創#708「絵本作家の荒井真紀さんの原画の展示を、吉祥寺の美術館で見ました。荒井さんは、駒沢大学の禅学科を卒業されています。禅を学んで絵本を描くというのは、ありだなと直観で納得しました」

         「降誕祭の夜のカンパリソーダー453」

「結婚しないで、生涯、独身で過ごすという人生も、今は普通にありです。圭一さんのように、結婚をしなきゃいけないと、半ば、義務的に考えている人の方が、今はむしろ、少数派です」と、関谷くんが諭すように言った。
「禅寺に行って雲水になるのであれば、それは間違いなく独身だ。自分は、15歳から5年半、禅寺に週一で通って、坐禅を続けて来た。禅宗という宗教を信じて、寺で修業をするのであれば、独身でいいと思う」と、私は関谷くんに返事をした。
「カトリックの教会の神父さんだって、独身です。圭一さんは、プロテスタントの教会には通ってる筈です。まだ二十歳ですし、神父さんを目指すという選択肢だってありじゃないですか?」と、関谷くんは訊ねた。
「禅寺の修行も、カトリックの神父になるための神学の学びも、正直、自分には差はない。どっちでもいいって気もする。禅寺は、どっちでもいいで、緩く接してくれるのかもしれないが、カトリックは、カトリックのチャンネルに絞らないと、受け入れて貰えない。取り敢えず、チャンネルを絞ったという『てい』で、カトリックの世界に入って行くことは、許されてない。神は全てをお見通しだから、たちどころに『てい』であることを、見破られる。旧約聖書を読むと、そこら中、神が下すペナルティだらけだ。バケツを持って廊下に立たされるような、牧歌的なペナルティじゃない。人間の命など、簡単に奪われる。神にとっては、人間なんて、自分の都合で生み出したものだから、自分の都合で、命を奪うことは、何でもないことだ。戦争というものは、結局の所、いつの時代であってもなくならない。戦争は神の与えるペナルティじゃないかとすら、自分には思える。ルネサンス以降、個人と個人の自由は、やたらと尊重されるようになった。その結果として、関谷くんが言うような、結婚をしない自由だって、持て囃されているわけだ。が、何ごとであれ、モノゴトは、やはり自分ごととして、考えなきゃいけない。自分の母親は結婚をしてなかった。そもそも、子供は嫌いだし、子育てとかも当然したくない。自分の乳から出るミルクを、子供が自分にくっついて、飲むとかって、まったく想定外の悪魔的な悲劇だ。そんなことは、絶対にしたくない。小学校しか卒業してない自分に、子供を教育できる筈がない。どの方面から考えても、彼女にとって、子供を産むことはNGだ。自分が生まれる前に、何人も子供は堕胎している。それなのに、またお腹の中に、子供ができた。獅子身中の虫だろうな。が、何故だかまったく判らないが、母親は自分を産んだ。本人の気持ち、意志としては、産むつもりはなかった。が、結果として、逆子で臍の緒を首に巻いて死にそうになっていた自分は、難産の末、九死に一生を得て生まれた。首に臍の緒を巻いていたことなんて、勿論、覚えてないが、母親の胎内にいた時のことは、3歳くらいまでは、うっすら覚えてた。朝、洗面器で顔を洗っていると、胎児だった頃の記憶が、かすかに戻って来た。胎内の自分は、今は胎内に閉じ込められているが、何もかもが上手く行くと、この閉じ込められている状態から、脱出できるかもしれないと、僥倖を頼みにしていた。ずっと閉じ込められているのは恐怖だった。が、脱出の可能性は、限りなくrareかもしれない。2~3歳の頃、顔を洗う度に、そんなことを思ってた。が、今、顔を洗っている自分は、この世に無事、出現し、確実に存在している。存在しているのは、母親か産んでくれたからだ。母親との人間関係が、良いとはお世辞にも言えないが、母親が本人自身の意志に反して、自分を産んでくれたことには、感謝している。母親は生物としての本能で、自分を産んだ。そういう本能は、父親よりも、いや男子よりもというべきだが、女性の方がより強いのかもしれない。自分は生まれて、息災に二十歳まで過ごして来れたことを、幸せに感じている。自死するつもりはないし、人生80年時代だったら、あと60年は、何やかや、わさわさしながら、生活して行く。自分がこの世に生きていることを、心の底から感謝している。そうだとしたら、自分も当然、次の世代を生んでケアしないと、帳尻が合わなくなる。生まれたことが借りた恩だとすると、その恩は、自分が結婚し、父親になって返さなきゃいけない。まあ、これは理詰めの説明になってしまっているが、本能的にも、結婚はすべきだし、子供を生むべきだと確信している」と、私は関谷くんに説明した。
「圭一さんのお母さんは、未婚の母だったわけですから、未婚の父という選択肢もあるんじゃないですか?」と、関谷くんが訊ねた。
「それは絶対にない。自分は過去の暗いことを喋ったりはしないが、未婚の母の子、つまり私生児だということで、小さい頃からずっと差別されて来た。一番、ひどかったのは、小1、2の担任だ。私生児が、生理的に許せなかったんだろうな。あやうく矯正教護院に押し込められそうになってた。人間は、差別できる人間が、そこにいると、容赦なく差別して来る。その差別に対抗するためには、自分自身が精神的にタフじゃなきゃいけない。差別で潰されたら、自分の負けだ。保育園に入る前に、同年齢の子供と喧嘩をしたら、100パーセント、絶対に勝つ、先輩とは基本、喧嘩はしないが、万一したとしても負けない、そういうことを、固く決心した。自分の最大の仮想敵は、間違いなく母親だ。幼児の頃から、いわれなき虐待を受け続けた。それを、自分は絶対に許さないし、何があっても、母親につぶされたりはしないと、自分に言い聞かせた。母親から離れて、浮浪児になっても、自分は、どんなことがあっても、生き抜いて行くと決めていた。当時、まだ場末のバラックに浮浪児が住んでいた。浮浪児とも、仲良くなった。が、みんながやってた盗みだけは、やらなかった。盗むくらいなら、山に入って、山菜や野性の果物を食いながらでも、生きて行けるという信念を持っていた」と、私は関谷くんに説明した。

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