自#409「世界史の用語は、カタカナで覚えられないんですけどと、こぼす生徒がいます。ポケモンの怪獣名とか虫キングの昆虫名とか、子供の頃、覚えまくった筈です。要するに努力が足りないだけのことです」

         「たかやん自由ノート409」

「世界とつながる生き方」の中で、サイエンスナビゲーターの桜井進さんは「世界は数学でできている」というテーマで、お話をされています。早稲田の政経学部が、今年度の入試から、数学(数Ⅰ、数A)を必修にしました。これまで英国社の三科目で受験できた文系の学部なのに、数学を必修にしたのは、戦術としては大失敗で、志願者を大きく減らしてしまいました。が、将来を見据えた戦略としては、正しいあり方です。文系といえども、数学的な知識、教養は必要ですし、文系・理系という区別を敢えてつけることが、もう無理だし、無意味になってしまっているということを、志願者大幅減という犠牲を払いながら、受験世界に一石を投じて、知らしめようとしたことは、有意義だったと理解しています。目先のことだけを考えて、場当たり的なactivityを続けていたら、どの道、行き詰まります。

 狩猟採集時代は、指の数くらいを算えられたら、それで充分に、困ることなく暮らして行けました。マンモスを40頭も50頭も倒して、それを各グループに、どういう風にして公平に配分するかといった問題は、発生しませんでした。マンモスを取り敢えず、1頭倒したら、それをみんなで食べ尽くし(氷河時代で、そこらが冷蔵庫みたいな空間ですから、食べ尽くすまで、腐ったりはしません)また、次の1頭を倒す。合い間にヘラジカなどを仕留めても、片手の指で、間に合いそうな算数ワールドです。原始時代は1~5くらい(多くて1~10くらい)を算えられたら、それで充分で、代数も解析も幾何も不要です。

 人類が数学(算数ではなくいきなり数学です)を必要とし始めたのは、農耕牧畜の開始後です。そこらの焼き畑時代は、ざっくりアバウトなノリで、農業をやっていたのかもしれませんが、大河の水のpowerを使った、灌漑農耕を実施するとなると、かなりレベルの高い数学を必要とします。ナイル川やチグリス・ユーフラテス川が、いったい、いつから増水するのかを、正確に予測しなければいけません。指導者は、天体観測をして、暦を作り上げ、農民たちに、いつ耕し、いつ種を撒くのかと言った指示を出して、ゆたかな収穫をもたらすことが求められています。片手の指の数だけで充分に間に合っていた生活から、いきなり1年の365日を割り出し、それを利用する数学的生活に移行したとも言えます。

 世界史の教科書には、「エジプトで発達した測地術はギリシアの幾何学の基になった」と書いてあります。数学の三大ジャンル(代数、解析、幾何)のひとつである幾何学の学習が、5000年前には、始まっていたということです。プラトンの学校(アカデメイア)の基礎科目は音楽と体育と幾何学の三つでした。ヨーロッパ中世の自由七科、つまりリベラルアーツは、文法・修辞・弁証の初級3学科と、算術・幾何学・天文・音楽の上級4学科でした。天文も音楽もほぼ数学です。つまり、初級3学科でベーシックな論理学を学び、上級4学科では、数学を使って論理学を徹底的に鍛えることが、つなわちリベラルアーツだったんです。猫もしゃくしも、リベラルアーツがベーシックな基礎教育のためには、何より大切だと喧伝しているような昨今ですが、リベラルアーツのサビというか軸は、数学だという簡明な事実は、あまり知られてないようです。

 1648年のウェストファリア条約以降のヨーロッパ各国は、主権国家体制に入ります。
主権国家は、統治権と国民、領土を保有しています。領土を確定するために、図形と三角関数を使って、正確な地図を作り上げる必要があります。暦と地図がなければ、主権国家体制をkeepできません。国家統治の根幹に数学が存在しています。

 国家運営のための農業やイベントなどは、数学で割り出した暦を使うわけですが、人間の心理的な時間は、数学で割り出した絶対的な時間とは、別種のものです。小学校の1、2年の頃の1年間なんて、とんでもなく長かった筈です。今の私の年齢になると、1年間なんて、アニメの1クールよりも短い気がします。子供の頃の時間は濃密ですが、年寄りになると、時間の密度は薄くなります。この心理的な時間の濃淡も解析して、相乗平均というやり方で、人生の折り返し地点を、数式で導き出すこともできます。桜井さんは、その導き方を、具体的に説明しています。相乗平均を使うと、人生百年時代に百歳まで生きるとすると、一歳から百歳までの折り返し地点は、十歳だそうです。つまり、十歳の時点で、百歳までの人生の半分が心理的には終了しているということです。確かにそうだなと、四捨五入するとすでに古希の私には、納得できます。私は、毎晩、夢を見ます。その夢に出て来るパーツの半分は、10歳までに経験した世界から、引き出して来ているんです。人物は、ごく最近の教え子なども普通に登場しますが、舞台背景(家とか部屋とか周囲の景色とか)は、だいたい10歳まで経験したworldから、引っ張り出して来ています。子育ては3歳までが勝負だと言われていますが、人生全体のゆたかさ、ハピネスも、10歳までに、ほぼほぼ決定されてしまうと云う風にも考えられます。

 インドでは、12までの九九を5歳までに覚えさせる英才教育を施したりするんですが、多くの子供は、これで数学が嫌いになるようです。高1の時は、1年間ずっと球拾いばかりさせるとか、1年間、ずっとスネアのルーディメントしかやらせないような「英才教育」を施す、名門野球部や名門軽音部では、大半の生徒が脱落します。ごくごく少数のエリートのみ生き残ります。それと同じで、ごくごく少数の生き残った人だけが、ハイデラバード工科大学などに進学して、IT系で結果を出しているんです。

 江戸時代は、鎖国でしたが、数学は独自の発展を遂げていたようです。関孝和は、行列式の概念を、世界に先んじて提案していた様子です。この関孝和の流れを組む日本の数学者たちは、XやYを使うヨーロッパ数学と日本の数学は、表現の仕方が違うだけで、内容は同じだと気がつきます。ベーシックな数学的な素養がすでに存在していたことが、明治の近代化の礎だったと、桜井さんは説明していて、なるほど、そうだったんだろうなと、納得しました。

「数学が苦手です。どうやったら得意になれますか?」と、生徒が質問します。桜井さんは、「なぜ数学ができないか。それはわかるまでやってないから」と、実に当たり前の返事をしています。「世界史の用語、アケメネス朝とか、シノイキスモスとかディアドコイとか、カタカナで覚えられないんですけど」と、こぼす生徒がいます。なぜ、覚えられないか。それは覚える努力をしてないからです。アケメネス朝、シノイキスモス、ディアドコイを100回、紙に書けば、覚えられます。実際は、100回も書く必要はなくて、20回くらいで、刷り込まれます。要するに努力の量の問題です。地頭の良し悪しは、現実にはありますが、もっと超高いレベルに行かないと、頭の良さは発揮できません。

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