創#665「小中高の12学年で、縦割りのクラスを作り、年長の学年が、後輩を指導するという仕組みの学校を開設すると、諸問題は、かなり解決すると想像しています」

         「降誕祭の夜のカンパリソーダー402」

「中高時代にも、喋らない生徒は、結構いた。圭一くんも、中2の頃は、クラスでは喋ってなかった。あたしは喋る人間だから、喋らない人の気持ちは判らない。漱石は、人と喋りたくなかったのに、木曜会を開催してたって言ってたけど、それは、何故?」と、Y子が訊ねた。
「漱石は、喋りたくなかったのに、仕事が先生だから、どうしても喋らざるを得ない。『坊ちゃん』や『吾輩は猫である』を読む限り、漱石に教室の先生としての適性があるとは、到底思えない。が、教室では教えられないとしても、若い人が集まっているサロンのようなとこで、若者に助言をしたり、指導したりすることは、可能だと考えたんじゃないかな」と、私はY子に伝えた。
「教室で教えるのが、先生の仕事なんじゃないの?」と、Y子が聞き返した。
「それは、近代社会になって、ほとんどすべての人が、効率的に過不足なく、仕事をすることができるようにするために、教室における大人数の講義方式を、誰かが考え出したんだ。自分が、小学校にたいして行かなかったのは、教室空間に閉じ込められた状態で、黙って椅子に座り続けることが苦痛だったからだ。まあ、しかしそれは慣れだから、多くの子供は、小1の最初からきちんとしつけられたら、静かに座れるようになるのかもしれないが、ただ、座っているだけのそのスタイルだと、結局、何も学べないという生徒だって沢山いる。自分も教室では、ほとんど何も学ばなかった。自分の推測だが、あのスタイルで、きちんと学べている生徒は、半数もいないような気がする」と、私が言うと
「じゃあ、将来、小学校の先生なったら、あたしはどうすればいいの?」と、Y子が訊ねた。
「自分だって、恩師のS先生の思い込みに負けて、高校の世界史の教師になるかもしれない。自分ごととして、本当は考える必要がある」と、私はY子に言った。
「理科とか社会だと、グループに分けて、各グループに自主的に調べさせて、整理・発表させるというスタイルは、考えられる。たとえば、社会の地理だと、A班はアメリカ、B班はイギリス、C班は中国、D班はインドといった風にテーマを与えておく。何日か前に伝えておけば、自宅なり図書館なりで各自が調べて、それを持ち寄ってまとめれば、すぐれたものができるかもしれない」と、Y子はプランを述べた。
「グループの中で、仲間に入れない子は、確実にいる。その子にとって、グループ学習は針のむしろだな。それだったら、教室の自分の席に黙って座っている方が、はるかにいいと、考えているのかもしれない。高校の文化祭が近づくと、欠席しがちになる生徒が、いたりする。その生徒にとって、文化祭のためのクラスの活動は、結構、きつい。自分が何をやっていいのか、判らない。何にもしなければ、まったく手伝ってないと批判されるし、何かをすると、でしゃばってると、ディスられるかもしれない。八方塞がりだ。その場で、その場で、適切な立ち位置を保てない生徒にとって、文化祭や体育祭のような行事や、グループ学習はきつい」と、私が説明すると
「じゃあ、どうすればいいの?」と、Y子が訊ねた。
「判らない。自分は、後輩と喋ったことがないので、生徒と喋れるのかどうか、正直、それも見えない。Y子は喋れる。クラスの中に、落ちこぼれている生徒がいたら、補習とかを、ちゃんとやってあげる親切なタイプだ。そう心配しなくても、Y子はいい仕事ができる。小学校とかだと、子供に我慢力、忍耐力を身につけさせる必要もあるが、高校・大学の一方的な教室の講義方式は、やっぱり無理がある。その無理を補うというか補填するために、木曜会を開催したってことだろう。漱石自身が、そう積極的に喋ったりしなくても、集まっている人たち同士が喋って、お互いを切磋琢磨し合えば、木曜会は存在意義を、持つことになる。みんなが、自由に何でも喋り合える空気感のようなものを拵え上げる、ムードメーカーのような人物がいた方が望ましい。「吾輩は猫である」だと迷亭だが、木曜会にもそういう人物がいたんだと思う。津田青楓が描いたイラストだと、森田草平がそういうムードメーカーだって感じがする。で、寺田寅彦とか安倍能成が重鎮だな」と、私はY子に伝えた。
「喋るのが苦手でも、やっぱり人と喋りたいってとこは、きっと誰にでもあるんじゃないかな。木曜会のような場があれば、誰かウマの合った人と、喋れるってことだよね」と、Y子は、納得したように言った。
「日本の小中高の学校だと、部活が一種の木曜会的な役割を果たしていると思う。部活だから、まあ練習とか大会もあるが、日々の練習の後、ハンバーガー屋とかラーメン屋に繰り出して、どうでもいいお喋りをする。そういうことも、やっぱり大切。どうでもいいお喋りをして、時に大騒ぎをする。そういうことを、認めて上げられる寛容な空気感を作り出せる顧問がいれば、そこに生徒は集まって来る。部活を全国大会に進出させる優秀な顧問というのは、まあ間違いなく存在するが、全国大会に進出することが目的の部活だと、どうでもいい無駄なお喋りとか、羽目を外した大騒ぎとかは、認めて貰えないような気がする。大学のサークルは、まあ基本、ゆるくて、人それぞれのペースだが、人が集まる場だと、割り切って考えれば、木曜会的な空間だと言えるのかもしれない。話を、授業に戻すが、昔の寺子屋では、一方的な一斉授業は実施してなかった。歳の違った子供たちが通って来ていて、一人一人の学習の到達度も違う。寺子屋の先生は、一人一人の子供に課題を与えて、それをやらせた。先生だから、寺子屋に通って来ている生徒の学力はきちんと把握している。年少のAくんが、初歩的な学習をしていれば、Aくんよりも学習が進んでいるBくんにAくんの面倒を見させる。Bくんの面倒はCくんが見て、Cくんのケアは、さらに年長のDくんが担当する。そんな風に、タテの結び付きを拵えておけば、先生は課題を割り振って、到達度を確認するくらいで、寺子屋の教育システムは、過不足なく機能する。学習指導要領の縛りとかはあるだろうが、小中学校の9年間を、ある部分では、タテ割にすると言った風な工夫も、本当は必要だと思う」と、私はY子に伝えた。 

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