自#415「不要不急の無駄なことが、身の回りにあふれているからこそ、人生はゆたかになるんです。役に立つ事だけを、追求しているとハピネスから遠い、薄っぺらな人生になってしまいます」

         「たかやん自由ノート415」

 3、4年くらい前、上野の都美術館で開催されていた、高文連主催の高校生の絵のコンクールを見に行って、とんでもなくリアルで上手な狼の絵を見ました。ゴールデンカムイとかカムイ伝に出て来てもおかしくない、powerfulで、強烈なオーラを放っている狼です。狼の細かい毛の一本一本を、丁寧に描き込んでいます。「神は細部に宿る」、そんな俚諺も想起してしまいました。描いたのは高2の生徒です。高2で、ここまで上手い絵を描けるのって、どうなんだろうと、ちょっと不安にすらなりました。とにかく尋常じゃない、究極の巧さでした。

 今年の4月1日に、小平市の学校に赴任して、生徒昇降口を入ったとこで、3、4年前に見た狼の絵に再会しました。「とんでもなく絵の上手い生徒がいた学校」という第一印象が刷り込まれました。初日、10分間くらいは、狼の絵を見ていました。絵はもともと好きですし、展覧会にも数多く足を運んでいます。10分間も見れば、絵の全体象も、細部もコンセプトもつかめます。上野で見た時は、周囲の絵と比較して、超絶上手いと感じました。母校でひっそりと、佇んでいる狼は、さほど強烈なオーラは放ってなくて、高校生らしい優しさのあふれた、親しめるフレンドリーな野生動物だという印象を受けました。置かれている状況が変われば、こちらの受け止め方も、状況に合わせて変化します。が、超絶巧いことには変わりはないので、絵やマンガ、アニメ、デザインなどを描きたい生徒を、母校で見守り続ける一種のアイコンだなと云う風にも感じました。

 高文連の絵のコンクールは、結構、見に行ってます。多摩地区と23区の街中の生徒の作品を比較すると、多摩地区の方が、レベルは上だなと感じます。高校生バンドの水準では、多摩地区はどうあがいても、23区には勝てません。私は以前に勤めていたJ高校で、多摩地区の高校生バンド大会を、毎年、開催していましたが、飛び抜けて図抜けたバンド、つまり狼の絵のような、一頭地を抜いた超絶巧いバンドには、出会ったことがないです。23区は、バンド全体のレベルも高いし、超絶巧いバンドも、時々、彗星のように登場します。バンドでは絶対に叶わないのに、絵は多摩地区と23区の差はないし、私が見る限り、多摩地区の方が上です。何故なのか、理由は解りません。より自然に恵まれているかどうかということが、絵のレベルを左右しているのかもと云う気もします。

 都心部には、美術系の都立高校もあります。そういう高校の生徒の作品は、巧いんですが、「だからなに?」みたいな感想を持ってしまいます。その昔、私立N高と千葉の私立T高に、とんでもなく巧いバンドが、ひとつずつあったんですが、ヤマハのとあるディレクターが、この2つのバンドの演奏を聞いて「きみたち、めっちゃ巧いけど、だからなにって気はする」と、言い放ったことがあります。技術だけが巧くて、スピリッツを感じない作品は、絵でも音楽でも、実に枚挙にいとまないほど沢山あります。

 音楽と絵は違います。音楽は百パーセント、純粋な抽象芸術です。絵の基本はやはり写実です。ゆたかな自然に囲まれて、子供時代を過ごした方が、スピリッツのある絵が、描けるような気がします(エビデンスはありません。私の独断です)。

 学校に登校する度に、狼の絵を見ています。もう行き帰りに、一瞥するくらいですが、それでも毎日、狼を見ていると、狼の文化というものが、知らず識らずの内に、身について来ているんじゃないかと云う、妄想を抱いたりもします。狼検定というものがあれば、ほんの少し勉強しておけば、狼検定2級とかに、すぐに合格しそうな気がします。ちなみに去年、勤めていた学校には、ミロのヴィーナスの等身大のレプリカがありました。本来でしたら、美術室に置くべきものなのかもしれませんが、等身大なので教室には収まりません。1階の階段の上がり口のとこに飾ってありました。当然ですが、階段を上がる度に、ミロのヴィーナスを、ちらっと見ることになります。あのひょろ長い胴に慣れてしまいました。エーゲ文明のフレスコ絵に登場する牛とかイノシシとか、めっちゃ胴長だったりするんですが、胴長もまあ文化だなと、違和感なく眺めることができるようになりました。ミロのヴィーナスのレプリカを、毎日、見てただけですが、サモトラケのニケも、ラオコーンも、瀕死のガリア人も、ヘレニズム系なら、もう何だった隅々まで、判っていると云った風な根拠のない自信すら得ました。たとえ、レプリカであっても、芸術作品を校舎内に飾っておくということは、生徒を啓発、啓蒙するために、何らかの役に立つ筈です。以前、勤めていた学校では、美術室に入り切らないので、石膏像を倉庫に放り込んでありましたが、倉庫で保管するよりは、昇降口とか、廊下とか、階段の踊り場とかに、キャプションをつけて、ディスプレイした方が、多少なりとも、生徒の興味関心を掻き立てることができそうな気がします。

 私立N高では、階段の踊り場や、ホワイエに印象派の絵のレプリカを飾っていました。絵が好きな生徒や保護者は見ます。そう絵が好きでもない生徒に、興味関心を持ってもらうためには、キャプションをつける必要があります。どこに学校にも、名物的なヤバい先生はいると思います。私もフルタイムの教職時代は、それなりにヤバい教員でした(今はもうそこにいるだけって感じです)。そういうヤバい先生に、下手な字でキャプションを書いてもらって、絵の傍に添えれば、絵を見る生徒の数は増えます。私も、部活の生徒のライブの写真に、キャプション添えて、壁に貼り出したりしていました。キャプションの内容なんて、ざっくりで適当です。が、文字情報があることによって、絵や写真に対する興味は高まります。

 2、3日前から、「美術の歴史」という西洋美術の解説本を読んでいます。どう考えても、的外れだろうと思われるメッセージが、そこかしこに溢れています。ひとことで言って、不要不急で、無駄な文章です。が、不要不急で無駄な文章があるからこそ、絵をちゃんと見ようとするモチベーションは高まります。不要不急の無駄もやっぱり必要なんです。国立大学の人文系は、不要不急で無駄だと、文科省に言われているのかもしれませんが、不要不急で無駄だからこそ、人文系は価値を持っているんです。安直にデーターサイエンス系とか、アントレプレナー系とかに、衣替えしないで欲しいって気はします。

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