自#255「体の億劫さと、心の億劫さは、同期しているので、日常的にまめに体を動かすことが、やっぱり大切かも」

「たかやん自由ノート255」

「鬼滅の刃」が、大ヒットしています。が、この大ヒットは、一種の同調圧力のようなものが働いて、ここまでの大ブームになってしまったような気がします。鬼滅の刃を、知らない、見てないとは、ちょっと言えない空気感があります。かと言って、主人公の炭次郎の名前を、フルネームで書ける人は、おそらく千人に一人もいないと思います。私だって、当然、書けません。「かまど」の本字など、人生で一度も書いたことはありません。鬼滅の刃が、面白くないと言う訳では、決してないんですが、別段、あれは「沼」ってわけでもないです。私にとって、今年の「沼」は、キングダムの方です。

 キングダムは、秦と云う国の基礎を確立したと言っても過言ではない、商鞅の「信賞必罰」と云うコンセプトが貫かれています。武功を上げれば、百人将、三百人将、千人将と、地位は着実にupします。逆に失策を重ねると、降格させられます。軍人の世界は、信賞必罰で、だいたい上手く回って行きますが、文人の世界、特に学問や文学やアートとなると、信賞必罰をcoreとする法家の考え方だけでは、行き詰まります。信賞必罰と云うのは、心理学的な用語で言えば、外発的動機ですが、文化価値の高いものを、外発的動機で築き上げることは、不可能です。音楽やアート、文学と云った高度の精神的営みに関わるものは、内発的動機が、どうしても必用です。

 受験勉強と云うのは、さほど高度な精神文化の営みだとは言えません。難関国立大とか早慶とかに進学すれば、女の子にもてまくる(実際には、そんなことは1ミリもありません。慶応にだって、さえない、非モテのboyたちは、いくらでもいます)と云った外発的な動機づけでも、まあ頑張れるとは思います。「合格したら、8Kの画像をモニターできるパソコンを買ってやる。フォートナイトでも、エロゲーでも、オールナイトでやり邦題だ」と、親が約束してくれたら、まあ、それも効果的な外発的動機かもしれません。が、外発的動機と云うのは、その動機が満たされてしまえば、急速にその効力を失ってしまいます。

 有名大学に合格して、可愛い読モみたいな女の子と付き合って、Sexしたいと云う動機で、めちゃめちゃ頑張って、運よく合格し、モデルみたいな女の子と付き合って、bed inして、Sexしてしまえば、目的は充足されますが、多分、Sexした後は、虚無感しか残らないと思います(実体験ではないので想像です)。

 外発的動機と云うのは、不安定で、限界だらけなんです。キングダムで言うと、大将軍に成り上がったあと、人を殺しまくって、そのポジションを得たことについて、説明できない有象無象の観念が跋扈(ばっこ)して、収拾がつかなくなると思います(これも想像です)。

 人を殺しまくるのが好きな人、それが第一議的な行動の原理になっていると云う人も、まあ、沢山の人の中にはいます。何ごともなく人が殺せるなんて、人間として倫理的、道徳的に、ヤバすぎますが、この方は、人を殺すことが、内発的動機によって引き起こされていますから、作戦をきっちりと立てられる有能な軍師とペアを組めば、レベルの高いモンスターな将軍になります(キングダムですと桓騎、三国志ですと董卓)。戦争と云うのは、勝つか負けるかです。勝つためには、思いやりとか人間的なあったかい情とかは、まったくもって無用です。乃木将軍が203高地を、長い間、落とせなかったのは、人間的な情がありすぎたからです。結局、児玉参謀長が乗り込んで来て、203高地の旅順攻防戦に決着をつけました。人間的な情に溢れているキングダムの信は、本来ですと大将軍にはなれません。が、それでは、ドラマツルッギー的に困ります。物語は虚構です。当然ですが、リアルとは乖離してます。

 戦争とかは、まあ身近では起こらないでしょうし(第三次世界大戦が起こったら、人類は破滅します)取り敢えず、さて置きます。受験勉強で言えば、自分を強化したいと云う内発的動機を持つと、自己を強化するために、受験終了後も、勉強を続けられます。「人生に行き詰まったら勉強をしろ」と若い頃、先輩に言われました。人生に行き詰まる時って、やっぱり自分が弱くなっているんです。ゲームだって、それなりの装備がないと、中ボスすら倒せない筈です。勉強して、知識を身につけることは、すなわち装備(武器)を身につけることと同じです。

 最近、勉強したくない生徒や学生から聞かされる定番の意見は「知識は、パソコンを調べれば、すぐに検索できる。わざわざ覚えておく必用はない」みたいなセリフです。そもそも、このフレーズには誤りがあります。パソコンから取り出せるのは、知識ではなく情報です。パソコンには、情報が存在しています。パソコンは情報の塊です。その情報をネットワークして、人間は知識を作り上げます。AIが情報をネットワークして、知識を作りあげることも、可能かもしれません。が、人間が、知識を身につけたり、考えたりすることを止めて、パソコンに丸投げしてしまって、本当にそれでいいのか、みたいなそもそもの問題が、そこにはあります。

 パソコンに丸投げしてしまったら、人間は強くなれません。自己を強くして、情報を自己の内部でネットワークして知識に変え、その知識を組み合わせて、何かクリエイティブな、世の中のためになるような仕事をする、そういう内発的動機が働いていれば、体力が続く限り、頑張れると思います。

 体力は絶対的に大切なベーシックな基礎力です。体力がないと、気力も湧きませんし、気持も続きません。年を取れば取るほど、動きにくくなります。体の億劫さは、心の億劫さに、間違いなく同期しています。日常的にまめに体を動かすことが大切です。テレビで、加湿器の説明をしていました。リモコンやスマホを使って、操作できると宣伝しています。リモコンやスマホを使わなくても、その加湿器の傍に行って、操作をすれば、それで済むことです。加湿器の傍に、移動することすら、倹約(?)するような便利さは、間違いなく、人間を退化させます。

 昔、心理学で、人間を寝かせておいて、食べたり、飲んだり、排泄したり、睡眠したりなどが自由にできるようにしておいて、究極のなまけ者生活をさせる実験をしたそうです。そうすると、次第に頭が働かなくなり、簡単な計算すらできなくなったそうです。後遺症も遺ったらしく、この手の実験は、禁止になりました。つまり、人間は、便利になって、何もしなくなると、退化すると云うことです。常に、内発的動機から、何らかのactivityを起こすことが、求められているんです。

 一日の物理的時間は24時間ですが、人間の体内時計は、一日、25時間です。1時間、足りません。どうしても、人間は、ある程度、無理をして動かなければいけない仕組みになっているんです。楽な道ではなく、辛い道を選ぶ方が、より人間的に生きて行くためには、多分、望ましいと言えます。自己を強くするためには、便利とか、楽とかを、可能な範囲内で、遠ざけることが、きっと不可欠です。

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