自#566「社会科教室で開催された選択科目説明会を、隣の準備室で聞いていました。結局、何をやりたいのか、何に興味関心があるのかに、尽きると思います。将来、役に立ちそうだからと云う動機で、選ぶと、かなり高い確率で、失敗します」

         「たかやん自由ノート566」

「愛とお金、大事だと思うのはどちら?」という新聞記事を読みました。私は、世界史の教師ですし、宗教に対する興味関心も、普通の人よりは、はるかに深いと自負しているので、愛と言えば、神への愛、あるいは真理への愛、といった風なことを、即座に考えてしまいます。が、ここで言っているのは、一般的な人間関係における愛、恋愛のそれとか、家族愛とかのことです。絶対的な真理探究への愛ではなく、世俗的な愛であろうと、いくら何でも、お金より愛の方が、はるかに大切だろうと、まあ普通に思ってしまいます。アンケートの結果は、お金と答えた女性は53%、愛と答えた男性は54%です。まあ、微妙な差ですが、女性の方がお金を大切にし、男性の方が、ややロマンチストだと言えます。教え子が「先生はロマンチストだから」と、色紙に書いてくれたことがあります。日々の生活の苦労で、さほど悩んだりはしないという意味では、確かに、私はロマンチストかもしれません。
 私は、お金に困ったことは、人生で一度もないです。それは、子供の頃、充分に貧乏だったので、物欲というものを、さほど持たなくなったからだろうと、推定しています。私の従弟(本家の跡取りの惣領息子と言った方が、ぴたっと来ますが)の家の階段の下に、造りつけのタンスの引き出しがあって、その全部に、従弟のおもちゃが、入っていました。とんでもない数のおもちゃでした。が、従弟から、おもちゃを借りて、遊んだ記憶はありません。おもちゃの遊び方も知りませんし、そもそも、おもちゃに興味を抱かなかったんじゃないかと思います。
 私は、みんなが普通に食べていた、おやつというものを、母と暮らしていた子供時代、一度も食べたことがありません。お菓子やジュースといった嗜好品とは、まったく無縁の生活でした。母親が私を外食に連れて行ってくれたことも、旅行に出かけたことも、何かのイベント(花見とかピクニックとか海水浴とか)を実施したりと言ったことも、皆無でした。物欲というものを持たない、持ちようがない育ち方をしたんだろうと、自分では思っています。
 唯一、私が物欲を持ったのは、LPレコードです。小5で初めて、ビートルズのレコードを買って(一番最初はEP盤でした)レコードだけは、所有したいと考えるようになり、手に入った小遣い、バイトで稼いだお金(小5、6の時、新聞を配っていました)の大半を、レコードに費やしました。成人になって、アルコールを、普通に飲むようになり、アルコールに対する欲も生まれましたが、高い酒を飲むより、レコードを買う方が、ずっと大切だと思ってました。働き始めて、貰った給料のかなりの部分を使って、レコードを購入してました。で、35歳で火事に遭って、小5からほぼ4半世紀かけて、せっせと集めたレコード3000枚が、一瞬にして灰になりました。火事に遭ってperfectに物欲はなくなりました。
 自宅に絵画集などの美術本は、結構、ありますが、別段、物欲で集めたわけではありません。手元にあって、見たい時に、ぱっと見られた方が、便利だと思って、古本屋で安い美術書を見つけた時に、少しずつ買っていたんです。これが、また一瞬の内に灰燼に帰しても、別段、何ら痛痒は感じません。徒歩15分で、武蔵境の図書館に行って、絵を見ればいいだけのことです。
 愛を選んだ男性の一人は、会社で地獄のプロジェクトに放り込まれて、うつになりそうなほど大変な苦労をしていた時「家族のために働いているんだ」と、思って試練を乗り越えたそうです。私は「家族のために働いているんだ」と、考えたことは、一度もありません。家族と教職とは、まったく別の宇宙です。両者はつながりません。子供が長男だけの頃は、何とか家庭の父親と、教師の仕事とを、無理やりミックスしようとしていましたが、仕事と家庭とは別の文化であり、ミックスは不可能だと、二人目の子供ができた時、悟りました。で、自分のエネルギー、時間、ともに教職の方に、大部分を、費やしました。家族サービスは、ほとんどしてません。家庭のことは、すべて女房に任せっきりでした。女房に熟年離婚を迫られても、到底、文句は言えない状況です(今のとこ、まだ迫られてません)。
 貧しさは耐えられるとアンケートに答えた方が、それなりの数、いらっしゃいます。おそらく、戦中派で、食べるものにも苦労をされた世代の方々が、こう仰っているんだろうと推定しています。真の極貧を経験した人は、おそらく貧しさを、何とも思わなくなります。何をやっても食って行けます。これは、真の極貧を経験してない私ですら、はっきりと理解してます。
 ミレーは、村に援助されて、ノルマンジーの田舎から、花の都、大パリにやって来ます。最初の下宿で出た朝食は、ブリー地方のチーズ少しと、小さなパン、クルミ数個と、瓶に四分の一ほど入ったブドウ酒だったそうです。この修行僧のような朝食が、毎朝のことだったと手記に書いています。ヴェラスケスが描いた絵では、聖アントニウスと聖パウルスの二人が食べる一日の食糧は、鴉が運んで来る小さなパン一個だけでした。もう二人とも、充分に年寄りなので、代謝が限りなく少ないってことも言えますが、人は、一日、小さなバン半分だけでも、多分、生きて行けます。
 ミレーは生涯に渡って、ほぼ極貧に近いような生活をしています。ルソーに連れられて、コローの家を初めて訪ねた時、「新しい料理が出る度に、皿もナイフもフォークも新しいものに変わって、当惑した」そうです。ブリューゲルの「農民の踊り」の絵の真ん中に、帽子にスプーンを挿したおやじさんが描かれています。この頃の農民は、多分、あのスプーンが一個あれば食べられる、質素なスープのようなものしか食べてなかったんです。ミレーはブリューゲルより三百年くらい後の時代の人ですが、ノルマンジーの田舎では、中世のネーデルラントと、さほど変わらないような食生活だったわけです。
 ミレーを尊敬していたゴッホも極貧でした。ゴッホの親友のゴーギャン(あっ、ゴッホは親友だと信じていましたが、ゴーギャンは、不幸な知人だという認識しかなかったと推定できます)も、ピカソもパリに出て来たばかりの青年時代は、充分に貧乏でした。が、みんな油絵を描いています。今は、極貧の方は無論のこと、普通に貧しい人も、いや、ほんの少しくらい豊かな人であっても、油絵を自由に描くなんてことは、金銭的な事情が、まず許してくれません。油絵や日本画を描くためには、それなりに潤沢な資金力が必要です。昔は今より画材が安かったということだと思いますが、絵を描くことが、自己の人生のミッションだと考えている人は、他のすべてを犠牲にしても、絵を描いたということです。それは、まあ、「お金は、最終的には、どうにでもなる」ということだと、私は考えています。
 マタイ伝第六章には「自分の命のことで、何を食べようか、何を飲もうかと、また自分の体のことで、何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物より大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥は、種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に収めもしないが、あなたがたの天の父は、鳥を養って下さる」と記しています。生活のことで思い悩まなくても、自分自身の人生の方向が定まれば、人は何をしても生きて行けます。

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