自#591「冬のエンタメと言えば、スケート。私でさえ、中2の冬、しょっちゅうスケート場でたむろしてました。反時計回りですと、コースを回れますが、時計回りだと、滑れません。まあ、その程度のスキルです」

           「たかやん自由ノート591」

 堀米庸三さんの「中世の光と影」という文庫を読みました。堀米さんは、この本の中で、パリに遊学したイギリスの修道士の話を紹介しています。
 アレクサンダーネッカムは、1157年に、ロンドン北西のセントラルオルバンズの町に生まれ、その町の修道院で学びます。文法学校で少し教えた後、パリに遊学します。ネッカムがパリに赴いたのは1177年くらいです。パリ大学が認可されるのは1200年です。パリ大学はまだ成立してませんが、パリ大学のルーツのような、先生と学生のグループ(組合)は、(後の)カルチェラタンあたりに、すでにいくつか存在しています。
 ネッカムは、まずロンドンに向かいます。ロンドンまで、そう遠くはなく、馬か騾馬で、一日の行程です。当時のロンドンは、現在の金融街の「シティ」の区画です。そう広い区画ではありませんが、そこに5万人近くの人が住んでいます。狭い所に人が密集しています。ペストのような感染症が侵入して来たら、たちどころにクラスターを起こしてしまいます(1348年以外にも、何回もペストの大流行に見舞われています)。
 ロンドンのような大きな町の入り口の門の所には、絞首台があったりします。大きな街じゃなくても、絞首台は、普通にあります。ブリューゲルの絵などにも、さりげなく(知らなければ絞首台だとは気がつきません)描かれていたりします。身分の高い人や、極悪人を処刑する場合は、中央広場に台を組んで見せることもあります。この場合は、絞首刑ではなく、首を刎(は)ねます。イギリスでは、大きな斧で首を落とします。大陸では、剣で斬ります。
 死刑は、完全に公開されていて、それを見るのは、市民の楽しみなんです。フランス革命の恐怖政治の時代、ギロチンで次々に人が処刑されますが、広場にはそれを見物するために、毎日、沢山の人が詰めかけていました。古代ローマのコロッセウムでは、ライオンや豹が人を食い殺したり、人と人とが闘って、どちらかが死ぬのを、エンタメとして楽しんでいました。人が人を殺すのを見るのは、少なくとも近代のある時期までは、インドヨーロッパ語族の人たちにとっては、ある種の見逃せないエンタメだったと、言えるのかもしれません。
 イスラム過激派が、何年か前、捕らえた捕虜を、処刑する動画をネットで公開したことがありました。当時の高校生男子は、結構、この処刑の動画を見ていました。人が現実に人を殺すリアルの画像などは、高校生が見るべきものではありません。が、まさかそんな事態が起こるとは、ネットを使わない私には、まったく想定できませんでした。うかつでした。リアルの処刑シーンを見たいという気持ちは解りますが、未成年が見ちゃいけないものはあるし、必要でない危険な情報からは、きちんと距離を置くセキュリティ感覚を、身につけることも大切です。
 進路部で、公務員担当をしていた時、刑務官を目指したいと言って来た男の子がいました。普通の一般職の公務員の方が、はるかに働きやすくて、無難だからと、やんわり反対したことがあります。刑務官は、大切なエッセンシャルな仕事だと理解していますが、たとえ確率は低くても、死刑の執行を担当する仕事が回って来ることもあります。自分が関わった卒業生が、死刑の実務に携わるかもしれないと考えることは、正直、しんど過ぎます。
 源氏物語の六条院にも二条院にも、トイレは存在してません。宮中にだってトイレはありません。トイレや排泄作用というものが、まったく存在しないという「てい」で、源氏物語は書かれています。ヨーロッパ中世の建物にも、基本、トイレは存在してません。近くに川があれば、板を渡して、そこで用を足し、大きな城などでは、所々に穴を開けてあって、そこで生理的欲求を満たします。夜、家の中で、バケツに用を足す場合もあります。その場合は、翌朝、汚物を溝にぶちまけます。とんでもなく狭く、とんでもなく人が密集していて、それでいて、不衛生極まりない状態でした。これは、ロンドンでもパリでも同じです。
 とんでもなく不衛生でも、人が沢山いることは、楽しいことなのかもしれません。田舎と違って、そこはやはり、diversityに富んでいます。ロンドンでは、貴族が従者を連れて練り歩いていたりしています。貴族は、鷲・鷹・猿・オウムなどを引き連れています。無論、犬は貴族のすぐ傍にいます。犬を連れてない貴族は、普通いません。もっとも、犬ではなく、飼い慣らした狼を従えている場合もあります。
 かたわ者の乞食たちも、沢山います。病院や教会の広場には、群をなしています。木の足や木の棒で歩き回ったり、両足のないものは、木の車輪のついたいざり車で、ゴロゴロ動き回ります。周囲の人たちは、彼等に同情したりせず、身体の不自由なことを笑いものにしたり、make fun of them、からかったりします。人間は、善悪込み込みです。障害者にまったく同情しないというのも、率直な人間性の現れなのかもしれません。それでも、食物を投げ与える市民もいます。そういう市民や修道院の施しで、乞食たちは、カツカツの状態で生き延びようとしています。
 街の中には、ごろつきはいくらでもいます。面が完全に割れているので、田舎では、ごろつきになるのは、それなりの勇気と覚悟が必要ですが、大都会では、いとも簡単に、ごろつきに堕してしまいます。健全な市民を、ごろつきから守るために、治安は必須です。警備長官が有能であれば、治安は維持できますが、トップが無能だと、部下はすぐに崩れて、横暴になり、治安組織が、逆にごろつきの集団になってしまいます。発展途上国では、これは、今でも普通にあり得ることです。
 中世の騎士の遊びというとトーナメントです。これは、甲冑を着て槍を持った騎士が、相手と正面衝突して、一撃のもとにたおす過激なレクレーションです。時に、相手は死ぬこともあります。古代エトルリアのパンクラティオンというレスリングは、どちらかが死ぬまで闘い続けました。ローマのコロッセウムでも、人と人とが殺し合ったように、どちらかが死ぬくらいのスリルがないと、真のエンタメではないと、考えていたのかもしれません。
もっともこの頃、ロンドンで一番、流行っていたのは、水上トーナメントです。これは、普通のトーナメントより、sophisticatedされています。ボートを全速力で漕いで、そのボートから槍を投げて、木の台の的に当てる競技です。槍が命中すれば、勝名乗りを受けますが、失敗すれば、水に放り込まれます。
無論、通常のトーナメントも、広場で行われています。子供同士のトーナメントの場合は、槍の穂先を外しますが、大人のトーナメントは真剣勝負です。その他、フットボールは、修道院の学校でも行っていて、庶民の一番人気のスポーツです。石投げ、槍投げ、レスリング、射的と言った、イリアスにも登場する、古代ギリシア以来の伝統的なスポーツもあります。夏の夕方から夜にかけて、若い男女は、ダンスを楽しみます。今も昔も、このへんは、本質、同じです。現在より温度が低く、冬場は、テムズ川は凍りました。そうすると、市民は、牛馬の頸骨を靴につけて滑ります。ブリューゲルの絵には、ホッケーを楽しむ人たちが描かれています。スケートは、冬場の一番のエンタメだったと推定できます。
 アレクサンダーネッカムは、ロンドンをひととおり見物して、次の宿泊地のカンタベリーを目指します。

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