創#681「幼稚園の年長組さんの斉唱は、とんでもなく元気で、powerがあふれているんですが、小学生になると、途端に声が小さくなります。学校の教育の縛りが、自由に声を出すことを、妨げていると想像できます」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー425」

「説得力のある芯のしっかりした声を出せると、幼稚園児たちとも、円滑なコミュニケーションができるんですか?」と、U子さんは訊ねた。
「走らないとか、二列をちゃんと拵えるとか、階段をゆっくり降りるとか、そういう秩序を作り出すことはできます。が、それは、コミュニケーションとは言えません。子供たちと一緒に遊んだり、笑ったり、ふざけたり、時には悲しんだりできることが、コミュニケーションだと思うんですが、自分はそういうことをしたことはないし、できないと判断しています。幼稚園児どころか、小学生の子供と喋れるかどうかも疑問です」と、私は率直な口調で返事をした。
「Y子は、小学校の先生になるつもりです。Y子なら、子供とコミュニケーションできますか?」と、U子さんは訊ねた。
「Y子が、ピアノを弾くかどうか、自分は知らないんですが、たとえ弾いたとしても、突然、突拍子もないとこで、音を外したりすると思います。林間学校でカレーを作ったりする時に、カレーに醤油を普通に入れたりもしそうです。わざとではなく、天然のボケってとこが、Y子にはあります。子供たちは、そういう天然のボケが好きです。それに、Y子には、大人の狡さがたいして身についてないです。狡さがないと、社会生活において、いろいろ苦労しますが、子供たちと付き合う分には、狡さはない方が望ましいです。将来のことをちゃんと考えろとかと言って、上から目線で、道徳目標やきまりごとを押しつけて来る先生が、小学校にも中学校にも、どっさりいますが、少なくとも、そういう先生には、Y子はなりません。Y子は、幼稚園の年長組の歌を聞いたことは、多分、ないと思いますが、聞けば、間違いなく彼女は感動します。高校生だと、まだギリ感動できるんですが、大学生は、もう大人だから「あたしたちにも、こんな時代があったかも」と、過去を振り返るフリをするだけです」と、私が言うと
「振り返るフリなんですか?」と、U子さんが突っ込んで来た。
「振り返るフリです。本当に感動したら、『こんな時代があったかも』なんて、おざなりなセリフは出て来ません。年長組は5、6歳、大学生が二十歳だとして、この14、5年間、一体、自分は何をしてたんだろうと、強烈な疑問とかが、襲いかかって来ます。年長さんの歌を、自分ごととして聞いた場合、この14、5年間に得たものより、失ったものの方が、大きいかもとすら考えてしまいます」と、私が言うと、U子さんは、返事をせず、少時、考えている様子だった。そして
「サークルのイベントで、幼稚園に歌いに行ったりすることもあります。行けば子供たちは、喜んでくれます。でも、いざ歌い始めると、我慢して聞いているような、気がします。ある程度、大人にならないと、歌を聞くことは難しいってことですか?」と、U子さんは訊ねた。
「自分は、保育園の年少の頃から、ラジオの音楽を聞いてました。それは、ラジオ以外に、音楽を聞く手段がなかったからです。母親が、子守歌をアカペラで歌ってくれていたら、多分、それを聞いたと思います。田舎のお祖母ちゃんの民謡の歌とかでもいいような気がします。U子さんたちが演奏しているカーペンターズとか、ジョニーミッチェル、キャロルキング等々を、幼稚園児に聞かせるのは無理です。ゾウさんとか、チューリップ、浦島太郎といった童謡を子供たちと一緒に歌えばいいんじゃないですか。子供たちに輪唱とかをさせてもいいです。しっちゃか、めっちゃかな曲になるのかもしれませんが、子供たちは、そういうことが楽しいんです。ジョニーミッチェルとか、キャロルキングは、発達段階を考慮すると、カリキュラム的に早すぎます。感性ゆたかで、よい耳を持っている子供であれば、小4くらいから、洋画ポップスは聞けるようになりますが、幼稚園児には無理です。自分達の曲を、カッコ良く、聞かせるとかといった風な押しつけ願望があったら、小さな子供の耳には届きません。大人の耳にだって、本当は届いてないんです。が、大人は、上手に聞いているフリをして、後でおざなりなお世辞を言ったりもします。サークルで幼稚園に歌いに行ってるのであれば、到着した時でも、最後でも、どっちでもいいんですが、年長さんの歌を、聞いてみるといいです。それで、もし、感動できなければ、音楽を続けて行く資格は、もしかしたら、ないかもしれません」と、私は率直な口調でU子さんに伝えた。
「今日、あたしは歌って、圭一くんは聞くわけだけど、圭一くんが感動しなかったら、私の立場がないってことになりますよね」と、U子さんは、困惑したように言った。
「私は、お金を払って、聞きに来ているわけではありません。U子さんだって、ただ、趣味で歌っているだけです。趣味で歌っているだけの歌を聞いて、感動する必要はないんじゃないですか。私は、人より感動が薄くて、だいたいにおいて感動はしません。幼稚園の年長組の歌は、私を感動させる数少ないひとつです。小1、2の歌となると、突如、レベルダウンしていて、感動できなくなります」と、私が言うと
「幼稚園の年長と、小1、2と、一体、何が違うんですか?」と、U子さんは、質問した。
「何が違うのか、それは判りません。ただ、歌は、圧倒的に幼稚園年長組の方がいいです。私が感動するのは、年長組の歌だけで、小中高生の歌は、基本、感動しません。大学生になると、とんでもなく歌の上手い人がいます。雰囲気ってこともあると思いますが、銀座のビアホールで、慶応の合唱サークルの3年生が、ドイツリートを歌っているのを聞いて、感動しました。19世紀の終わりのドイツの大学の雰囲気を感じました」と、私はU子さんに伝えた。
「ドイツリートのことは、分かりませんが、年長さんの歌は、聞けば多分、判ります。来月、幼稚園に行くので、幹事長に、年長さんの歌が聞けるように、頼んでみます」と、U子さんは私に言った。
「幼稚園児の歌がすぐれているのは、幼稚園が、小学校と違って、自由だからじゃないですか。小学校に入ると、いきなりガチガチに縛られてしまいます。日本の初等教育は、すぐれているってことに、なっていますが、私の実体験だと、日本の初等教育は、狡くてcleverな大人を、促成栽培してるような印象を持ってます」と、私は本音をU子さんに伝えた。 

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