自#314「高齢になっても、脂っこいものが好きで、大食。しかも、女好き。それでいて長寿。うーん、世の中、やっぱりちょっとは、不公平かも」

           「たかやん自由ノート314」

 渋沢栄一の記事を週刊現代で読みました。2024年から発行される新一万円札の肖像に採用されたり、渋沢栄一を主人公とする大河ドラマ「青天を衝け」が放映されるので、話題になっているんでしょうが、年譜を見る限り、大河ドラマの主人公は、ちょっと無理かなと思ってしまいます。栄一は、明治の開国の時代に、日本の資本主義の基礎を作り上げるために、地味にいい仕事をした方です。波瀾万丈の疾風怒濤の人生では、まったくありません。

 波瀾万丈っぽかったのは、若い頃のほんの一瞬です。栄一の実家は、埼玉の深谷の豪農です。養蚕と製藍を兼営していたようです。栄一は、江戸に出て、漢学と剣術を学びます。漢学を学んでいる分には、別段、リスクはないんですが、剣術を学べば、普通は剣を使いたくなります。剣術を、人間形成のために学ぶとすると、相当高いレベルの克己心、忍耐力が必要です。江戸のような都会に出てしまうと、どうしたって、都会の絵の具に染まってしまいます。当時の都会で、一番、強烈な絵の具は「尊皇攘夷」です。He is not what he was.栄一は、埼玉の深谷に帰って、お蚕を飼ったり、藍玉を拵えたりすることは、もうできなくなります。倒幕のために、高崎城の乗っ取りや、横浜焼き打ちなどを計画します。が、従兄に説得されて、思いとどまります。攘夷を決行していたら、おそらく死んでいます。当時、栄一は23歳。未遂だったんですが、これが栄一の人生にとっての最大のドラマです。信頼していたであろう従兄に救われたと言えます。

 24歳で一橋家の家臣となり、一橋慶喜に仕えます。栄一がいくら豪農の子息でも、所詮は農民ですから、武士にはなれません。事務方面の丁稚でデビューしたんだろうと推定できます。が、栄一は、一橋家で、財務方面の能力を発揮します。漢学をいくら学んでも、財務方面の知識、ノウハウは身につきません。日本同様、中国だって、商人は、昔から卑しめられています。塩鉄論のような、経済書もありますが、まあ、普通に四書五経を読んでいる限り、経済書に触れる機会はありません。栄一が財務方面に優れていたのは、持って生まれた才能です。一橋慶喜は、栄一の財務方面の才能を見抜き、慶喜の弟の昭武がパリの万国博覧会に行く時に、同行させます。栄一は、昭武に同行して、ヨーロッパ諸国を歴訪している間に、資本主義のシステムについて学びます。一橋慶喜は徳川の将軍になりますが、大政奉還して、静岡に引っ込んでしまいます。栄一も慶喜に同行して、静岡藩で仕えます。

 栄一が、財務方面に詳しいということは、ある程度、知られていたんだと思います。大隈重信に説得されて、大蔵省に勤めることになりました。相方は、井上馨です。新貨条例、造幣規則、国立銀行条例、などを起草・立案し、第一国立銀行を設立します。井上馨とともに、健全財政を主張しますが、容れられず、大蔵省を34歳で辞任します。当時の平均寿命は、40歳ちょっとくらいです。そう考えると、34歳と云うと、人生の黄昏時って感じですが、論語が座右の銘だった栄一は、70歳くらいまでは活躍できる(孔子の享年は74歳です)と考えていたのかもしれません(実際は91歳まで長寿を保ちました)。

 宮仕えをしている限り、自由に判断し、自分の裁量で仕事をして行くことは、絶対にできません。まず、法でがちがちに縛られていますし、上司の命令に逆らうこともできません。トップのたった一人の人間のみ自由で、あとの人は、全体を動かすための歯車、これが、組織の本質です。民間の組織でも、理屈は同じです。が、小さくても、起業をすれば、自分がいきなりトップになれます。民間でも、法の縛りはありますが、いわゆる私法です。行政法のような公法に較べると、自由度ははるかに高いと言えます。今、霞ヶ関の若手エリート官僚は、三分一くらいが、早々と辞職するそうですが、私も地方の県庁の下っぱ役人を経験したので、気持ちは分かります。役所にいる限り、クリエィティブな自分の仕事はできません。昔のエリートよりも、今のエリートの方が、機を見るに敏で、ある意味、賢いんだろうと思います。自分が何か、オリジナルなことをやりたいんだったら、自分自身で起業する、今の流行言葉のアントレプレナーシップ的な考え方が、少しずつ日本でも、浸透して来たんだろうと想像できます。

 渋沢栄一を巡る人間関係図が、掲載されています。大久保利通とは、仲が悪かったそうです。何となく分かります。怜悧でcleverな大久保と仲良くなれる人は、そうそういなかった筈です。かつての親友の西郷でさえ、大久保は最後、切っています。元幕臣の勝海舟との関係は、微妙だったそうです。勝海舟は、旧旗本です。そもそも、身分が違います。維新政府に仕えて、海軍卿兼参議になり、枢密顧問官になる勝海舟は、栄一とは別世界の住人です。

 岩崎弥太郎とは反目しています。岩崎は、三菱コンチェルンのベースを作り上げるわけですが、栄一は、自分や自分のファミリーの利益のために、儲けようとしたことはありません。経済を発展させることが、お国のために尽くすことだと云う「公」の世界に生き抜いた人です。成し遂げた仕事のレベルで判断すると、三菱、三井より巨大な財閥を作り上げることも、容易だった筈です。が、それをやらなかったからこそ、日本の資本主義の礎を築き上げることができたんです。渋沢コンツェルンを作り上げなかったので、お札の肖像に採用され、大河ドラマの主人公に抜擢されたと、逆説的に言うこともできます。

 栄一は、財界人として活躍しながらも、最後まで自分を見い出してくれた慶喜に仕えました。慶喜の死後、旧幕臣の福地源一郎に、慶喜公伝記を依頼し、出版しています。元相方の井上馨と伊藤博文とは、仲良く付き合っています。三人の共通点は、女好きです。伊藤と井上は、明らかにイケメンです。女にもてるのは分かります。栄一は、身長150センチ。ずんぐりむっくりで、功なり名を遂げても、田舎のおっちゃんって感じです。が、女性関係はハデだったそうです。金の力ってやつだと思います。

 アルコールは体質的に飲めなかったんですが、脂っこい食べ物が好きで、しかも大食。晩年まで、あなごの天ぷらが好物だったそうです。91歳まで長寿を全うしたのは、金儲けのために、さほどあくせくせず、ストレスが少なかったからだろうと、想像しています。

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