自#356「80-50問題は、今だから起こっているんです。10年後は、もう考えられません。今の80歳代は、昭和時代の右肩上がりの経済状態で、給与も退職金も年金も恵まれていたんです。世代が下がれば下がるほど、経済水準は低下しています」

          「たかやん自由ノート356」

 斎藤環さんがお書きになった「中高年ひきこもり」と云う新書を読みました。引きこもりというのは犯罪のような、反社会的な行動ではありません。消極的な、非社会的な行動です。反社会的な行動は、育った家庭に何らかの問題があると思いますが、非社会的な行動である引きこもりは、問題のないごく普通の家庭でも起こります。

 少し前に、朝日新聞に、引きこもりの人を、確実に社会復帰させるという請負業者に騙された家庭の事例が、幾つか掲載されていました。引きこもりを、社会復帰させると云う業者の多くは、blackな悪徳業者です。数百万円も払って、結局、どうにもならなかったみたいな結末です。強制的に連れ出された子供にしてみれば、親は業者に自分を売ったわけですから、親との人間関係は、決定的に壊れます。こういった業者は、ネットで「引きこもり、自立」で検索すると、上位の方に並んでいるそうです。つまりSEO(Search Engine Optimization)、検索エンジン最適化対策をして、上位に来るように、仕組んでいるわけです。SEO対策のためには、かなりの費用がかかります。手弁当で、引きこもり支援をやっている良心的な団体は、上位にはランキングされません。高額な料金を取って儲けている業者だからこそ、SEO対策を施して、上位にランクインされます。

 こういった悪徳業者がやっていることは、実質、拉致監禁です。これが、刑事事件にならないのは、親が依頼者だからです。親が許可すれば、拉致監禁が堂々とまかり通ると云う社会のあり方が、そもそも間違っています。監禁所から逃げ出して、警察に駆け込んで助けを求めても、業者がやって来て、親に依頼されていると言われ、保護者が承諾していることを確認すると、警察は、被害者を悪徳業者に引き渡したそうです。親が間違っている、親=悪という概念は、そもそも日本にはないと言えます。まあ、そういう親を持ってしまったことが不幸ですし、その親の元で引きこもっていたわけですから、冷たい言い方をするようですが、自業自得ってとこもあります。その親だからこそ、親元を離れて(親を捨ててとかでいいと思います)自活しなければいけなかったんです。

 学校に通っていて、不登校になって引きこもるのは、明らかに学校に原因があります。ひとつは、生徒によるイジメです。世の中は、弱肉強食です。強い者が弱い者をイジメます。秩序のない荒れた学校ですと、これは露骨に表に出ます。もうひとつは、教師によるイジメです。正義をふりかざして、精神的に生徒を追い詰める教師は、残念ながら都立の中堅校にも、結構、います。同僚は、口出しできません。ウェストファリア条約以降のヨーロッパの国家と同じで、教師は一人一人が言わば主権国家なんです。その主権国家の内部のことに(部活とかクラスとか)他の教員は、口を挟めません。表向き、正義をふりかざしている以上、管理職も注意できません。標的にされた生徒は、ひたすら耐え続けるか、不登校になって逃げ出すかの、二択です。どちらが正解だとも言えません。耐え続けられるのであれば、耐え続ければ、精神力はつきます。それに、どっちにしても、卒業すれば終わります。逃げ出したら逃げ出したで、また別の困難が待っています。

 私が小1、2の時の担任(女の教師)は、本当にひどい先生でした。妾の子供で、なおかつ、親が水商売、それだけでもう、生理的に許せないという、ありがちな独善的なタイプの教師でした。小1の最初から、露骨に差別されました。小1では、先生をボコボコにする体力はありません。大好きだったJ叔父が、小1の時に自殺し、学校には差別の塊のような担任がいて、家に帰れば、気にいらなければ、すぐに暴力をふるう母親が待っています。前門の狼、後門の虎、横門のジャガーって感じです。どうすることもできなくて、小1の時は、学校をさぼって、神社の境内や橋の下で過ごし、学校が終わる頃、市民図書館に行って、本を読んで気持ちを落ち着かせていたみたいなことを、しょっちゅうしてました。学校が嫌で、不登校になってしまう生徒の気持ちは、分かります。

 小1の担任は、私を矯正教護院に入れるように、母親に言ったらしいです。担任の目から見て、矯正教護院で矯正しなければ、どうにもならない子供だったと言うことです。母が、素直に言うことを聞いて、私を教護院に入れていれば、その後は、ヤクザになって、もうとっくに死んでいたと思います(ちなみに教護院や少年院で更生したと言う人を私は、一人も見たことがないです)。が、何故かその申し出を、母親は拒否しました。そもそも、人の言うことを素直に聞かない人ですし、一応、きちんと育てているつもりの母親のプライドを傷つけたんだろうと想像しています。学校から呼び出しがあっても、母親はスルーし、私がたいして学校に行ってないことは、承知していたと思いますが、別段、学校教育には、関心を持ってない母は、それもスルーしました。まあ、小中は何やかや、私は不登校だったんですが(小5、6のみ毎日通いました)別段、引きこもっていたわけではありません。中学時代は、普通にヤンキーでした。非社会的人間ではなく、反社会的人間でした(器物破損と喧嘩だけは、嫌というほどやったと、自己分析もし、反省もしています)。

 斎藤先生は「最近の日本は、発達障害バブルのような状態が続いている」と仰っています。それは、教師として、学校現場にいても感じます。私は、精神科に掛かることを、生徒に勧めたことは、かつて一度もありません(そもそも病院をさほど信用してませんし、病院の中でも、精神科がもっともヤバいとすら思っています。精神科の先生の中にも、斎藤先生のような、立派な医師もいると思いますが、限りなくrareだろうと想像しています)。が、学級担任や、保健室の先生、管理職も含めて、多くの先生方は、病院に行くことを、割と軽々しく勧めたりします。病院に行って、アスペルガーなり、ADHDなり、自閉スペクトラムなりの病名がついて、リタリンなどの薬物を投与されるみたいなことは、普通にあるわけです。薬を安易に出す医師を、私は100%、信用してません。昔は、こういう病名は存在してなかったんです。精神科のビジネスのために、こういう病名が生み出されたんじゃないかとすら邪推しています。

 病名がついて、「あっ、そうかアスペルガーだったんだ」と、教師が安心してしまうのも、何かヘンです。病名があってもなくても、生徒を何とかしてあげるのが、教師の使命です。少なくとも、自分のテリトリー(部活とか担任クラスとか)の生徒であれば、教師は、全力を尽くすべきです。生徒を何とかする、成長させる、ハッピーな学校生活を送らせる、いい思い出を残してあげる、そういう決心、決意をして、教師になった筈です(まあ、そうでもない方も、実際はいますが)。

 斎藤先生は、オープンダイアローグの手法を推奨されています。一対一の対話でケアするカウンセリング方式ではなく、あるべき方向などを最初から設定したりせず(つまり引きこもりだったら社会復帰を目指すとか)取り敢えず、世間話をしながら、社会への興味関心を、持ってもらい、自ら動き出すきっかけをつかんでもらうと言う対話のスタイルです。井戸端会議的に、複数で、どうでもいい話からするそうです。あっ、これなら、自分にも普通に気楽にやれるなと、感じました。民生委員とか青少対とかから、誰かをケアするための井戸端会議に、来てもらいたいんだけどと頼まれたら、気軽に出向くつもりです。

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