自#349「カウンセラーとしていい仕事をしようとすると、リスクだらけ。そんなデンジャラスな世界に、生徒を積極的にプッシュすることは、とてもできません」

          「たかやん自由ノート349」

 臨床心理士の東畑開人(とうはたかいと)さんのインタビュー記事を、アエラで読みました。私は、週刊文春で連載している、東畑さんの「心はつらいよ」というエッセーを愛読しています。文壇の大御所(五木寛之、北方謙三、伊集院静、林真理子・・・等々)の書くエッセーは、肩肘張らない気楽な読み物ですが、東畑さんのそれは、結構、肩肘張っていて、真摯で、それでいてユーモアがあります。エッセーと言えども、手を抜かず、揺るがせにせず、書ける限度いっぱい、ギリギリのとこまで書いています。良心的で誠実な人柄が、文章に現れています。まさに、文は人なりです。

 アエラに東畑さんの写真が掲載されています。白金高輪カウンセリングルームを主宰されていますが、アエラのこの写真を見て、シロガネーゼのクライアントが、押し寄せて来るとは、とても思えません。現業職のたとえばトラックの兄ちゃんのような顔つき、髪型です。偉大なカウンセラーであった河合隼雄さんも、ぱっと見、田舎の農家のおっちゃんみたいな雰囲気の方だったで、尊敬している大先輩に、あやかろうとされているのかもしれません。人間は、見た目が9割なのに、その見た目を、さて置いているのは、逆に、並々ならぬ覚悟で、カウンセリングの魔道を突き進もうとする決意の現れだと、読み取ることも可能です。

 カウンセリングを魔道と言ってしまうと、語弊があるかもしれません。が、現実は魔道です。チェーホフは、精神病院にいる医者は、精神病になると、看破しました。日々、多くのうつの患者をケアしているカウンセラーが、うつにならない保障はどこにもありません。うつになり易い心の弱い方が、カウンセラーになれば、ほぼ100%うつになると、私は確信しています。大学で心理学を学んで、将来は、カウンセラーを目指したいという、実にあるあるな進路希望に対し、常に私は否定的なニュアンスを、目いっぱい醸し出しながら、「そんな大変な仕事をしなくても、普通に仕事をして、普通に過ごす方が、全然、幸せだから」と、言い続けて来ました。大学院(マスターコース)で臨床心理学を学んで、臨床心理士の資格を取得し、何年か前に新たにできた公認心理士の資格も取っておけば、カウンセラーとして、開業できると思いますが、才能がなければカウンセラーは、クライアントをケアできません。才能のないカウンセラーの所に来たクライアントは、何事もなく自死したりします(もっとも才能のあるカウンセラーの場合だって、これは起こりますが)。カウンセラーとして、いい仕事ができなければ、人が何事もないかのように自死する、そんな危険極まりないdangerousな世界です。「そうだな。カウンセリングは、世の中にとって、大切な仕事だ。king of essential workerと言ってもいいと思う。迷わず、まっすぐに突き進んで行け」などと、生徒をpushすることは、とてもできません。生徒の将来のリスクをできる限り回避する、これが高校の進路指導のあるべき姿です。ですから、アニメーター、マンガ家、俳優、ミュージシャンなどは、高校の進路指導の世界では、ことごとくNGな職業です。カウンセラーも、この仲間に付け加えたいくらいです。

 東畑さんは、文章を書くことによって、自己をメタ認知されています。自分を見つめる客観的な目が、カウンセラーには必要です。クライアントと一緒に、しんどい辛い世界に、一緒に降りて行かなければ、いい仕事はできません。その自己を、外側から見ているもう一人の安全で冷静沈着な自分がいないと、ミイラ取りが、ミイラになってしまいます。ある程度、訓練でこれはできるようになるのかもしれませんが、私は、持って生まれた才能だと思っています。カウンセラーが、天職だと言える、才能のある方がいます。そういうカウンセラーにならざるを得ない人たちは、カウンセラーになるべきです。東畑さんは、河合隼雄さんと同じように、天性のカウンセラーだと、週刊文春のエッセーを、毎週、読んでいる私は確信しています。

 ところで、掲載されている写真ですが、東畑さんの背後に十字架にかかったイエスの彫刻が写っています。十字架にかかっているのに、手足には釘が打たれてません。東畑さんの母校の栄光学園の聖堂なので、釘を打たれて、血が流れているような、おどろおどろしいイエスは、望ましくないと判断して、別バージョンのイエス像をあつらえたのかもしれません。とにかく、東畑さんの後ろには神がいます。東畑さんが、クリスチャンだとは思えませんが、神のようなものは多分、信じています。でないと、こういう写真を、わざわざ掲載する筈がないです。人間の力を遙かに超えた大きなものの存在を信じてないと、カウンセラーの仕事は、できないとすら私は思っています。自分一人の力で、クライアントをケアする、「私、絶対に失敗しませんから」、そんなカウンセラーが、いる筈ないです。クライアントをケアする、大きな力が存在します。カウンセラーは、大きな力が作用するのを、一緒に待っている、そこに一緒にいる人間だと、私は思っています。

 私は、若い頃、坐禅をやっていました。臨済宗のお寺でも、曹洞宗のお寺でも、座りました。どちらも、いわゆる自力の宗教です。私の故郷の菩提寺は、真宗(浄土真宗)です。つまり、他力です。「なむあみだぶつ」だけで救われるとかって、安直な宗教を、若者は理解しないし、認めません。宗教について、本気で考える人は、誰しも一度は、自力の世界に嵌(は)まると私は思っています。坐禅は、つまり自力のchallengeです。が、自力の果ての果てまで行くと、自分が存在しなくなります(この感じは説明できません)。結局の所、大きな力によって、生かされているということを悟ります。つまり他力です。自力の果ての果てまで行って、他力に救われた時点で、坐禅は、もういいなと思いました。

 カウンセラーは、他力です。クライアントやカウンセラーの意志、努力は、もちろん必要です。が、最終的にケアしてくれるのは、他力の大きな力です。その大きな力を、寄せて来れる才能が、カウンセラーには必要です。

 東畑さんは、 河合隼雄先生を乗り越えたいと言っています。こういう途轍もない大きなことを言って、大言壮語で自分を煙に巻くことも、カウンセラーには、時として必要なのかもしれません。が、20年後の東畑さんは、超大物カウンセラーして、押しも押されもしない大御所に、成り上がっているのは、まず間違いないと確信できます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?