自#320「音楽系のアーティストになることを、教え子に勧めたことは、過去に一度もありません。音楽系アーティストが幸せかどうか、まったく判りません。人は普通に、平凡に生きて行くのが、一番、幸せだと、私は思っています。音楽系アーティストは、ならざるを得ない人、なるべき人だけが、なるものです」

          「たかやん自由ノート320」

 2月に真打になられた落語家の桂宮治さんのインタビュー記事を読みました。宮治さんは、緊急事態宣言下の2月7日に、関係者やファンなどの招待客を集めて、京王プラザホテルの宴会場で、真打昇進披露パーティを実施しました。緊急事態宣言下で、パーティを開催することに関しては、賛否両論があると思います。感染対策をしっかりとやり、ソーシャルディスタンスを保って、密を避ける努力をすれば、リスクは下がりますが、感染可能性は、ゼロにはなりません。パーティを中止することは簡単ですが、そうすると真打披露パーティと云う落語家にとって、非常に重要なイベントが、消滅してしまいます。コロナ感染のリスクと、真打披露パーティのコミュニケーションの重要性を、天秤にかけて、どちらが正しい正解であるのかと云うことを、決定することは、誰にもできません。強いて言えば、パーティを実施するのも、中止するのも、どちらも正しい選択だと言えます。中止する方が、無難。実施するのは、いろんな意味で、リスクを伴います。落語家として、今後、大成するためには、後ろ向きにならず、敢えて大きなリスクを背負わなければいけないと、判断されたんだろうと想像できます。

 宮治さんは、高校卒業後、役者になろうと考えて、俳優の養成所に入り、アルバイトと舞台役者の生活を始めます。アニメーターや声優、マンガ家と同じくらい、将来が容易なことでは見えて来ない、暗中模索のいばらの道です。レストランやシロアリ駆除会社でバイトをした後、芝居の先輩にワゴンの化粧品販売の仕事を紹介されます。スーパーなどの通路にワゴンを置いて、話術を駆使して売る実演販売です。現代の「ガマの脂売り」のような仕事です。通り過ぎる人の足を止めさせ、無料配布の試供品だけは貰いたいが、あとは逃げ出したいと云う客の心をつかみ、その場から逃さないようにするため、息もつかせぬほどの畳みかけるトークで、相手を魅了し、商品を買わせなければいけません。

 この化粧品の実演販売で、宮治さんは結果を出します。有名化粧品メーカーから指名が入り、全国を飛び歩くようになります。20代の平均収入の倍以上、稼いでいたようです。役者がテーマではなく、化粧品販売がテーマになり、俳優の道を断念して、6年間、化粧品会社の社員として働きます。が、宮治さんは「人を不幸にしているんじゃないか。要らないものを要ると騙して、買わせているんだから。これを一生の仕事にはできない」と、悩むようになります。化粧品が要らないものなのか、or notなのか、それも正解はないと思います。化粧品を必要としている人もいます。決して、騙して買わせているわけではないと、客観的には判断できますが、実演販売で売っている本人には、安い原価の商品に、その百倍くらいの値段をつけて販売しているみたいな、罪の意識が、もしかしたらあるのかもしれません。

 公演で知り合った女性と結婚していたんですが、奥さんが「もう好きなことをしたら。私がまた働くから」と言ってくれたそうです。宮治さんは、30歳ちょっと過ぎくらいの年齢でした。化粧品会社を退職し、「これから一生続けられる好きなこととは、何なのか」の答えを求めるために、ノートパソコンで、ユーチューブを開いたそうです。本当の自分探しを、ユーチューブの動画を見ながら遂行して行く、正直、まさにこれがネット時代の新人類だと感じました。

 ユーチューブではじめて落語を見て、関西の爆笑王と言われた二代目桂枝雀の「上燗屋」に出会って、人生のテーマは落語だと、決意した様子です。落語家になるには、どうすればいいのか。別に、昔、高校の図書室にいっぱい並んでいた「なるには本」などを見なくても、ネットで検索すれば、手順は即座に判明します。落語家になるためには、落語家の師匠に弟子入りしなければいけません。どの師匠に入門したらいいのか、皆目、解らないので、都内のあらゆる寄席や落語会に通って、師匠探しをします。人生のテーマは、ユーチューブで見つけられても、師匠は、リアルで見ないと、見つけられないと判断したわけです。で、高座の袖から、にこやかにゆらりと出て来た三代目桂伸治師匠を見た時、全身に稲妻が走って、伸治師匠に弟子入りします。

 弟子入りして、落語を覚えて、前座に出ます。化粧品販売で苦労した宮治さんには、寄席の前座は、天国だったそうです。「だって、お客さんは誰も逃げない。帰らない。座って僕の落語を聴いてくれるんですから」と、宮治さんは語っています。音楽でも、ストリートミュージシャンは、やはり化粧品販売員のように苦労します。そもそも、寒いと客は、絶対に立ち止まってくれません。雨が降ったら、演奏は不可です。で、演奏している曲の途中で、客は平気で立ち去ります。聞いてくれている、or ただそこにいる・・・のが、猫一匹だけだったりの日もあります。ライブハウスで演奏をすれば、少なくとも、演奏中に立ち去る客はいません。お金はかかりますが、ライブハウスのありがたみは、痛感できます。

 宮治さんは、演劇青年にはありがちですが、小さい頃から登校拒否をし、引きこもる子供で、ネガティブですぐに心が折れるタイプだったらしく、全身全霊で客を笑わせている今の姿は、本来の姿とは違うそうです。つまり、スイッチのオン、オフを切り換えて、落語を演じています。「落語は大好きだけど、いつも恐怖と闘っている感じです。過信が怖いから、受けているのにもっと良くするには、どうしたらいいかを考えては、いつも落ち込んでしまう」と宮治さんは語っています。恐怖と闘いながら、好きなことをやるという人生も、ありだと思いますが、私には、正直、ちょっと理解できません。傍で、誰かがサポートしてくれないと、きつそうです。宮治さんを支えているのは、銀座のホステスの仕事をしながら、ずっと家計をやり繰りして来てくれた奥さん。この奥さんに出会ったことが、宮治さんの人生の最大の事件だったと云う風に、私には思えます。

 落語の観客は、何も考えてないノー天気な八っあん、熊さんたちではありません。仕事で行き詰まっている、親の介護で疲弊している、一人暮らしで将来に不安がある、と云った風な、それぞれ苦悩や不安を抱えた観客が集まっていて、この観客たちに、浮世の苦労を一時、忘れさせて、楽しませなければいけません。落語は、ウケなければ、即座に座がシラケます。その場で、ダイレクトに結果が出ます。決して、楽な仕事ではないし、ならなければいけない、選ばれた人たちだけが、突き進むハードな世界だろうと想像できます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?