誰の人生もfantasticだし、情熱的に駈け抜けて行けます。
 その魔女のメリュジーヌ、吟遊詩人兼妖女のアリエノールの末裔のアンジュー伯のシャルルダンジューが、シチリアに乗り込んで来たので、シチリアの人たちも、クーデターを起こさざるを得なかったと、ここまで、きちんと説明すれば、質問に来た受験生は、納得してくれたかもしれませんが、そのはなはだ論理的でない納得の仕方を、是としてしまうと、どうしたって、数Ⅱ、数Bは、疎かになるだろうと、そこまで深謀遠慮を働かせて、詳しい話はしなかったんです。
 歴史を納得するのは、必ずしも理論的に理解な必要としません。直観と皮膚感覚のようなもので理解してこそ、歴史は楽しいと言えます。その楽しさを、一番、強烈に感じさせてくれるものは、やはりアートです。小林秀雄は、思い出すことが、一番、大切だと言ってました。知らないことを、思い出すのは、理論的に不可能です。ですから、思い出すためのとっかかりのようなものが必要です。で、何かしっかりとした知ってるものができれば、そこから勝手に思い出す(というより勝手に想像すると言った方が正確です)ことが可能です。
 20年以上前に教えた生徒(女の子)が、卒業して
「先生が、見せてくれたシチリアのあの聖堂の絵に感動しました。いつか、必ず本物を見に行きます」と、手紙で知らせてくれたことがあります。その後、手紙は届かないので、彼女がシチリアに行って、本物と邂逅したかどうかは解りませんが、高校時代に中世の聖堂壁画に興味が持てたら、そこから興味関心を広げ(ちなみに彼女に見せたのは、チェファルー大聖堂後陣の「全能のキリスト」です)ロマネスク、ゴシック、国際様式と、歴史の流れに沿ってアートを見ていけば、king of artともいうべき、ルネサンスに到達します。
 日本ですと、まあ普通に多くの人は、印象派からアートに入って行きます。この場合、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌも、後期印象派という名称で、印象派のくくりの中のアーティストです。そこから現代アートに行くだろう人は、行くと想像できます(私は、ピカソ止まりですから、現代アートは正直、不案内です)。印象派から、写実主義、ロマン主義、古典主義、ロココ、バロック、マニエリズム、そしてルネサンスという風に、アートの歴史を、逆に遡ることは、まずできません。逆に辿って、ルネサンスに到達した人を、私は一人も知りません。私だって、そういうルートを通過したわけではありません。印象派は好きでしたが(私が一番好きだった印象派のアーティストはセザンヌです)、同時にミケランジェロも好きだったんです。つまり、セザンヌとミケランジェロの二つが、コアな拠点です。ミケランジェロという拠点がなければ、ラファエロにもレオナルドダビンチにも、関心は持たなかったと思います。レンブラントには、何らかの形で、出会っていたと推定できますが、その他のバロックのアーティストには、たとえそれがルーベンスであっても、ミケランジェロという拠点がなければ、スルーしていました。
 歴史を逆に遡ることは、不自然ですし、不可能だとも思っています。歴史は、やはり時代の流れに沿って、後の時代に下って行って、学ぶものです。ですから、ルネサンスに辿り着くためには、中世のどこかで、キリスト教アートに興味を持ってもらえば、案外と、すんなり行くんじゃないかと皮算用をして、ヨーロッパ中世アートに関しては、メソポタミアやエジプトの古代アートよりも、自分としては、熱く語っているつもりです。生徒が、間違いなく、興味を持つのは「ケルズの書」のXPIの図象です。これは、ケルトのアートです。ここからルネサンスに行くのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しいかもしれませんが、たとえこの図象単体であっても、興味関心を持てば、それだけでも、人生はゆたかになります。アートを知れば、知るほど、人生はゆたかになると、私は確信しています。

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